第八章 作戦開始

 深夜二時を過ぎた頃、誠は徹の家の前にいた。盗人集団が比較的多く住む街とは言え、草木も眠る丑三つ時だ。しかも今は例の連続殺人の件で、裏の仕事は皆控えている。だから出歩く者は、全くと言って言い程見当たらなかった。

 一月末のこの時期の夜は、めっぽう冷える。だからか少しでも外気を遮断しようと、シャッターや雨戸を閉めている家が多い。徹の住む長屋も同じだった。

 周囲は静寂に包まれている。そんな中、誠は先日和美から受け取った型を使って作成された合い鍵を取り出し、玄関の鍵穴に差し込んだ。

 彼女は徹が尋ねてきた日、風呂へ入っている間にハンドバックから長屋の家の鍵を抜き出し、型を取っていた。誠は仮にもノビ集団に属する盗人だ。合鍵があれば家への侵入など容易い。

 しかも相手は春香がすり替えた睡眠薬入りの栄養ドリンクを飲み、今頃爆睡しているはずだ。そんな状態なら、彼女から受けた策略を施すなど決して難しい作業ではなかった。   

 しかし何らかのアクシデントが起こり、ドリンクを口にしなかった場合も想定しておく必要がある。そんな時こそノビとしての腕の見せ所だ。

 よっていつものように油断せず音を立てない様に扉を開け、彼らが眠る寝室へと侵入した。事前打ち合わせで教わっていた為、二LDKの間取りもしっかり頭に入っている。

 規則的な寝息が二つ聞こえた。徹と良子だろう。どうやら薬が効いているのか、熟睡しているようだ。それでも慎重に、目的の石油ファンヒーターへと近づいた。

 それなりに修繕しているとはいっても彼らが住む長屋は古いので、冬は寒く夏は暑い。その為、かなり強力な石油ファンヒーターを使用しているという。

 誠が与えられたのは、そのヒーターに仕掛けを施す役割だった。まず不完全燃焼防止装置が作動しないように故障させる。その後空気の取り組み口へ事前に用意しておいた大量の埃を吸い込ませて塞ぐように、と春香から指示を受けていた。

 同じものが和美の家にあった為、どうすればよいかは既に学習済みだ。密封させた袋を取り出し、間違えて自分が吸い込まないよう息を吹きかけながら、少しずつ埃を入れていく。こうしておけば、時間が経つにつれ詰まることも確認している。

 その上春香が事前にすり替えた栄養ドリンクは、後に警察の捜査が入っても疑われないよう、徹自身に購入させたと聞いていた。もちろん春香の指紋が残らないように渡したらしい。現役のスリ師である彼女だから、できる芸当だろう。

 よって二人が予定通り飲んでいたならば、そう簡単に起きるはずもない。そんな状態でヒーターが不完全燃焼を起こせば、一酸化炭素が発生するはずだ。

 そうなれば事故または自殺に見せかけ、隣室で眠る忠雄共々中毒死させられる。この一連の計画は、春香が立てたものだ。

 上手くいくかどうかは五分五分だが、それでいいと彼女は言っていた。上手く死ねば儲けもので、失敗してもまた別の機会を待てばいいとの話だった。恐らく複数の策略を企てているのだろう。

 しかも今は街で起こっている殺人事件によって、集団の幹部が次々と亡くなっている。ここで樋口家の頭領を含めた人達が亡くなれば、彼達が犯人だと警察は思ってくれるかもしれない。追いつめられて自殺したとも取れるからだ。

 その上街の幹部が少なくなればなるほど、自分が幹部へ昇格する可能性は高まる。そうなれば実入りも良くなるに違いない。不謹慎かもしれないが、誠にとって連続殺人が続けば続くほど喜ばしい状況だった。

 それどころかあの長屋にいる樋口家の人間が皆死ねば、街の運営に欠かせない会社の実権を握るのは、唯一生き残った樋口家の女性だ。そうなれば、彼女達の計画に加担した誠にも、当然大きな見返りが期待できる。

 上手く取り入れば、今のような厳しい経済状況から脱せられるに違いない。だからこそ、危険を犯してまで参加したのだ。それ程早く貧困から抜け出したかったのには、それなりの理由がある。

 誠が街の住民となったのは九歳の頃だ。知らない大人の手に引かれ、街の仲間が経営する施設へと預けられた時の事を今でも覚えている。母は誠が三歳の時失踪した為、どんな顔をしていたか記憶にない。

 そうなった原因を父に問い質してみたが、

「あいつはお前を捨てて逃げた」

としか教えられなかった。それでも大人になった今では、なんとなく分かる。おそらく父の浮気性に愛想を尽かし、誠の育児にも疲れたのだろう。

 父は高校を中退して、とび職をしていたらしい。当時はバブル景気に湧いていた頃で給与や待遇も良く、仕事も順調だったようだ。

 独身で三食付きの寮生活をしていたから、金の使い道も限られていたのだろう。未成年でありながら、先輩達に連れられて毎日のように夜遊びをしていたという。

 そんな中で知り合ったのが誠の母だった。父が十九歳で彼女は十七歳の時だ。年齢を偽って勤めていたスナックのホステスと客の仲だったが意気投合し、付き合うようになったと聞いている。

 やがて母の妊娠を機に父は寮から出て、一緒に住む部屋を借りたそうだ。しかし当初は仲が良かったけれど、父は女癖が悪く母の他にも複数の女がいたと発覚してから、状況は一変したらしい。

 後にとび職を辞めてホストになる父は、顔も整っていて体も鍛えられていた為か、相当モテたようだ。それが災いし、数々の浮気が母にばれて喧嘩が絶えなくなったという。

 ただ浮気をしていたのは、母も同じだったらしい。父と暮らし始める前にも、相当数の男と関係を持っていたという。誠を産んだ後も父が働きに出ている隙を狙って、男を連れ込んでいたそうだ。

 育児について、初めは二人共熱心だったらしい。仕事で忙しい父も、休みの日は積極的に世話をして、母の負担を減らす努力はしていたと聞く。

 しかし誠がかなり手のかかる子だった為、どんどんと様子が変わっていったという。どうやら周囲の同じ年の子に比べて発育が遅く、短い言葉しか発しなかったからだ。

 それが母に、大きなストレスをかけたのだろう。十九歳という若さで子供を産み、遊びたい盛りの時に我慢を強いられただけでも耐えられなかったに違いない。

 その為か、ある時から突然誠の世話を放棄し始め、かつての店の客や男友達と遊ぶようになったようだ。

 後に知ったが母子家庭で育った母自身も、幼い頃より親からまともに相手をされていなかったらしい。同じく水商売をしていた徹の母方の祖母も男運が悪かったのか、母を産む前から逃げられたと聞いている。

 養育費も払われず、生活は苦しかったそうだ。しかも家族からはシングルマザーになったことを責められ、家を追い出されたのである。よって祖母も生きる為には、働くしかなかったのだろう。

 だがその分子供に愛情を注いだり、育児に力を入れたりするような余裕が無かったのかもしれない。その為ほったらかしにされて育ったようだ。

 そうした影響からか、やがて成長するにつれ母は祖母と疎遠になり、家を出て自分でお金を稼ぐようになったと聞いている。そうした反動で温かい家庭に憧れ、父と関係を持った母は、子供を産んで自分はしっかり育てようとしたのだろう。

 だが現実は厳しかった。育児は思った以上に大変で、父が多少手伝ったくらいでは楽になるはずもない。しかも通常より手がかかるとなれば、嫌気が差しても不思議ではなかった。

 元々彼女はガサツなところがあり、結局そうした性格も自分の母親から受け継いでいたのだろう。また愛情を注がれた経験が無かったからか、そうした母性も持ち合わせていなかったのかもしれない。 

 やがて男との浮気が父にばれ、喧嘩はさらに激しくなった。そこでとうとう母は誠を置いて、別の男と一緒に姿を消したのである。 

 残された父は困惑したようだ。母と籍だけ入れていたが、彼女の母親とは会ったことすらなかったらしい。その為探す当てもなく、また子供を預ける先もなかったという。

 それは父方の親にも問題があったからだ。父も母子家庭に育っていた。母と同じ環境に育った点も、彼女と意気投合し結婚した理由の一つだったらしい。

 同じように父親の顔を知らず育った父の家庭も貧しく、母親は働いてばかりで碌に父の相手をしなかった。それどころか男を家に連れ込んでは一緒に住み始め、別れたと思えばまた次の男と暮すという生活をしていたようだ。

 そうした環境から逃れたかった父は、一度高校に進学したものの、自分で金を稼ぎ自立しようと考えた。その為学校を中退し知人の伝手を使って寮がある会社に入り、とび職を始めたのである。

 そんな状況だから、誠を自分の母に預けようとは考えもしなかったのだろう。それ以外の親戚付き合いも全くしてこなかった為、手を差し伸べてくれる人は身内に誰もいなかったらしい。

 結局父は会社に泣きついて、再び寮に入れるよう頭を下げた。誠については、近くにある保育園へと預けられたのだ。

 けれどとび職の勤務時間は、現場によってまちまちだった。それでも基本は朝七時過ぎから移動し始め八時から働き、夕方五時には終わる。しかしその後会社に戻ってからの雑務もある為、終わるのは夜の七時を過ぎることが多い。

 一方保育園は、朝八時半から夕方四時半まで預かるのが原則だった。だがそこは開園が七時からだった為、家庭事情も考慮してもらい、現場に向かう車へ乗る前に誠を預けることを承諾してくれたのだ。

 また帰りも延長保育をお願いし、閉園時間が七時なのになんとか面倒を見てくれた。それでもほぼ十二時間預けていた為、料金は馬鹿にならなかったという。

 その上肉体労働であり神経も使う危険な仕事だった為、帰宅してから子供の世話をするような気力や体力は全くなかったらしい。

 当然ながらそんな大人の事情に、子供は配慮などできなかった。それどころか長い間父親と離れていたからか、顔を合わせば無邪気な顔で喜び騒ぎだしていたという。もちろん夕飯も食べさせなければならない。父自身もお腹を空かしていたはずだ。

 幸い寮では食事を作ってくれるおばさんが、子供の分まで用意してくれていた為助かってはいた。その分給与から食費分は引かれたが、自分で準備する手間を考えれば安いものだ。

 それでも食べさせるのは、親の役目である。そこで言う事を聞き、大人しくしていれば良かったのかもしれない。

 だが誠は母が手を焼いて、放り出した程の子だ。うーとかあーとか大声を出したかと思えば、急に立ち上がって部屋の中を走り回ったりもしたらしい。

 心身共に充実した状態であっても、子供の世話は大変だ。ましてや疲れ切った体で、手がかかる子の面倒を看るには限界がある。

 それに同僚達は皆、食事を終えれば街の繁華街に繰り出し、酒を飲んだり女と遊んだりしていた。そう思っただけで腹が立ち、

「なんで俺だけが、こんなことをしなければならないんだよ!」

と頻繁に怒鳴り散らしていたという。その頃から誠は度々殴られるようになったのだ。

 しかし寮にいる間は周囲の大人達が止めに入ったり、可愛がってくれたりする同僚や食堂のおばさん達がいた。その為度を超すような暴力までは、至らなかったらしい。

 問題が起こったのはその頃バブルが崩壊し、会社の業績が一気に悪化したことだ。父が入社した頃は、十代後半なのに年収は軽く五、六百万はあったという。ベテランともなれば、一千万超の収入があったと聞いている。

 けれど父が寮に戻った頃から仕事は減り続け、給与もどんどんと下がっていた。それでも何とか会社は耐えていたが、徹が六歳になった頃突然倒産し、廃業に追い込まれたのだ。

 これには同僚達も慌てた。いきなり職を失っただけではなく、寮からも追い出され住む場所もなくなったから当然だろう。しかも父には子供までいたのだから、パニックになったとしてもおかしくない。

 新たな住居と職探しに、父は奔走ほんそうしたようだ。しかしとび職として雇ってくれる会社は、当時皆無だったという。その時代業界自体不況で仕事が激減しており、人手は余っていた。その為当時二十七歳と若く、働き盛りで経験もそれなりにあった父でも採用されなかったらしい。

 多少の蓄えがあったとはいえ、高校を中退してとび職しかやってこなかった父が、突然子連れの無職となったのだ。アパートなどもなかなか入居させてくれるところが見つからなかったという。

 かつての同僚や先輩達に声をかけ、なんとか頼み込み部屋を転々としていたが、長居などできるはずもない。彼らも決して裕福ではなく、自分達の生活を維持するだけで必死だったからだ。

 その為野宿する場合も珍しくなかった。そうした状態が続いた為、目に余ると心配した周囲からの勧めもあり、父は児童相談所を訪れて誠の保護を依頼したそうだ。 

 事情を聴いた職員は父が再就職し、住居が決まるまでの間は子供を保護する必要があると考え、幸いにも受け入れてくれた。結果誠は養護施設へと預けられたのである。

 子供という足枷が無くなった父は、自らの寝床を確保する為に女の部屋に転がり込むという手段を取った。母と付き合っていた頃から、そうした女性は数多くいたからできたのだろう。

 やがて世話になっていたホステスの紹介により、父は寮があるホストの仕事へ就くようになった。女受けのする容姿やこれまでの経験から、父に合った働き口だったようだ。

 時代は不景気だったが、バブル期に大層稼いだ者も中にはいる。また父のように金に困り、水商売に身を投じた女達も多くいた。そういった人達のストレスの捌け口として、ホストクラブはそこそこの需要があったらしい。

 父はその店でそれなりに稼ぎ、一年で寮を出て部屋を借りられるまでになった。しかし子供を引き取ろうとはせず、気ままな暮らしを続けていたのである。

 その頃施設で暮らしていた誠は、小学校へと通い始めていた。それまでは施設内で教育などを受けていた為、大きなトラブルは起こさなかったらしい。

 だが外部の子供達と触れ合う機会ができた頃から、周囲の大人達を困らせる行動を取り始めた。例としては、授業中でもじっとしていられず動き回ったり、奇声を出し続けたりしたようだ。

 当初は教師達も施設側からの引き継ぎを受けていた為、ある程度の覚悟はしていたという。それでも予想を上回る異常行動に手を焼き、苛立ち始めた。

 施設側もこれ程になるとは思っていなかったらしい。入所当時には見られた奇抜な行動も徐々になくなっていたので、そこまで酷くなるとは想像していなかったようだ。

 しかし環境の変化に誠はどうやら不安を感じていたようで、症状が悪化してしまったのかもしれない。学校側としては他の保護者から苦情が出始めたので、施設側に対応を求めるようになった。

 だが言われた方も、手の打ちようがなかったのだろう。そこで対策を練り始めた施設側の行動が、後に大きな影響を与えたのである。驚いたことに施設でも引き受けられないと判断し、父親の元へ返すのが望ましいという結論を出したのだ。

 詳しい経緯は良く分らない。だが誠を引き取ったきっかけが父親による虐待でなかった点や、無職による住宅の確保が困難だった状況が要因となっていたからだろう。

 施設側は父の環境に変化がないか調査した所、職を得ただけでなく、部屋を借りている事実を突き止めたという。つまり追い出す口実を探して見つけたようだ。

 父は施設側と定期的に連絡を取っていたらしい。ホストの職に就いたことも伝えていたという。だが当初は不規則な労働時間を鑑みて、引き取って育てるのは無理だと言っていたそうだ。施設側も当初それを了承していた。

 しかしいよいよ誠が手に余り出し、面倒を看られないと考えた施設は、部屋を借りて女性と同棲しているという情報まで掴んだ。そうした事実を盾に、子供の保護を解除すると通告したのである。

 実際は決まった女性と同棲していた訳でなく、何人か連れ込んでいた程度だったらしい。そうした事情を説明しても、施設側は部屋を借りている事実を隠していた点を重く見て、取り合わなかったという。

 結局誠は強制的に、父の元へと戻された。ここで理解のある人が学校や施設、または児童相談所側にいれば、子供を健全に育てられる環境でないと直ぐ分かったはずだ。

 しかしこの頃、児童虐待に関する相談所への問い合わせが急増し、職員の手が回らない状態であったことも影響したのだろう。次から次へと起こる問題や保護児童の急増に、学校や施設も対応しきれなくなったに違いない。

 そこで少しでも問題が無いと判断される案件は、出来るだけ手放したかったのだと想像できる。このような判断ミスは、大きな社会問題として取り扱われている現在でも無くなってはいない。

 年に何十人と発生する児童の虐待死は、幾度となく救える機会がありながら起こっている。多忙またはもう一歩踏み出せなかったとの理由付けにより、多くの大人達から見逃されてきた結果だ。

 誠の場合も下手をすれば、そうなっていたかもしれない。現に施設を追い出され引き取らざるを得なかった父は、問題児扱いする小学校の教師達による度重なる注意や説教に辟易していた。

 その為誠は不登校児となり、一日中部屋に閉じ込められるようになったのだ。父は夜になると出かけ、朝方酒の匂いをぷんぷんさせながら帰宅する。時折女と一緒に戻り、行為を始めたりもした。

 そのまま眠りにつき、起きてくるのはお昼を過ぎてからだ。部屋の間取りは一DKだったが、その間誠はクローゼットの中でじっとしていた。居場所はそこにしかなく、寝る時も起きてからもトイレや風呂に入る時以外はそこで暮らしていた。

 よって父が連れて来た女達の多くは、誠の存在に気付かなかったようだ。中には父が眠っている時、トイレへ行こうとこっそり外へ出て来た所にばったり出くわした人もいた。

当然相手は驚き、どういうことかと父を問い詰めたが

「一時的に預かっている、姉貴の子だ」

と嘘をつき、誤魔化していた。その後女が帰ると必ず誠は殴られた。

「何度言ったら分かる。人を連れて来た時は出てくるなと言っただろ。その為に中でもできるよう、わざわざおまるを置いているんだ。どうしてもしたくなった時は、そこでしろ!」

 確かにまたがって出来る小さな便器が、クローゼットの中に用意されていた。しかし誠はどうしてもそれを使うことに抵抗があり、なかなかできなかった。

 使おうとしても便意が引っ込んでしまい、スッキリと出ないのが気持ち悪かったのだろう。また使った後の処理も自分でしなければならなかった事も、原因の一つだったかもしれない。

 そんな生活が一年余り続いたところで、父が店を首になった。表向きの理由は年齢も三十になり、指名してくれる客が少なくなったからだという。

ただでさえ始めたのが二十七の時だ。ホストとしては若くない。その為次々と若いホストが入店してくると、客もそちらがいいと移り始めていたらしい。

 指名客がいないと主な仕事はヘルプだ。指名されたホストに付いた客の手伝いだが、自分より若いホストの下に付く役目は屈辱的ともいえる。

 それを割り切ってこその仕事なのだが、父は我慢できなかったのだろう。その為稼ぎ頭の若手や店から嫌われ始めた。それだけで済めば良かったが、彼は余計な真似をしてしまったのである。

 それは同じく店側に虐げられていたベテランホストを味方に付け、若手達に喧嘩を吹っかけた事だ。しかも十数名の乱闘騒ぎになった為、警察が駆け付け父は首謀者として逮捕されてしまった。

 父が留置されている間、誠は再び児童相談所に保護された。ただこれまでの経緯もあり、預け先の施設をどこにするか相当揉めたらしい。

 そうして最終的に預けられたのが、山塚の街で表向きの顔として開設した託児所だった。そこには堅気の子供達も一部いたからだ。

 しかし主に街の住民達の中で訳あって育てられる状況で無い子や、障害を持つ子等の面倒を看る目的でつくられた場所だったと、後に知らされた。

 しばらくして、店や相手に示談金を払った為に罰金刑で済んだ父は解放された。幸い双方とも、大した傷を負った者がいなかったからだろう。

 警察署を出た父は、その足で誠を連れて帰ろうとしたようだ。釈放時に刑事や児童相談所の職員達に言われ、いずれまた追い出されるはずだから、面倒な説教を受ける前にと施設を訪れたらしい。

 そこで彼が無職の状態で前科もあり、これまでの経歴などを知った施設の職員が街にスカウトしたのである。対応したのが街の住民の一人で、徹の父や他の集団の頭領達に相談していたらしい。

 理由としてはこのまま父親に渡しても、子供がまともに育つはずがないと危惧した点だろう。誠には発育の遅れからか若干の知的障害が見られ、虐待されたであろう傷も見つかっていた。

 さらに根気強く父に語りかけ、これまでの生活状況を聞き出した職員は、このままだと間違いなく不幸な道を進むだろうと確信したらしい。そうした人間は、街の中にも大勢いたからこそ気付けたのだろう。

 よって無職である父親に、こう声をかけたそうだ。

「お前、昔とび職をやっていたようだな。しかも罰金刑のみとはいえ前科持ちだ。これからまともな職に就こうと思っても、そう簡単にはいかないだろう。どうだ。俺達の仕事を手伝わないか。そうすれば、子供はこのまま施設で預かってやれる」

 そうして入ったのが、ノビを主とする窃盗集団だった。高所など危険な場所でも動ける前職が買われたのだろう。もちろん堅気の仕事として建設現場を手伝う日雇い労働の役割を与えられ、住む場所も新たに紹介された。

 こうして父はノビとしての修行に打ち込む傍ら、不定期に入る堅気の仕事もこなしながら街の住民となった。さらには施設にいた誠も集団の子として認められ、後の戦力になるようにと様々な訓練をさせられたのである。

 知らぬ間に犯罪者集団に取り込まれた形となったが、それは不幸中の幸いだった。というのも施設における教育により、誠の奇行が成長するにつれて収まったからだ。

 街にはこれまでにも、色々な環境に育った不幸な子供達が大勢いた。障害を持っていようが貧困にあえいでいようが、そうした児童を死なせず救う。そうした理念が、昔から脈々と引き継いでいたのがこの街だった。 

 よって数々のノウハウが蓄積されていたおかげで、誠の発達障害を改善させられたのだろう。元々は放置され学ぶ機会を奪われていた為に、知恵遅れとなっていただけだったらしい。

そこで時間をかけ、じっくりと一から教えていくにつれて誠は急激に成長を遂げたのだ。高校を卒業する頃には、ごく普通の学力を持つまでになったのである。

 奇抜な行動も鳴りを潜めた。昔を知る人間が見ればあの問題児だった子供だとは思えない程、ごく普通どころか立派なイケメン男子と呼ばれるまでに育つことができたのだ。

 父親譲りの端正な顔立ちと、訓練と実践で鍛え上げた細マッチョの体が女達を魅了した。街の女達はもちろん、堅気の娘達からも好かれ、ホストにならないかとスカウトされたこともある。

 ただ父がそうだった頃の悪い思い出が残っていた為、その道に足を踏み入れる気は無かった。それでも抱く女に困りはしなかった。それ程多くの女性と関係を持ってきたのだ。

 しかし父と同じ過ちをしてはならないと肝に銘じていたので、避妊だけは気を付けていた。さらに同じく父の血を継いだのかノビの才能も開花させ、若くして有能な戦力と見なされるほど集団の中では重宝された。

 そのせいか表向きの仕事は、契約社員という不安定な郵便職員を割り当てられ、多くの裏の仕事を手伝うようになったのである。

 だが時代はノビの仕事をやりにくくさせた。家庭用のセキュリティサービスや防犯カメラの発達などにより、数をこなして儲けることが困難になったのだ。

 その為念入りな下見がより必要だった。しかし一度成功すれば大きな収穫を得られるケースもあったけれど、日々の生活が楽になる程の稼ぎは期待できなくなっていた。

 そうした背景もあって、誠は表の仕事でも一生懸命お金を稼ぐ必要に迫られていた。だから和美や良子の誘惑に乗ったのである。もちろん同様な手を使い、関係を結んでいる女達が他にもいたことは、まだ彼女達にもばれていないはずだった。

 和美に呼び出され、この計画を教えられた時は驚いた。それでも実行に加担したのは、誠にとっても悪い話でないと思ったからである。

 樋口家に特段恨みはないが、良子の存在はかなり厄介だと感じていた。貯金をしてくれるなど、郵便局員のノルマに貢献してくれたのは有難い。

 だがそれを利用し、関係を迫って来た行為には辟易していた。しかも所詮は徹名義の金であり、彼女は誠に好意を持って近づいたとはとても思えなかったからでもある。

 おそらく和美との繋がりを知り、同じような手を使ったに違いない。徹の件もあるからか、良子は彼女に対して異常なまでの嫉妬心を持っている。だから和美の寵愛を受けている誠に、ちょっかいを出したに過ぎなかった。

 しかし分かっていても、業績が上がる事には違いない。また一度預かった貯金を奪われては成績に響く。その為止むなくずるすると関係を続けていたが、一彦の誘拐に一役買わされてからは、早く手を切りたくて仕方がなかった。

 実際に殺すとは聞いておらず、無理やり共犯者として巻き込まれただけでも腹を立てていた。それに恐ろしくもあった。街では連続殺人事件が起こっていた為、あの手口からすると犯人は、彼女かもしれないと本気で疑った程だ。

 和美とも似たような関係を持っているが、彼女の場合は貯金を餌に無理やり迫られたわけではなかった。年の割に目鼻立ちがはっきりとして若々しく、女性特有の柔らかい適度な脂肪を身に纏っている彼女に、誠は魅かれていたのである。

 実際抱いてみると、傷一つない真っ白な体が徐々に赤く染まっていく様子を見て、本気で夢中になった。二人の関係は、ノルマへの協力だけの結びつきでは決してない。

 十五歳も年上だが、そんな年齢の差など感じさせない和美を少しずつ愛し始めていた。年上が好みだったのは母親の顔を知らず育ったからか、マザコンの影響があったのかもしれない。

 だが彼女には家まで与えられている徹という男がおり、彼への好意も失われていないとうらやんできた。だからこそ良子と関係を持つ度に、後ろめたい気持ちを感じてきたのだ。

 その一方で和美とは違う、彼女の薄黒い肌と首筋にある火傷のような醜い傷跡を見せられ、嫌気が差していた。しかも彼女は和美への対抗心からか、何とか綺麗な顔にしようといつもアイプチなどで奇妙な化粧を施している。

 その為時々垣間見せる表情がとても不自然で、内面から浮き出る醜さの片鱗へんりんを覗かせた時など、一気に興醒めすることが多々あった。

 そんな時に春香が立てた企てを聞き、和美も賛同していると知り内心では喜んだ。徹と良子という邪魔者を一度に排除できれば、これほど得することはない。

 その上自殺か事故死に見せかけるという計画から考えれば、殺人犯として捕まる可能性も低いと感じた点が背中を後押しした。さらに徹さえいなくなれば、和美と一緒になれるかもしれない。彼女もそれを望んでいるのだとすれば、こんな幸せな事はなかった。

 加えてあの忌々しい良子から解放されるのである。徹名義の貯金については万が一相続人が解約したとしても、理由が契約者の死亡であれば成績には響かない。

 誠にとってみれば、ローリスクハイリターンなプランの提案だった。それ故彼女達の策略に乗ったのである。

 無事役割を終えた誠は、帰りもしっかり合鍵を使って扉を閉め、和美達が待つ家へと急いで向かった。その道中は興奮を抑えきれず、足取りはとても軽かった。

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