進め日本人

古井論理

本文

「新型コロナウイルス感染症」

「COVID-19」

 呼ばれ方はどうでもいい。そこに「ある」ことが大切だ。この荒波をもたらす台風の本体にして元凶たる新たなウイルス。巻き起こした強風は多くの人の命を奪い、巻き起こした荒波は全ての存在を一度その混沌の海へと呑み込んだ。そして富は貧しき者から富める者へと再分配された。そんな波の中の日本では、自由民主党の総裁選挙が開幕した。

「日本の防衛力を高めましょう、このままの人事体制でいい。変えるべき道は安部前総理が示した通りに」

「政府が強すぎる!もっと党を重視しましょう」

「党に所属する議員の男女比に占める女性の割合を上げるべきです!」

 そんな先鋭化した主張が飛び交い始める開幕以前に尖った主張を出し、党内の改革を進める考えを明らかにした男。その考えは最初のうちこそ尖っていると見なされたが、他の候補が出揃うにつれてその尖りは相対的に丸くなっていった。

「総裁以外の党役員の任期に制限をかけます。デジタル化も推進します」

 保守的な自由民主党を大きく変える、こんな主張が丸く捉えられるという事実が状況の切迫度を表していたのかもしれない。4人の候補によって戦われた総裁選で選ばれたのは結局、妥協点ともいえる「最初に尖った男」であった。

 第100代内閣総理大臣になる男、岸田文雄。この男に決まったと言う事実が日本にとって幸運になるか不運になるか。そんなことなどわからない。分かるはずがない。物事が「いい物事」「悪い物事」のいずれか一つだけであることなど「あり得ない」のだから。すべてのものは、「良い面」と「悪い面」を持っているのだ。今度の政権もそうに違いない。

 重ねて言うが、物事にいいも悪いもない。それは歴史が証明している。「多くの人命を失った」として「悪いもの」だと考えられることが多い戦争だって「技術の発展をもたらした」と考えれば「いいもの」である。戦争によって生じた技術の発展はすごい。戦争がなければ電子レンジも灯油缶も、もっと言うなら飛行機や自動車、スマホのタッチパネルだってそもそも作られてすらいないかもしれないのだから。

 少し本題から外れたが、これまでの政権を批判する人がいる以上これまでの政権には悪いところもあったのだろう。しかし、悪いところだけを見ていても何も始まるはずはない。良かったところはどこで、悪かったところはどこなのか。それが分からなければ何も良くならない。批判だけしていても世界はいい方向には変わらない。批判だけして世界がいい方向に変わるなら終戦以来四六時中批判され続けた日本の政治は完璧なものになっているはずである。批判するなら自分たちの意見が大勢を占めるように宣伝と主張の精査を繰り返すべきである。決して力で押しつけてはいけない。力で押しつけるようなことをすれば、いずれボロが出る。これまでの政治スキャンダルがそうであったように。

「ボロが出たって隠蔽するんだろ」

 そういう声も聞かれる。それを非難するのは大変結構なことだが、ボロが出た際の対応が「なってない」と感じる政府を作り上げたのは国民である。隠蔽する政府も変わらなければならないが、そんな隠蔽を行う政権と比較しても低い支持率を見て、国民からの広い支持を集められない自分たちにも変わる必要があるという認識を持った方がこの国がより良くなる可能性を高くできるのではないか。

「管やめろ」の次に聞かれる声は「岸田やめろ」であることは簡単に想像できる。しかし岸田文雄総理大臣に向けられるその声は、おそらく機械的なものである。現野党の総裁が総理大臣になっても、その機械的な声は響き続ける。なぜならその声を上げ続ける者には自分から日本をより良くする気概が欠けているからである。

 この荒波の中を日本という国が沈まず駆け抜けていけるのか、それはわからない。日本は滅ぶかもしれないし、経済力が低下するかもしれない。しかしこの地球に存在する全ての国はそんなことなど気にせず、波にもまれながら踊っているのだ。その踊りについていけるかどうかは、志の高さに大きく依存するだろう。すべての人は、他人の志を変えることはできない。志を高く持つ国民が増えることを祈ることしかできない。岸田総理は選択をするであろう。それがどんな選択であれ、その選択はそれまで国民が行ってきたことに基づくことだと忘れてはいけない。そして、あなたが思っていること、あなたの賞賛や批判、あなたの思う間違いや正しさの基準が明確な根拠に基づくことであることを確認しなければあなたは未来の過ちに加担するかもしれない。愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶのだ。歴史をしっかりと学ばなければ過ちは繰り返されることは歴史が証明している。

 最初に「妥協」と書いたが、妥協は悪いことではない。妥協はより多くの意見を通すための一つの方法である。妥協せず多数派の意見だけ通すのは民主主義におけるマナー違反だと覚えておいてほしい。少数意見も通さなければならない。

「自分が嫌いな表現やコンテンツ、コミュニティが潰されるのは一向に構わない」と言う人がいる。私は、その発想は極めて危険だと感じる。嫌いなものを潰せた実例ができれば、あなたが好きな表現やあなたが好きなコンテンツ、あなたが属するコミュニティも潰される危険にさらされることになるのだから。ナチスドイツにおける迫害も「自分が嫌いなものが潰されるのは一向に構わない」という民衆の支持を得て広まったといえる。あなたがあなたの主観だけで迫害を許容することは、あなたを危険にさらすと知ってほしい。いついかなるときでも迫害に対して寛容であってはいけないと肝に銘じるべきだと思う。歴史の負の面についても事実の認識をしてほしい。「『この林檎はおいしい』という文の中から事実であることを抜き出せ」と問われたときに「林檎はおいしいということ」と答えるようでは陰謀論に踊らされ、主観だけで動くことになるだろう。文章が読めるようになれ。

 火の粉を払って世界は踊る。「足を踏むなよ」とお互いに声にならぬ懸念を抱えながら。その中で日本がうまく踊り続けられるかは、全ての有権者にかかっているのである。華麗なダンスを見たいなら、全ての人が志を高く持つ必要がある。自分の主張を精査し、歴史をしっかり学び、自分が嫌いなものに対する迫害であっても迫害は全力で阻止し、正しく事実を読み取って行動する。それが自由を保ち、世界をよりよくする第一歩であると私は思う。

 総裁選挙から論を始めて随分と私の持論を展開しましたが、総裁選挙を論の始めに持ってきたのは政権批判「だけ」したり賞賛「だけ」したりする人が多いからです。長文を読んでいただきありがとうございました。

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