第九章 第二の計画

 中川が徹の家から戻ってきた。春香は和美と二人で迎え入れ、首尾よくできたかどうか報告を受けた。

「ヒーターの細工は上手くいきました。問題ありません」

「徹や良子には気づかれなかった?」

 和美の質問に対し、誇らしげに答えていた。

「睡眠薬入りのドリンクを飲んでいたのか、熟睡されていましたよ」

彼が嘘をついていなければ、策略は上手くいったと考えて良いだろう。想定通り一酸化炭素が発生し、良子達が中毒死するかどうかは運次第だ。

 というのも空気口を塞いだからといって、必ずしも不完全燃焼を起こすとは限らない。起きたとしても、細工したはずの防止装置が作動してしまう可能性だってある。

 例え作動しなかったとしても、あの家は内装等改修しているが、それでも古く隙間だって少なくない。よって家全体に、一酸化炭素が充満するとは限らないのだ。

 その前に二人が気付き、目を覚ます可能性だってありうる。春香が仕組んだ通り、彼らが睡眠薬入りの栄養剤を口にしたかどうかも定かではない。

 それでも十分だった。あの家にいる人物達を事故または自殺に見せかけて殺そうと、ここにいる三人が一致団結し集まった事実に意義がある。その為春香は二人に声をかけた。

「成功を祈って、今日はお祝いしましょう!」

 用意していたワインで乾杯をし、和美の手料理を三人で食べながら賑やかに時を過ごした。酔いが回ってきたのか、右手に包帯を巻いた和美は饒舌に語り出す。先程どうしたのか尋ねたら、張り切り過ぎて包丁で切ったらしい。それでも彼女は上機嫌だった。

「あの人達が死ねば、相続する財産は私と春香で自由に使えるはず。徹はお金の管理を任せていても、名義だけは全て自分にしているから、あの女に搾取されたものは大してないはずよ。この家でさえ、あの人の名義なんだから。樋口家が経営する会社の権利や土地も沢山あるし、働かなくても一生食べていけるわよ。もしかするとあの人達のことだから、私達にも黙って隠している財産が他にあるかもしれない。そうしたら誠にはこれまで以上に貯金を預けられるし、もちろん今回の成功報酬だってちゃんと払うからね」

 顔では笑いながら同意していたが、まだ上手くいったかどうか分からないのにはしゃぐ実の母を、春香は冷めた目で見ていた。家の中だというのに、イヤリングまで身に着けていたからだ。

 おそらく中川がいるから、少しでも綺麗に見せたいと思っての行動なのかもしれない。娘の前で隠そうともせず、若い愛人との親しい仲をひけらかす精神を疑った。

 ただこの女の腐った性格は、今に始まったことではない。春香が物心つく前から、性的虐待をあの人から受けていたにも拘らず、十数年以上も放置してきたのだ。自分が寵愛を受けたいばかりに、これまで彼女は樋口家に尽くしてきたのである。

 この家は二十二年前に、彼女が春香を身籠みごもったのを機に買ったものだ。しばらくは三人で住み、世間並みの幸せな疑似親子生活をしていた時期があったかもしれない。

 しかし春香は結局、樋口家の支配下に置かれた状態だった。昼間はスリ師になる為の特訓を受け、夜になれば服を脱がされ抵抗も許されず、屈辱的な扱いを受けた苦い記憶しかない。

 しかも十年程前から、徹は母の妹分で幼馴染である良子に手を出し、今や山塚の長屋で一緒に住んでいる有様だ。表向きは数年前から体調を崩し始めた、忠雄の面倒を見る為だと聞いている。

 母はそんな扱いを受けながらも、時々気まぐれに訪れる樋口家の男の世話を甲斐甲斐しくしてきたのだ。

 春香は街の事も含めた異常な環境から抜け出したいと思い続け、成人になってようやくそれを果たせた。しかしその生活もあの良子による嫉妬の矢を向けられ、大切な一彦を失った。だからこの計画を立てたのだ。

 けれどまだそれは終わっていない。母達の楽しげな様子を見つつ、食事も終わりに近づいた頃を見計らい、春香は用意していた栄養ドリンクを彼らに渡した。

「今日はお疲れさまでした。これは昼間父に買わせた栄養ドリンク。丁度二本あるから二人で飲んで。勿体ないから」

「一本四千円以上するやつよね。こんな高い物を毎晩飲んでいるなんて贅沢だわ。折角だから頂きましょう。でも春香の分が無いけど」

「私はいい。まだ若いし、こんな栄養剤なんて飲む必要はないから」

「そう言われればそうね。誠にも必要ないかもしれないけど」

「いえ、こんな高価な物を飲む機会はなかなかありませんから。頂戴します」

「だったら春香は冷蔵庫から、私が時々飲んでいるドリンクを持ってきなさいよ。これよりは安いけどそれなりに良い値段の物だし、美容と健康にいいの。腸内環境も整えてくれるから、若い子が飲んでもおかしくないから」

 断るのも不自然だと思い、春香は言われた通り四本あった一つを無造作に取り出して戻った。そこで母が乾杯と声をかけた後、三人で一気に飲んだ。彼らが飲み干したのを確認し、春香は笑みを浮かべた。

「何がおかしいの?」

 母の質問には答えず、しばらく黙って二人の様子を伺った。すると最初に彼女が反応を示した。

「あれ? 急に眠くなってきた」

 続けて中川も、大きなあくびをしながら同意した。

「私もです。ホッとしたからか、急に疲れが出たのかな」

 首を傾げていた二人だったが、やがて倒れるように寝転がった。さらには軽く寝息を掻き始めた。

 春香は彼らを嘲笑あざわった。二人が飲んだ栄養ドリンクの中には、前もって睡眠薬を入れてあったからだ。春香の立てた本当の計画は、これからが本番である。

 母と中川には嘘の計画を持ち掛け、本当に乗ってくるかをまず試した。そこに二人はまんまと乗って来た為、裏に隠した企みを実行しようと心に決めたのである。

 徹に睡眠薬入りのドリンクを渡した、というのは嘘だった。ドラッグストアで買わせたのは本当だが、すり替えたりはしていない。そんな真似をすれば、スリ師として先輩である彼に見破られる危険があったからだ。

 その代わり本当に準備していた睡眠薬入りドリンクは、中川が予定通り戻ってきたら二人に飲ますつもりで隠し持っていたのである。

 なぜなら彼らは眠っていただろうが、睡眠薬を飲んでいない。ノビ集団に属する中川の腕がどの程度かは知らないけれど、合い鍵を使って忍び込めたとしても、徹に気付かれ掴まる公算もあったからだ。

 しかし彼は無事、春香の指示通りの仕事を終えて戻って来た。それでもあの人が完全に見過ごすとは考えにくい。となれば薄目を開けて中川がどのような行動を取るか伺い、わざと気付かない振りをしていたとも考えられる。

 そうなれば彼が家を去った後、ヒーターは不完全燃焼を起こさないよう元に戻されているだろう。つまり彼らは今日、一酸化炭素中毒によって事故死する可能性はないと考えた方が良い。

 中川にも伝えたが、成功したら儲けものだと言ったのはそうした意味からだ。万が一気付かれず細工が成功し、中毒死したとしてもそれはそれで良い。だがそうならない場合の事を考えて、春香は別の計画を立てていた。

 それは父が買った物と同じ栄養ドリンクを飲ませ、二人を眠らせることだった。成功すればこの家にある徹のネクタイで、二人の首を絞めて殺すつもりだ。それだけではない。自分もここで同じネクタイを首に巻き、ドアノブに引っ掛けて自殺すれば計画は完結を迎えるのだ。

 ここで三人が死ねば、家は完全に密室状態となる。家に入れるのは、母以外に合い鍵を持っている樋口家の男達しかいない。そこで徹の指紋が付いたネクタイで二人を殺し春香も自殺すれば、死体を見つけた警察は三人を殺した犯人が彼だと判断するだろう。

 彼らが飲んだ栄養ドリンクを購入している様子も、ドラッグストアの防犯カメラに残っているはずだ。他にもこの部屋には真新しい彼の指紋が付いている。母によって彼をこの家に呼びつけ、ヒーターを触らせたりさせたのもその為だった。

 徹は有名なスリ師の為、普段から警察にマークされている。そんな人物が三人も殺し、物的証拠や状況証拠が揃っていると判れば喜び勇んで逮捕するだろう。

 街で起こった連続殺人の件では、アリバイがあるようだ。しかし今頃は良子と一緒に寝ているか、ヒーターの細工に気付き直しているだろう。よってないに等しい。結果死刑となる確率は相当高い。

 もし一酸化炭素中毒で死んでいたなら、三人を殺してしまったと悲観しての自殺と判断されるかもしれない。例え単なる事故と判断されたとしても、彼らが死ねばそれで十分だ。

 これが春香の立案した、本当の復讐計画である。本当は一彦を殺した良子も共犯として死刑にさせるか、確実に殺してやりたかった。中川にちょっかいをかけ、父が執着している春香にまで嫌がらせを仕掛けてきたのだから、制裁を受けて当然だ。

 しかし間違いなくできると確信が持てなかった為、最低でも徹の命を奪えられれば成功と思うようにしたのである。何故なら彼女は彼または樋口家が存続していなければ、何もできない哀れな女だからだ。

 母や春香がいなくなって、彼女は多少ホッとするだろう。だが中川を失った上に、徹が殺人犯として逮捕されたなら、彼女は相当苦しむに違いない。

 しかも徹が死刑となれば、病に倒れ寝込んでいる忠雄しかいなくなる。そうなれば樋口家は崩壊し、彼女は山塚の街での生活などできなくなるだろう。いや街自体の存続が危うくなるはずだ。

 そうなれば、春香が一彦を奪われ生き続ける気力や希望を失ったように、彼女も絶望を味わうのは確実である。

 また一彦の仇は共犯であり、良子も手を出した中川を殺せば果たせると考えた。当然寝たきり状態の忠雄に、今更何かできるはずもない。面倒を看てくれる者がいなくなれば、そのまま寿命が尽きるまで、死を待つしかないだろう。

 春香は昔から、死にたくて死にたくてしょうがなかった。だがいつかこのような境遇の中で育てた、樋口一族に復讐したいと思い続けて生きて来たのである。その念願が、ようやく今叶うのだ。

 死ねばこれ以上くだらない世界でもがく必要もなくなり、唯一愛した一彦の元へも行ける。そう思うと涙が溢れ、余りの幸福感からか頭がぼんやりとしてきた。

いけない。しっかりしないと。これからまだやることがあるのだ。しかし想いと体が一致せず、知らない間に春香は床へと倒れ込んでいた。



 眠った振りをしていた和美は、春香が動かなくなった状態を確認すると体を起こした。同時に中川も目を開けて呟いた。

「飲んでくれて良かったですね」

「もしいらないって言い出したらどうしようと思ったけど、上手くいったわ」

「さすがは和美さんです。睡眠薬入りのドリンクを私達に飲まそうとするのなら、別の物を勧めれば一緒に飲むはずという予想が当たりましたね」

 和美は頷き、春香の寝顔を見ながら自分の推測が正しかったと満足しながらも、実の娘の恐ろしさに身震いした。

 和美を恨んでいるとは気付いていたが、本当に殺人計画を実行するなんて正直信じたくなかった。しかも中川にまで手をかけようとしたのである。

 最初に疑ったのは、今回の計画を聞いた時に成功する確率は五分五分でいいと彼女が言った時だ。説明を聞く限り上手くいく確率は決して低くない、良いアイデアだと思ったから余計である。

 自殺か事故に見せかけるとは言っても、殺人には違いない。しかも集団の頭領である徹を標的にするのだ。そこで中川にかかるプレッシャーを軽くしようと、敢えてそう言ったのだとも思った。

 その一方で、別の計画が裏に隠されているのかもしれないとの直感が働いた。そこで最初は和美がやる予定だった睡眠薬のすり替える役目を、春香に押し付ければどう出るか試したのだ。彼女は不承不承ながら引き受けた。

 その為和美はタクシーを呼んでこっそり二人の後をつけ、予定通り栄養ドリンクを買わせてすり替えるかどうかを確かめたのである。すると春香がそのまま徹に渡した場面を見てしまった。その時に確信を持ったのだ。 

 彼女は彼らが飲んでいる栄養ドリンクと同じ物を二本、事前に購入していた。しかも和美の目の前で、睡眠薬を入れたところまで見ている。一度キャップを外し、再度未開封の状態に戻す作業はかなり慎重を期さないとできない。一度開けたとばれれば失敗だからだ。

 その為中川により、こん睡強盗等を行う質の悪い集団から手に入れた特殊な工具を使い、和美の家で相当な時間をかけて用意したのである。そこまで苦労した物を使わなかったのは何故なのか。その理由を考えてみると、裏の計画が見えてきたのだ。

 よって彼女が家へ帰ってくる前、冷蔵庫の中の和美が愛用している健康用ドリンクに、特殊器具を使って睡眠薬を入れていたのである。もちろんどれを選んでもいいよう、四本全てに仕掛けてあった。

 彼女はまんまと騙され、その内の一本を飲んだのだ。春香の差し出した栄養ドリンクは彼女が席を外した時を見計らい、和美が用意していた同じものとすり替えておいた。 

 中川には家へ戻ってくる間にメールで知らせておいた為、飲んでから和美同様寝たふりをしてくれたのである。

「全く怖いことを考えますね。私達を殺した後、自分はどうするつもりだったのでしょうか。春香さんがこの部屋から出るには、鍵を掛けないか持って出なければならないので、完全な密室にはできません。だから徹さんが、私達を殺したように見せかける計画だったとは思えないのですが」

 彼はまだ信じられない、という顔をしていたので説明した。

「恐らく自分も死ぬつもりだったと思う。この子は昔から、自殺願望が強かったの。でも私や樋口家への恨みを晴らさずには死ねない。そう思っていたのよ」

「でもそれなら、徹さんに罪を着せるのは難しくありませんか。春香さんが私達を殺して、自殺したと思われるでしょう」

「首を絞める時にわざと抵抗した跡を残しておけば、警察も自殺に偽装した殺人だと判断される可能性は高い。そこに彼の指紋が残ったネクタイか何かで締めれば、疑いを向けさせられると考えたんじゃないかな」

 和美の推理に、まだ理解できなかったのだろう。彼は反論を続けた。

「でも徹さん達が、一酸化炭素中毒で死んでいた場合はどうなるんですか」

「死亡時刻にもよるけど、私達を殺してしまった為に自殺を図った、または事故が起こってしまったと警察は思うでしょうね。でもあの子は言ったでしょ。失敗しても構わないって。恐らくそうなると見越していたんだと思うわ」

 もし彼らが全員死んだ場合は、彼女の復讐が全て達成できる。そう考えていたはずだと付け加えたが、彼はまだ首を捻っていた。

「優秀と言われる警察が、そんな小細工に引っかかりますかね」

「わざと引っかかる可能性はあるわよ。被疑者死亡で終わらせるより、山塚の街の頭領を殺人容疑で逮捕した方が良いと考えるかもね。例の連続殺人の犯人を捜すのに必死だから、彼が関係していると疑ってもおかしくないでしょう」

「そんなにうまくいきますかね。それに例の事件が起こった時間、徹さんにはアリバイがあると聞きましたが」

「私達三人が、連続殺人に係わっていたと考えればどう? そこで彼が裏で操っていた。けれど何か仲間内で揉め、殺したという筋書きもかけるわよ」

「そこまでしますかね」

「徹が私達三人を殺したとなれば、確実に死刑でしょう。そうなれば、樋口家は完全に終わりよ。当然山塚の街も潰れる。春香が私達を殺して自殺したなんてつまらない終わり方をするより、警察にとってはその方がずっと得よ。街自体が無くなれば、他に連続殺人の犯人がいたとしても、次はないでしょう」

 彼はここでようやく納得した。と同時に質問も投げかけてきた。

「なるほど。そうかもしれませんね。しかしどうして私まで殺す気だったのでしょうか」

「あなたが、一彦を連れ去ったりしたからでしょう、春香が街を離れてあの子と暮らし始めてからは、すごく明るくなったのよ。あれは解放された喜びだけじゃなく、真剣に一彦を可愛がっていたからでしょう。あの子が唯一の生き甲斐だったのは間違いないわ。あなた達はその一彦をさらって殺したんだから、恨まれて当然よ」

「え? あの犯人が私だって、春香さんは気付いていたというんですか」

 和美は鼻で笑いながら、教えてやった。

「あの子だって馬鹿じゃない。冷静に考えれば、犯人は良子しかいないと思うでしょう。そこから辿れば、あなたが手伝ったのだろうと気付くはず。もしかすると、顔を見られていたかもしれないわね。だから今回の件にあなたを巻き込んだのよ」

「そこまで考えていたというのですか。それなら何故良子さんには、直接手を下そうとしなかったのでしょう」

「一彦の件があったから、春香が良子に直接近づくのは難しいと思ったんでしょう。向こうも警戒するからね。だからあなたを使ったのよ。一酸化炭素中毒で死ねばそれでいい。もし失敗しても、徹さえ罠に嵌めれば彼女は生活できなくなる」

 すると彼は突然逆切れをし始めた。

「一彦、一彦って煩いな。単に自分のスリを成功させるおとりに使っていただけでしょう。本当に可愛がっていたなんて、とても思えませんでしたけどね。単なる仕事上の道具にしか過ぎなかったんじゃないですか。その程度の復讐の為に、人を殺そうと思うなんて異常ですよ」

 彼の言い草に、和美は思わず頭にきて叱った。

「あなたは春香が抱えている闇を知らないから、そんなことが言えるのよ。自分が大切にしているものを奪われた時の喪失感は、失った人間にしか分からないわ」

「分かりたくもないですね。それより良く眠っている間に、早く彼女の家へ運んだ方が良いんじゃないですか」

 まだ彼の態度に腹を立てていたが、確かに計画を進める必要がある。その為同意した。

「そうね。でも私はワインを沢山飲んだから、運転出来ないでしょ。あなたがして頂戴。春香を車まで運ぶのもお願いね」

「私も結構飲みましたけど」

「何言っているの。あなたが飲んでいたのは、ノンアルコールのワインじゃない。事前に中身を入れ替えておいたから」

 彼はようやく笑った。二人の間に漂う重苦しくなった空気を変えようとしていたらしい。

「冗談ですよ。分かっていますって。でも和美さんは何故本物を飲んだんですか」

「何言ってるの。あの子は鋭い子よ。二人して酔った振りをしていたら、ばれてしまうかもしれないじゃない。それにあなたがどの程度飲んだら酔うかなんて、春香は知らないでしょ。その点私がお酒を飲んだ場合どうなるかは分かっているから、演技なんてできない。だから春香に気づかれず済んだんじゃないの」

「なるほど。確かに和美さんは、本気で酔っていました。ただ睡眠薬が効いた振りだけは、しっかり演技されてましたね。あれがあったから、上手く騙せたのでしょう」

「そうよ。じゃあ早く運んで。夜が明けちゃうといけないわ」

 中川は指示された通り、彼の車の後部座席に春香を乗せた。起きてこないよう見張る為、その横に和美が座る。彼は運転席に回ってエンジンをかけ、彼女の家へと走らせた。

 そうしてまだ朝日が昇る前に彼女の部屋へ入り、暗い中で春香をベッドに横たわらせた。起きてこられては困るし、周囲の住民に気付かれてもいけないので灯りは付けられない。

「彼女、目を覚ましたらどうするでしょうね」

「一応徹のネクタイも持ってきたから、置いておけば自分一人で死ぬかもしれないし、生きてればまた別の方法を考えるでしょう」

「また私達を殺そうとは思わないですよね」

「分からないわ。それよりちょっと座らない? 少し疲れちゃった」

 和美が腰を下ろすと、彼はすぐにでも立ち去りたい素振りだったが素直に座った。そこで言った。

「あれ? 私のイヤリング、その辺りに落ちていない? もしかして落としたかも」

「え? イヤリング? こんな暗闇で探すのは無理ですよ」

「そんなこと言わずに、ちょっと手探りしてみて」

 言われた通り、彼はごそごそとし出した。部屋に入ってから少し時間が経っていたので、和美の目も少し暗闇に慣れてきた。

 そこでうっすらと浮かぶ中川の姿を捉え、渾身の力を込めて隠し持っていたチーズナイフを、彼の背中に突き刺した。

「グッ!」

 奇妙な声を出して倒れた彼の首に、素早く徹のネクタイを巻き付けて締める。当然手には防寒の為の手袋をしたままだ。

 刺した場所が良かったのだろう。彼は思っていた以上にダメージを受けていたらしい。抵抗する力が弱かったおかげで、あっさりとどめを刺すことができた。

 ぐったりとして床に倒れた彼が、間違いなく息絶えているかを確認する。それから握っていたネクタイを中川の首から外した和美は、次に春香の元へと近づいた。

 幸いまだ薬が効いているのか、眠ったままだ。それでもいつ目を覚ますか判らない。そこで素早く彼女の体をうつ伏せにし、首にネクタイを巻き付け背後から締める準備をした。

 念の為ポケットに手を入れて、イヤリングはあると確認して安堵した。本当に落として和美がいた証拠を残せば、計画が台無しになる。その為先程車の中で、中川に気付かれないよう事前に外しておいたのだ。

 ついでに用意していた栄養ドリンクの瓶を取り出し、彼女のベッドの上に転がせた。これは春香が睡眠薬を入れたものだ。事前にすり替えた際、中身を捨てて懐に忍ばせていたのである。

 彼女を殺してこの場を去れば、この部屋の合い鍵を作った徹の犯行に見せかけられる。これが春香の立てた殺人計画を逆手にとり、和美が練り直したプランだった。

 徹を殺人犯に仕立て上げ逮捕されるよう仕向ければ、良子を街から追い出せる。その上死刑にまで追い込めば、彼の財産を全て和美が奪い取れる可能性は高い。しかも二人がいなくなれば、あの男の命も手中に入る。本当の復讐はこれからなのだ。

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