第1部 14

 六月、日中はかなり暑い日がある。

 リクとカイの運動能力がクラスの中でも話題になり始めた。

 六月半ばには校内陸上大会がある。二人揃ってクラス対抗リレーのメンバーに選ばれた。

「ばれたら怒られちゃうって」

「ばれねぇって、絶対。俺とリクがいわなきゃ、ばれねぇよ」

 浮かれていたといっていいだろう。

「勝ちてぇじゃん、だって」

「僕だって勝ちたい。せっかく代表に選ばれたんだし」

 中学二年になって、陸上大会のリレーメンバー。考えもしなかった。

 カイはもともと運動神経はよく、走るのは速かった。小学校のときは運動会などでクラスの代表としてよくリレーを走ったりしていた。

 事件があって、まさかまたそこに戻ってこれるとは……。

 リクは、運動で目立つ子どもじゃなかった。運動意外でもほとんど目立ってこなかったが。

 カイなどをみてずっと憧れを抱いていた。まさか自分がリレーのメンバーに選ばれるなんて……。

 二人は、浮かれていた。

「ねぇ、マークってなに?」

 二人の話に入ってきたのは、隣の席の女子だった。

 

 戸塚エマは女子剣道部。小学校低学年のころから剣道をしていて、中学に入ってもすぐにレギュラーとして試合に出ていた。

 エマは女子剣道部の先輩たちが好きだった。優しくて、強くて、時に厳しい、先輩が大好きだった。

 大好きな先輩たちと少しでも長く剣道を続けていたい。

 試合形式の稽古が終わる、小休止。エマの隣に男が立つ。

「戸塚さん、どうした」

「え?」

 問いかけを、エマは息を整えながら聞き返す。

 いや、聞こえている、理解もしていた。男は山田という。

 山田拓也といい、みんなから「ヤマタク」と呼ばれていた。中学剣道部のOBで、この町の交番に勤める警察官である。ときどき、夕方中学にきて練習に参加していた。

「剣に迷いがある」

 息は上がっていないようだが、肩は大きく動いていた。

 そう、ヤマタクはみんなと一緒に疲れてくれる。この辺が口だけの先輩面したおっさんとは違う。

 顔は濃いがイケメンではない。そこがいい。

 背が大きくない。女子よりは大きいが、中学生の男子でもヤマタクより大きいのはいる。

 そこがいい。背が低くてゴツイ。速くて強い。

 基本声がデカイ人だが、囁くように声をかけられると、そこには優しさが溢れるように感じる。気色悪いほどに。

「……」

「迷い」という言葉に、エマは戸惑った。

 それは図星であるがおよそ受け入れたくない現実である。

 迷っている、そんなことはわかっている。

 迷っている。わたしは迷ってなんかいない、そんなはずはない。

 先輩たちとは夏の大会で最後なんだ。市の大会を決勝までいって県大会までが最低限、いきたいのはその先だ。

 見据える視線の先はぶれていない。一直線。

 試合で勝つために、勝ち進むために、体を動かす、竹刀を振る、速く、鋭く。竹刀を……。

 迷いは、剣に出るのか……。

「だいじょぶです」

 体は止まっていても汗は止め処ない、皮膚から湧き出て流れ落ちる。汗が目を襲った、目を瞑った、口に入り込んだ、しょっぱい。

「そうか。あまり自分で自分を追い込みすぎないように」

「はい」

 一拍の間が開いた、気のない返事だった。

「考えすぎるな」と、昔から先生にいわれる。「プレッシャーを感じるな」と。

 そんなことをいわれても、いわれれば余計に考えてしまう、感じないわけにはいかない、

「マーク」というクスリのことを知る。クラスの男子が話していた。

「誰にもいわないで」

 と話していた二人の男子からお願いされた。

 マークは、ドラッグやドーピングなどではない。

 どちらかといえばドーピングに近いが、体に悪いものではなく、副作用や負担もほとんどないかわりに効果も、「ほとんど意味がない」くらいに小さい、ということだった。

 二人が最近走るのが速くなったのは、そのクスリのせいではなく、

「走ることだ、城山など土の上を走ることは非常に効果的だといえる」

 カイがいうと、リクは「似てる」と笑った。無論、エマにはなにが「似てる」のかさっぱりだったが。

 そのクスリの効果を引き出すためには体を鍛えまくらなければならない、ということだった。

 地力が大きくなればなるほど、マークの効果は出る、という。

 練習はめっちゃしてる。欲しいのはまさしくその「ほんのちょっと」なのだから。

 迷いを払いたい、そのためにはクスリが欲しい、しかしクスリは……。

 迷いを払いたくてますます深く迷っていく……。

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