第1部 16
休み時間、カイの周りに人が集まる。
音楽の時間、体育の時間、教室を移動するとき、カイの周りに人が集まる。カイと体が触れ合うほどに接近する三、四人。リクは入っていない。
――すっかり近寄れなくなっちゃったな。
リレーの後、二人に対する周囲の目ははっきりと変わった。
リクがカイの机にいく、と、そこに他の人が集まってきた。最初はリクも中にいた。でも……。
カイと他のクラスメイトは笑って話をしている。それがリクには嬉しかった。
リクが入り込む隙間がなくなった。僅かな隙間に自分を差し込むような、そんなキャラではリクはない。カイは楽しそうだ、うん、それでいい。
「変わった」わけではない。そのことにはすぐに気付いた、外から眺めるようになって。
変わったんではない、戻ったのだ、昔に、小学生のころに。リクが憧れていたカイに、戻ったのだ。
寂しいよりも嬉しい、そして、ほっとした、役目を果たしたような、或いは、罪を償ったような。
リクの机の周りにも友だちはいる。三人ほど、サッカー部と一年からの友だちが。
戻ったのだ、あるべき形に。
日曜日、夕方、城山。リクと仮面、そしてカイ。
「遊びにいくっていってなかったっけ」
リクがカイに話しかける。
日曜日にカイは街中に遊びにいくという話をしていた、決して聞き耳を立てていたということはなく、あくまでも「風聞」、教室の中をゆらゆらと流れていたのが、たまたまリクの耳に入ってきた。
「いってきたよ」
「そうなんだ。遊んでて今日はこないかと思ってた」
皮肉っぽいな、なんで「僕」はこんなことをいうんだろう。
「くるでしょ。リレーで勝ったってしょうがねぇ。この手でぶっ殺さねぇとなんだから」
「ごめん」
と、思わず声に出そうだった。音に出さず、心の中で謝った。ダサイ、かっこ悪い。
「その通りだ、これまでのトレーニングはまだまだ入り口なのだからな、リレーで少しいい走りをしたからといって調子にのられては困る」
「はい」「はい」
「だがまあ、二走がこけなければ、ぶっちぎりだったかもな」
え?
「もう少しで抜けたのに、惜しかったな、リク」
なんで?
「などとはいわん。最後ばてたのか諦めたのかしらんが、なんにしてもあそこで抜ききれなかったのは問題だ」
それを?
「勝てないと思ったら、足をかけるでもなんでもする、そのくらいの執念を持ってくれなければ、それくらいの覚悟はな、カイ」
知っている?
風が巻いた、杉の木立が鳴った、山が沸いた、鳥たちの声をかき消すほどに。
「いついかなるときもわたしはみている。常日頃からそう思って過ごすことだ。多少走るのが速くなったくらいでは、わたしの掌から飛び出すことはできんぞ」
この日曜が、三人でトレーニングをするようになって、いったい何度目の日曜だろう。
ずいぶん日が延びたものだ。暖かく、いや暑くなったものだ。
「僕」「俺」は、速くなっている。
「僕」「俺」は、変わったのだろうか。
「僕」「俺」は。強くなれるのだろうか、掌を飛び出すくらい、人を殺せるくらい。
「僕」「俺」は……。
「どうしたどうした! 所詮は中学生レベルか! いつになったらわたしを、このオヤジをヒヤヒヤさせてくれるのだ!」
沈みかけの太陽が世界を紅く染めた、空が焼けた、夕焼け。
生命力を掠め取るような夕日も、この三人には届かない、及ばない。
彼らの活力は止まることを知らない、彼ら自身が止まるまで。
「いくよ、カイ!」
「リク、ちょっと待ってぇ」
この日、入梅前の貴重な晴れ間となる。
教室では、むしろリクとカイは離れていることが多くなった。
カイはいじめられていたこと、なんならリクまでシカトされかけていたことなど、もうみんな忘れているかのよう。
誰かが記憶を消してしまったかのよう。
なんて都合のいいこと。
カイは取り戻した、失くしていたものを。リクの憧れていたカイを。
戻っただけではない。彼らは走り続けている。
戻ったようにみえて、それも前進。
時間を巻き戻すことはできない。失われた時間を取り返すことはできない。進み、獲得する、新たに、それだけ。
あるいは、失うか。
七月に入ってすぐ、ニュースが町を揺るがす。
「ばいりん」すなわちアユムの家が家宅捜索を受けた。ニュースはNHK夜九時前の首都圏向けニュースの中で流れた。
「外国の梅、使ってたんだってよ」
「ええ!? うそ、ほんとに?」
逮捕の中身をアナウンサーが読む前に母親がネタバラシ、父親が驚きの声をあげる。
「ね」
「あれ、ほんとだ」
「化学調味料みたいなのも使ってたって」
今日パートが休みで家にいた母親は(なんだか)得意げだった、父親はかなり真剣に驚いている。
リクは、声にはしなかったが(父親の声が大きすぎたこともあるだろう)、相当驚いていた。
――明日から、どうなるんだろ……。
無論心配などしていない。ただ、明日からの「小林アユム」の姿が想像できなかった。
登校する、小林アユムは、アユムに対する態度は、
――そういうことか……。
納得のいくものだった。アユムは、学校にきていなかった。
「一つ目の連絡。六組の小林アユムが、家庭の事情で暫く学校に出てこない。みんな、家にいったりしないようにな」
担任は、ひどくあっさりとそういった。まさにいつもの「連絡」と同じよう。
リクはカイをみて、ふと思った、
――カイも何日か学校休んだっけな……。
記憶は曖昧だった。休んだような気がするが、それは「事件」の翌日からではなかったような気もする。カイの後姿からは……、わからなかった。
直接聞いてみるというわけにもいかないだろうな。
学校に暫くこれなくなったという小林アユムを心配する声はどこにもなかった、どこにも。
「調子にのりすぎだって」
「野球部のやつが、なにげにやりやすくなったとかいってたぜ」
「終わってるでしょ」
――カイのときとは、違うな。
それははっきり憶えていた。カイのときは、ほとんどみんな黙っていた。
直後に事件のことが話題になることはほとんどなく、ましてカイ自身を悪くいうものなどいなかっただろう。
じき、イジメられるようになるのだが。
「ばいりん」の事件は、いわゆる「食の安全」を揺るがす事件として、その後、ワイドショーや全国版のニュースでもかなり取り上げられた。
「前から怪しいと思ってた」などという町の人の声がテレビや雑誌で流れた、何度も何度も。
さらに社長、すなわちアユムの父親が暴力団と付き合いがある、などという話まで出てきて、町のシンボルでもあった白く輝く「ばいりん」社長宅すなわちアユムの家は、真っ黒に塗り潰された。
「あそこはもう終わりだよ」
町一番だった会社が名前も呼ばれなくなった。小林アユムは学校を休み続けている。
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