第2部 6
半端マーカーたちが市内を騒がせていた六月中旬。
土曜から日曜に日付が変わった深夜、柳町交番の電話が鳴る、上通町の路上で喧嘩。
「斉藤、いくぞ!」
現場は柳町から東へ走って一〇分ほどの場所だった。
タクヤの元に通報が入る少し前。
上通町のとあるスナック。
隅のテーブルに座る一風変わった二人の男。
一人はティーシャツ、長い髪をポニーテールに結んだ男がオムライスとラーメンを交互にかっこんでいる。
もう一人は。
黒のジャケットに黒のシャツ、開いた胸元にネックレス、スマートマッシュで、眼鏡。
前には小さなボールに盛られた野菜と白い液体(豆乳)、そしてこの男、文庫本を読んでいる、深夜のスナックで、『ワーズワース詩集』、酒も飲まず、文字に酔う。
二人のその様、しおらしく「座っている」などという表現は相応しくない、余人近寄り難し、まさにその空間を「陣取って」いた。
初めてみる人はもとより、店のもの、常連客、月に数度のこととはいえ、二人の佇まいはやはり何度みても「変わって」いた。
その特異な空間に平然と入っていけるのはママだけだ。
店員、常連客は、その奇怪なテリトリーに自然な笑顔を一ミリも陰らせることなく入っていくママこそやはり最強だと、その都度思い知ることになる。
出されたものを綺麗に平らげた二人が店を出る。
「じゃあね、シモちゃん、ジュンペイちゃん」
「ごちっす、めっちゃうまかったっす」
ポニーテールはでかい。一八〇は軽く越えそうだ。ゴツイ。上半身の逞しさ強さはティーシャツからでも瞭然。
「……」
「うれし。またいつでもきてね」
はい、といってママが「シモちゃん」にビニール袋を渡す。いつものお土産、という。
ママの横顔が黒シャツの眼鏡に触れるほど近づき、頬に口づけ、るように耳元で囁く。
「もっといっぱいきてくれないと、乗り換えちゃうんだから」
「ご馳走様、またすぐきます」
それだけのことをいうのに一拍空いた、感情のこもらない声で、冷淡といわれても不思議ではない、食事をしてお金を払わず出ていくのだから、おみやまでもらって、アラフィフとはいえ界隈で聞こえた美人ママの気持ちもほぼ独占した上に、であるのだから。
そんな妬みが形になった、わけではない。
店を出た途端、二人を数人が囲んだ。車がやっとすれ違えるほどの通りとはいえ、週末で人はいる、その襲撃は大胆だろう、男たちは顔を隠しもしないのだし。
囲んだのは五人。二人は五人に囲まれ、連行された。人気のない路地裏。ド定番の成り行き。
たまたま二人の後を追うようにスナックを出た客がその様子をみて、慌てて店内に戻った、
「ママ、大変だよ! 二人が男たちに連れていかれた!」
「あらあら」
「警察呼んだほうがいいよ! ヤバイことになっちゃうよ」
焦る男性客の声が裏返ったのを聞き、
――アルシンドみたいじゃない。
とママが思ったかどうかはわからないが、ママの態度は冷静だった、笑顔でテリトリーに踏み込んだママとは別人のように。
「相手は何人?」
「四人、五人くらいかな」
「じゃあ、ダメね」
「だから警察に!」
「五人じゃダメ、少ないわ」
「え?」
「ちょっとはやられちゃえばいいのよ、そしたらわたしが介抱してあげられるのに」
通報したのは店に戻った男性ではない、もちろんママでもない。
現場に着いたタクヤが通報した人の「ここです、この中」に従って懐中電灯を点けて路地の中に入る、「凄い声がしてて、殺されたかも」という通報者の言葉と裏腹、路地は暗さに比例した静けさだ、角を曲がる、そこでみた光景は。
二人の懐中電灯が闇を照らすと。
立ってるのは二人、きっちり二人だけ、膝をついているものも蹲(うずくま)っているものもいない、他の五人は地面に腹か背中をべったりとつけて、ほとんど動かなかった。呻き声が微かに聞こえるだけだった。
二人がこちらに歩いてくる、ガタイのいいティーシャツと黒スーツの眼鏡。
二人が、タクヤと斉藤の前で止まった(歩きながらなにか囁きあっていたようだ、タクヤも無線で状況報告、救急車を要請している)。
「ばんわっす」
「ご苦労様です」
斉藤の向けた灯りに眩しそうな顔で答えると、斉藤は慌てて懐中電灯を消す。
「これ、おまえら二人でやったのか」
「真下、くん」
斉藤が驚いたように呟くように。
真下くん?
「ああ、きみらが」
タクヤが斉藤から「真下くん」の話を聞いたのはこっちにきた最初の夜のことだった。
どこかの「組」に入るでもなく、誰かの下につくでもなく、夜のT崎の街で独特な立ち居地を持った若い男の話。
特定のバックを持たず、ある種「傭兵」のような働きをしているという。
誰もが羨むような履歴書が書ける、まだ二〇半ばのイケメン。警察も彼らの動きを正確につかんではいない、動機、ルールをつかみかねていた。
真下は滅多に警察の厄介にはならない男だった。
直接言葉を交わす機会がほとんどない、ちゃんと言葉を交わせる人間も警察にはいなかった。
「こいつらなにもんだ? なんで襲われた?」
タクヤが真下に質問をぶつける、斉藤がどこか遠慮がちなのが気に喰わない。
「さあ」
真下はジャケットの内ポケから文庫本をチラッと出して確かめる、
「それはそちらにお任せします。あなた、最近こっちにこられた方ですか?」
なに?
タクヤは真下のことが一発で、嫌いになった。
「三月から柳町に赴任してきた、や」
「山田さん、タクヤさん、ですよね」
おまえ、
「なんで俺の名前を知っている」
「仕事柄ですかね。警察の方とは仲良くしていきたいと思ってますので、今後ともよろしくお願いします」
チッ!
舌打ちは内心だが、感情は表に出ただろう。
「全部話してもらうぞ、簡単に帰れると思うなよ、おい、おまえ」
タクヤ、ティーシャツの脇腹が黒くなっているのに気がついた。血が出ているようだ。
「刺されたのか」
シャツをめくってみせる、シックスパックのすぐ横、明らかに傷口だった、刺されたというより切られたか。
「どうってことねぇっす、唾でもつけときゃ治るっす」
確かに浅手のようだ、血は既に止まっていた。
「救急隊がくる、手当てが先だな」
真下がなにもいわずに動いた、四人は路地を出てスナックのすぐ前まできていた、真下がスナックの入り口に手をかけていた。
「おい、なにやってる」
「逃げたりしませんよ、おしぼりでももらってきます、あと絆創膏でも」
斉藤が後ろについてスナックに入っていった。
出てきたのは三人、真下と斉藤、あとママ、美人の。おしぼりで傷口をきれいにふき取り、ガーゼを当てて紙テープで押さえた。
「唾でもつけときゃ治るわよ」
サイレンが聞こえてくる、救急車、パトカー、野次馬が垣を作り、かなりの騒々しさになった。
二人を乗せたパトカーは、心配そうなママに見送られ、あるいは憂いを含む美しいママとの名残を惜しむように、ゆっくりと動き出した、人垣をゆっくりと抜けていった。
「しもさん、どうします、突破しますか」
「俺たちは被害者だよ、おとなしくいうことを聞いておくさ」
「もうちょっとやられておきゃあよかったかな」
「多少やりすぎたかもな」
土産もなくなっちまったし。
「ママ、すぐにきたよ」
「やだぁ、怪我した? どっか痛いとこある?」
「俺はだいじょぶだけど、ジュンペイが。おしぼりと絆創膏かなんか欲しいんだけど」
「はいはい」
滅多にない、近しくなればなるほど遠くなる、そんな真下の笑顔だから……。
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