ハッピーマーダー・リフレイン

南川黒冬

マーダー 1

 いわゆる現実逃避というのか、強面の刑事に詰め寄られているにもかかわらず、つい数刻前に幼馴染をその手で殺めた男子高校生……桐島道也きりしま みちやは「取調室って本当にドラマで見た通りだな」なんてことを考えた。


 道也には己の落ち着き様は異常だとも、それが単に実感が湧いていないせいだということも分かっていた。もちろん自分が人を殺めたという実感と、いつもそばにいた彼女にもう二度と会えないという実感だ。


 なにしろこの殺人は衝動的なものだ。凶器は傍にあったハサミだったし、今後も変わらない日常を送ることを疑いもしていなかったし、なんなら生涯そうあることを願ってすらいた。自死する人間は恐らく自分でもどうしようもない感情に突き動かされてそうするのだろうと考えていたが、殺人もそうなのだと道也は我が身をもって知ったのだ。



 無意識に一つ大きなため息を吐いた。それが気に入らなかったのだろう、刑事の態度から甘さが消えた。実際に見たのかそれとも詳細な報告を聞いたのか、幼気な女子高生がハサミで滅多刺しにされたという、凄惨な事件に対する怒りが遠慮なくぶつけられる。巨躯に見合った肺活量から放たれる声の衝撃は殴られたかと紛うほどで、真っ赤に染まった顔と目は化け物のそれだ。平時なら荒事にかかわりのない道也は震え、涙を流し、無意味に平身低頭して許しを請うところだが、やはり今の彼は冷静だった。

 心は波立たなかったが、それを表に出せばいよいよ殴られてもおかしくないと分かっていたから、顔を伏せた。




「どうして殺した」




 それが功を奏したのか、息継ぎの後に聞こえてきた声は冷静なものだった。


 現行犯逮捕だ、当然定型文じみた「お前がやったんだろ」などという質疑はない。後悔も悲哀も、それこそ衝動的に自死してしまうほどに、後になって押し寄せてくると分かっている。だから道也は、せめて罰してもらおうと正直に話すことにした。



「好きだったからです」


「好いていたのになぜ殺した」



 その問いに答えようとすると、嫌でも彼女の声がフラッシュバックする。道也はあの感情の片鱗を味わった。人生で最も深い絶望と、目の前が見えなくなるほどの怒り。しかしぶつける対象のない怒りは、ただ強大な悲哀に取って代わった。彼女がもういない悲しみではない。彼女の気持ちが自分と同じではないことへのだ。



「彼女が俺以外の誰かを『かっこいい』と言ったからです」



 それだけで、と言われることは分かっていた。だが本当にそれだけなのだ。ただそれだけの言葉で、ただそれだけの幕間で、道也は正気を失い、これまでとこれからの幸福を捨てたのだ。



「そうか。老いて美しさを損ねるからでも、お前の愛情表現が他とは異なっているからでもなく、妬みか」



 肯定しながら、道也は顔を上げた。違和感を覚えたからだ。今の無礼な物言いも、冷たい声音も、他人のことであれだけ怒れた正義感の強い刑事とは重ならない。


 案の定言葉を交わしていたのは刑事ではなかった。「案の定」と言っても驚かなかったわけではない。むしろ道也は短く悲鳴を挙げ、椅子ごと盛大に転がる程に驚愕した。

 いつの間にやら現れていた男は、鬼の形相で固まった刑事の頭に尻を、机に長い足を乗せて悠然と座していたのだ。



「普通だな」



 道也は余りにも信じがたい状況に、自身の罪の動機を貶されたことにも気づけなかった。

 刑事は何も男の振る舞いを許容しているわけではない。ましてや現に自分は彼女を殺害しているのだ、質の悪いドッキリなどでもない。だというのに、取り調べを担当している刑事も補助者も、比喩でも誇張でもなくピクリとも動かないのだ。



「驚くな。俺にはそういう力があるというだけだ」



 何でもない事のように言いながら男は尻の下にある刑事に触れた。やはり刑事は動かない。

 男が何かをしたことは間違いがなさそうだ、そう道也が確信する前に、刑事の顔がぐずりと溶けた。まるで果物が腐り落ちるかのように皮と肉が剝げ、真白な骨が露出する。ごろりと眼球が落ち、残ったうろと目が合った。



「――――」



 ひゅっと短く息を吸い込む。



「騒ぐな。ちゃんと生き返らせる」



 本来吐き出されるはずだった叫び声は、疑問の声に変わった。たった今見た凄惨な光景は瞬きの後に失せた。今眼前にあるのは相も変わらず恐ろしい顔の刑事と、その上に座す男だけ。

 道也は今更に己の正気を疑った。自分は彼女を殺した時に狂っていて、今見ているのは幻覚なのかと。それとも彼女を殺す前から、或いは彼女があんなことを言う前から。



 その淡い希望は、眼前で融解と再生を繰り返す刑事を見て雲散霧消した。



「理解したか?」


「わ、分かったから、もう、やめてくれ」


「何を理解したんだ」


「お、俺は、あさひを殺した」


 間違いなくこの手で彼女の目を抉り、皮を裂き、内容物をぶちまけた。本来なら白骨程度で騒ぐのも許されないほどに、この身は罪深い。



「それから?」



 道也は俯き、刑事から目を逸らしながら自身の腕時計を確認した。止まっている。

 信じがたかったが、どうやら認めなければならないらしい。



「あんたは、時間を操れるのか……?」

 

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