第1部 15
ピストルが鳴った、第一走がスタートした。
この緊張感、もちろんリクは初めてだ。意識と肉体がつながらない、自分の体じゃないみたい。
――地に足がつかないとはこういうことか。
そんなとこだけは妙に冷静だった。
二年の部はリクとカイのいる三組と六組が優勝を争っていた。六組はアユムがいるクラスだ。
最後のリレーは四〇〇メートルのグラウンドを一人半周二〇〇メートル。リクは三走、アンカーのカイにバトンをつなぐ。
跳んだり跳ねたり、体を動かす、
「ふぅぅ」
何度深呼吸したかわからない。
肩に腕がかかったのもすぐに気付かない、それが誰の腕かも、こんなことをするのが誰しかいないのも、すぐに意識できなかった。
いっていることも聞こえない、聞こえてるけど意識に留まらない、返事もしてる、頷いている、でも、意識に留まらない、ふわふわしている、体も、頭も。
「仮面がみてるぞ」
「みてないよ」
即座だった。仮面がみているわけがなかった。
空を見上げた、白かった、木々の梢の間からのぞいた空、城山だ、鳥の声が耳から耳へ刺し抜けた。
広がる空、太陽が眩しかった。
あ!!
どよめいた。転んだ、それは三組の二走だった。
最下位、しかし五位とはそれほど離れていない、でも最下位。リクの心身から力が抜けたようだった。
ほっとしたのだ。自分の情けなさが泣きたいほどだ。
「うん」
とリクは頷いていた。「勝とうぜ」とカイが囁いたことに。
一位から五位まで、団子というわけではない、一位二位三位は接戦、ちょっと空いて四位、またちょっと空いて五位、六位も少しずつ差を詰めている、詰めているぞ!
バトン!
「いけぇ、リク!」
体が軽い、腕が、足が、軽い、前を走る背中が近づく、こんなに速かったのか、自分の速さに少し驚く。
頭の右側、仮面だ、仮面の背中、仮面と背中、声が響いた、力が湧いた、「僕」は仮面が嫌いなのかもしれない……。
最後は必死で腕を伸ばした、手渡せ、掴み取るように、バトンを、カイに!
「いけぇ!」
喘ぐように搾り出した、カイの笑顔に向かって。
疲れた。さすがに疲れた。一〇〇メートルより前で五位を抜き、四位も抜いた、でも三位の背中にはなかなか追いつかない。
疲れた、手と足がバラバラになりかけ転びそうだった、追いつかない、抜けない、最後諦めてしまった。泣きそうだった、またしても。
カイ頼む、「僕」の分まで!
三組がリレーで一位になっても六組が三位以下にならないと逆転優勝はない。
「普通に六組が一位でしょ」
「六組の三位以下はありえねぇだろ」
「アンカーがアユムくんだし」
「ぶっちぎりだって」
上等。萌えるシチュエーションだ。
カイの中に、皮膚の一枚下に「別のなにか」がいる。体が熱い、もちろん気持ちも。
六組のアンカー小林アユム、ヤツを倒すことしか眼中にない。
クラス優勝なんかどうでもいい、ただ小林アユムに勝てれば。小林アユムのクソ笑い顔も、ヤツが当たり前に勝つと思ってるクソ野郎どもも、全員ぶっ倒してやる! みてろ!
と思っていた、第一走がスタートするまでは。
みんなの声援、自分たちのクラスの代表に向けられる熱い応援、必死に走るクラスメイト、転んで、痛みをこらえて走りきりバトンをつないだ、クラスメイトの悔しそうな表情、そして〝友だち〟の力走。
勝ちたい。
いや、優勝したい!
「いけぇ!」
爆発! 走り出して僅か、力を抜いた、いや、抜くように、軽く、軽やかに、飛ぶように。
「体を硬くするな、力を入れすぎるな、軽やかに、伸びやかに。風のように、そう」
風のように。
足を引っかけてやろうか。二位をコーナーで外から抜く、アユムの背中に足が届く、ほんの少し体を寄せれば……。
前に誰もいなくなった。鼻で笑うようにアユムを抜き去った。
自分のバカな思い付きを笑う余裕がカイにはあった。
アユムにカイの笑顔をみる余裕はなかっただろう。ゴールテープを切ったのはカイだった。
優勝を決めた六組は沸いていたが、三組のほうが激しかったかもしれない。
走者の分だけ、走者の(絶望からの)喜びの分、三組のほうが熱かっただろう、クラス優勝を決めた六組メンバーの分だけ、アユムの味わった屈辱の分だけ。
ゴールした瞬間、四人は抱き合っていた。熱い応援をくれたクラスのもとに駆け戻る、ことはせず。
足を引きずる仲間を両脇から抱え、ゆっくりゆっくり四人は戻っていった。
アユムに勝った。カイにとってしかし、それはすっかりどうでもいいことになっていた。
アユムの悔しそうな顔、恨めしそうに睨み付けてくるその視線を、カイは一瞬たりともみようとしなかった。眼中から消えていたのは、アユムだった。
ざわめくグランドの上空から飛び去ったドローンのことを気にかけるものは誰もいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます