第1部 9
舞い落ちる、桜の花、風に、花びら、舞い踊る、春の日に、無数の煌き。
本丸跡のほぼ中央に立つ桜の大樹。花が風に吹き散っていく。花びらをちぎられて痛くはないのだろうか。樹は静かである。
苦しげな息遣いは、二人の少年だった、そんな二人の耳に言葉が届いた、桜の大樹から。
「ここの山桜は一週間ほど遅いようだ。一斉に咲いて一斉に散る、大勢の人で賑わう名所といわれる公園の桜より、この山桜のほうがわたしは好きだな」
後姿だ、幹に寄り添う桜の神、精霊は仮面を被っている……。
これほど花びらを散らせながら少しも色褪せない桜を見上げて仮面がいった。大きな独り言だ。
「花見の人間がバカ騒ぎしているあの桜はクローンだ。ソメイヨシノ同士では、自然交配で子孫を残すことはできない、よって、人の手によって、接木(つぎき)などで数を増やした。遺伝子マーカーを調べることで、日本各地のソメイヨシノが同一遺伝子を持つクローンであることは確認されている。多様性に欠ける。多様性こそ生き残る道、進化の鍵だといっていい」
つまらない話になった、仮面はそういって桜の木を離れて二人の少年に近づいた。
風がやんだ、桜吹雪もやんでいた。切り裂くように、高い声をあげて、二人と一人の間を鳥が横切った。
「走ってはいるようだ。マイクロバイオームが喜ぶものは食べているのか?」
リクとカイが黙って頷いた。どうやら本気のようだと、仮面の口が動いて笑った。
「本気でその子を殺すのだな」
「はい」
カイが、大きくはないがはっきりいい切った。
この日曜に城山を走るとリクが仮面に連絡を入れておいた。ただの報告で「きて欲しい」という意図はないつもりだった。
「人は、ときに簡単に死ぬ、あっけないほどな。しかし、殺すのは簡単ではない。わたしもやったことはないがな」
黙ったままの少年たちに、仮面は口元を引き締めて話を続けた。
マークはサプリメントのようなものだといった。
マークの効果をより大きくするためには、まず「健康であること」が大事だ。
「モデルになった男性と似たような微生物を持つこと、いわゆる相乗効果というやつだ」
その男性はほとんど山の中で暮らしていた。人体とは、そもそも多くの植物と少量の肉を食べるようにできている。そういう中で進化を重ねてきた。
山菜や果実を採り、獣を狩って食べていた。方法を真似することは難しいが、食事の内容は、
「人間のあるべき食事だといっていいだろう、あるいは微生物にとってあるべき」
現代人あるいは現代的な食事をとっていると食物繊維が不足しがちになる。食べるものによって、微生物の組成比も変わってくる。
「アッカーマンシア・ムシニフィラという微生物の存在量は、痩せている人と太っている人のマイクロバイオームを比べたときに違いの顕著に出るものの一つだ。痩せている人に比べると、太っている人の腸内にはアッカーマンシアはほとんどいない」
食べる、とは、人が食べる以上に微生物に食べさせる、ということだ。その考え方が、目的達成のための第一歩といえるだろう。
「お菓子などを一切食べるな、絶て、ということでもない。それによってストレスが溜まってしまってはかえって不健康になる。日常的に食べるな、ということだ。あるいは徐々に減らしていくように」
マークは、その人の能力を引き上げるものではない。持っている能力をより引き出すものである。
ベースを上げる、そしてマークと相性のいい体を作る。
仮面は最後にいった。
「わたしもこの場所が好きだ。実はわたしもここでたまに走ったりしている。森だ。木や土に触れるのだ。鳥の声を聞くことだ。きみたちわたしたちの中に森を育むのだ。その人を決定するのに、遺伝子のもつ役割は実はそれほど大きくない。どう成長するか、どういう人間になるか。選ぶのはきみたちだ。きみたちは、選べる体を持っている。感謝することだ」
誰に、ということは、仮面はいわなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます