第二章 連続殺人事件

 令和の時代が始まり、来年は五十六年振りに東京オリンピックが開かれる為、国全体がお祭り気分となっていた時のことだ。街の集団に属する幹部が、自宅で何者かに首を絞められ殺されているのを、仲間に発見されたのである。

「またか。これで三人目だろう。犯人は一体誰だ? 街の人間か? それとも敵対する奴らの仕業か?」

 殺人ともなれば周囲の目もあるので、さすがに放って置けない。昔ならいざ知らず、隠蔽するには危険が伴う。数十年前なら仲間内で処理して山に埋めたり、海に流したりも出来たかもしれない。

 だが今の時代にそんな真似をすれば、いずれ発見される。その上手伝った人間達が殺人犯にされかねなかった。少なくとも死体遺棄の罪に問われることは確実だ。そんな危ない橋は渡れない。

 そこで止む無く、街の敵である警察に通報し委ねるしかなかった。本来なら街のテリトリーに入って欲しくないが、そういう訳にもいかなかったのだ。 

 しかしそうなると近くに住む仲間や集団に属する者は、もれなく警察からの取り調べから逃れられない。今や彼らも、山塚の存在を把握していたからだ。

 昔のように固まっては住んでいないものの、徒党を組んでいる事情は承知している。よって仕事でミスを犯し逮捕者が出ると、その集団はこぞって連行される場合もざらだった。

 けれど本来本業である窃盗の罪で決定的な証拠を残していたり現行犯で捕まったりしない限り、話を聞かれるだけで解放されるのが常だ。それでも一度目を付けられれば、しばらく仕事がし辛くなる。よって仕事場を変える為にも、引っ越しを余儀なくされる者が多数いた。

 だが今回のように殺人ともなれば、単なる事情聴取だけでは済まされなかった。取り分で揉め仲間割れをしたのではないかと疑われ、こってりとしぼり上げられたのだ。

 しかも被害者の属している集団は各々、空き巣専門だったり自動車盗やひったくりまたは置き引き専門だったりと別だった。とは言え立て続けに街の住民が殺されたとなれば、警察も簡単に解放してくれるはずがない。

 その上彼らは殺人事件の解決に、重点を置いているとはとても思えなかった。どちらかといえばこれを機に、山塚の集団を壊滅させようと目論んでいるのではないか。そんな不信の念を抱かせる行動を取っていたのだ。

 当然連続殺人ともなれば、世間の注目が集まる。その為彼らも威信をかけ、犯人逮捕に全力を挙げ取り組まざるを得なかったはずだ。しかし捜査は相当難航していたからだろう。

 その一因として、殺されたのが街の集団に属する、特殊な人物ばかりだったからだ。しかも被害者は皆幹部だった。よって事情聴取しても、仲間内の口は特に堅い。情報を得ようとしたが、相当てこずったからだろう。

 住民にとっても仲間が次々と殺されたのだ。直ちに犯人を捕まえて欲しいと、本音では望んでいた。といってそれが同じ仲間となれば、互いに疑心暗鬼となる。

 よって自分が殺人に係わっていなくとも、下手に喋れば今度は自分が狙われるかもしれない。そうした恐怖にかられたとしてもおかしくなかった。

 しかも幹部ともなれば、彼らの動きは普段から限られた者しか知らされていない場合が多い。その上街の掟からすれば、話せることもはばかられる存在だ。そうした事情も、捜査の阻害要因となったのだろう。

 こうした状況が続けば、警察も内部犯行を疑う方針に傾き始めるのも当然だ。併せて街の住民達への嫌悪感も手伝い、相当偏った取り調べが開始されたのである。

 その為街には不穏な空気が流れた。と同時に元々信用などしていない警察など当てにせず、自分達で犯人を突き止めようとの意見が多数を占めるようになった。

 といって盗みに関してはプロだが、殺人事件の捜査ともなればそう簡単にはいかない。しかも警察と同じく、疑わしいのは仲間の中にいると考える者が少なくなかった。よってその行動も慎重にならざるを得ない。

 一方で、仲間を疑う行為を良しとしない者達もいた。特に殺された幹部が属する集団は、外部犯行説を主張していたのだ。そうした意見の対立が、これまであった街の結束を徐々に崩壊へと導いていった。

 しかし三人目が殺された時点で、犯人に目星をつけた者が一部にいたのも確かだ。その手掛かりとなったのは、殺され方に共通点があったことだろう。

 死因は三人共、紐で首を絞められたことによる窒息死、またはショック死によるものだ。皆背後から襲われ、一気に首を絞められていた。

 それだけではない。何故か三人全員が、既に死んでいるまたは瀕死の状態であるにも関わらず、花火で目を中心に顔や首を焼かれていた事だ。ただし警察は、その点について公表していない。犯人しか知り得ない情報として、マスコミ等に隠したと思われる。

 けれど第一発見者達の口から、そうした情報は街の仲間達の中だけで広まっていた。また警察内部に通じる者から仕入れた情報によると、つけられた火傷の鑑定によれば、全て死因に関係していないと判ったという。死後または死に至るまでの間に焼かれたと、断定されたらしい。

 さらに警察が掴んでいない情報もあった。それは被害者が皆共通して、児童虐待をしていた事実である。

 だからだろう。街の住民達の間では、当初虐待されていたのが身内の子だった場合はその妻や家族が、そうでない場合は虐待児の保護者が犯人ではないかと疑っていたらしい。

 しかし彼らの多くは、アリバイのある者がほとんどだったようだ。死亡推定時刻において、それぞれ他の人と一緒にいたらしい。よって復讐または虐待を止める為に行われた殺人である可能性は低い、と考えられたのである。

 ただ共通点は他にもあった。よって徹のような過去に起こった事件を知る人物達は、それらの指し示す犯人像に心当たりがあるはずだ。花火による火傷に加えて、ロープで首を絞める殺し方も当時と同じである。

 しかも性的虐待の連鎖を止めるのが動機だったと考えれば、納得もできた。虐待を行う人物の多くは、自らも虐待を受けていた過去を持つとの統計もあるからだ。

 実際徹が知る限り殺された三人も幼い頃、親や集団の頭領等から虐待を受けていたと聞いている。犯人と思しきあの人物も、幼い頃から被害を受けていた。しかもその加害者達の中には、殺された奴らの親がいたかもしれない。

 一方で疑問も生じた。あの事件から既に三十年以上経っている。その犯人が未だに虐待を受けているとは、徹の知る限りない。それならば何故今なのだろうか。

 何かが引き金となり、過去のトラウマを蘇らせたのかもしれない。だからかつて自分を傷つけた者の関係者で、未だに別の児童を虐待し続けている人物を殺そうと思ったとも考えられる。

 そうすれば、自分と同じ境遇の者達を助けようとして起こした事件と考えることもできるだろう。だとすれば、きっかけとなったものは何だったのか。

 いやそれより犯人は、これからも犯行を続けるつもりなのか。時間が経過し、かつての街の仲間は散り散りになっている。よってあの事件を覚えている者も少なくなった。

 とはいえ徹の他にも、まだ数人はいるはずだ。虐待に関わっていなかった者も、今のところ口を噤んでいる。気付いていないのか、もしくは樋口家と関わり合いの深い人物が疑わしい為に、静観しているのかもしれない。

 どちらにしても今回の事件の犯人があいつだとするならば、街の仲間に示しを付ける為には、樋口家で片をつけなければならないだろう。

 あの事件が起こった際、騒ぎを最小限にとどめたのは祖父だ。しかし七十二歳の時に心筋梗塞を起こした彼は、二十三年前に亡くなっている。忘れもしない春香はるかが生れる前の年のことだ。

 また今年七十二歳になった父の忠雄は、七~八年前から体調を崩し第一線から退いている。酒好きが災いしたのか、肝臓を悪くしたのがきっかけだ。しかもここ三年程は寝たきりの状態の為、彼を頼るのは難しい。そうなると、現在樋口家の頭領である徹がやるしかなかった。

 一人目が殺された時は、正直いうと厄介な事件が起こった程度の認識しかなかった。

殺されたのは、後藤ごとうという空き巣を専門とする窃盗集団の幹部だ。結婚をしていて、子供も小学校の高学年の娘と中学年の息子が二人いたと聞いている。年は徹より少し下だ。

 第一発見者は彼の妻だった。堅気の仕事であるスーパーのパートを終えて午後三時前に帰宅したところ、後藤がぐったりとして倒れていたという。子供達はまだ学校から戻る前だったらしい。

 妻は驚きの余り腰を抜かしたが、急いで集団の頭領に連絡してどうすればいいか相談したようだ。話を聞いてすぐに家へと駆けつけた頭領の大畑が、状況を見て下手な小細工は通用しないと考えた。そこで警察に連絡するしかないと判断し、通報したのである。

 死亡推定時刻はお昼前後だった為、妻を含めた家族のアリバイは成立した。大畑もまたその時間はかなり離れた場所で、別の頭領達と食事をしていたという。街の住民でない店員の証言もあってそれが証明され、疑われはしなかったそうだ。

 しかし妻が仲間にだけ喋った話によると、奇妙な事実が分かった。殺された夫はその日、狙っている空き巣先の下見へ出かけると妻には告げていたらしい。だが大畑の話によれば、そんな予定なんて無かったというのだ。

 集団では下見等も含めて仕事を進める為、幹部とはいえ独自に動く事はほとんどない。もし仲間に内緒で動いていたならば、抜け駆け行為とみなされ厳しい仕置きを受けなければならない規則がある。

 もちろんそうした裏の情報は、警察に話せない。よって妻は事情聴取の際、何も聞いていないと言い張ったようだ。その日は仕事が休みだから、家でゆっくりしていたはずだと供述したという。

 ちなみに後藤の表の顔は、リフォーム会社の派遣社員で仕事内容は外回りのセールスだ。住宅地を堂々とうろつくことができ、空き巣の下見にはうってつけだからである。

 しかも空き巣に入った際、窓ガラスを割って入ればその修理を請け負える場合もあった。再犯防止の為のグッズを販売したり取り付けたりと、表の仕事にも繋げられる。よって彼らの集団の多くが、似たような職種についていた。

 そのようなニーズがある為、徹の運営する企業で出資している会社も一つある。もちろん集団に属する仲間は、堅気の会社を含めそれぞれ別々の職場に就職していた。

 何故なら狙った地域を担当している者が、後に疑われないよう分散する必要があったからだ。侵入決行日はアリバイ作りの為、彼らを実行部隊から外すほど徹底していたという。

 警察も裏取りにより、後藤が殺害された日は休みだったと確認している。部屋は多少荒らされていた為、家で休んでいたところを空き巣または強盗犯と鉢合わせし、殺された可能性も視野に入れ捜査していると聞いていた。

 だが仲間内では、空き巣専門集団の幹部である後藤が、そのような目に合うなど考えられないとの意見が大半だった。

 しかも妻には下見の為に外出すると、嘘をついている。よって外部の人間と何らかのトラブルを抱えていたか、何者かと内緒で会う予定だったのではないかと、大畑達は疑っていたらしい。

 だが二人目の被害者が出た時、もしやとの思いが徹の頭をよぎった。殺されたのは、自動車盗等を主とする窃盗集団幹部の千場せんばという男だ。彼は四十前だが、独身で子供はいない。

 第一発見者は仲間の一人だった。仕事の打ち合わせも兼ねて飲まないかと誘う為、夕方五時頃に家を訪ねたところ殺されている彼を発見。やはり最初に頭領の三根へ連絡したという。

 後藤が殺されてから一ヶ月も経っていなかったので、彼はすぐ警察へ連絡しろと伝えたようだ。そこで警察が駆け付け、部屋が荒らされていると分かった。

 しかし首を絞められ、顔が焼かれているという奇妙な手口が一致していた。さらに二人が山塚の街に属する人物との情報から、警察は二つの事件に関連性があると疑いだしたのである。よって連続殺人を視野に入れ、捜査し始めた。

 死亡推定時刻も前回と同じ、お昼前後だった。第一発見者と頭領の三根はその時間、表の仕事をしていた為アリバイがあった。千場は自動車修理工場に勤めており、その日は休みだったらしい。

 この仕事も自動車盗に関係する為行っていた。工場に勤務していれば、様々な関連業者と繋がりが持てる。盗んだ車を解体し、部品にしてから海外へ輸出する時等に役立つからだ。当然こうした工場にも、徹の運営企業の息がかかった所はいくつかあった。

 警察は前回と同じく山塚出身の千場が殺された為、後藤の事件で事情を聴いた人物達に改めて聴取をし直した。特に街の人間かを確認しながら、二人を殺す動機がないか徹底的に探ったらしい。つまり彼らの仲間が重点的に疑われたのだ。

 しかしこの時でも同じ街の仲間だったが、徹は警察に呼ばれなかった。属する集団や住んでいる地域が違ったからだろう。だからか、昔の事件と関係しているはずなどないとまだ高をくくっていたのである。 

 それが間違いだったと後に気付かされるとは、この時想像すらしていなかった。もしあの時、あいつを問い詰めていれば良かったと今更ながらに思う。そうすれば例え正直に白状しなかったとしても、三人目の犠牲者は出なかったかもしれない。

 だが後悔先に立たずだ。さらに一か月後、ひったくりや置き引き等の窃盗を主とする集団の幹部、稲川いながわが殺された。第一発見者は彼の所属する集団の頭領、田口だ。彼は一見いっけんして他の二人と手口が同じだと気付いた為、躊躇せず通報したという。

 四十手前の稲川は結婚していなかったが、同棲中の女はいた。しかも中学生になる娘が一人いたと聞いている。噂ではその子に対し、性的虐待を行っていたらしい。これは仲間内ではよく知られている話だったようだ。

 そこから新たに明らかとなったのは、後藤は長女に対して、千場は同じ集団に属する部下の娘に手を出していたという共通点だった。

 ただ稲川の死亡推定時刻もお昼前後だったことから、被害を受けていた児童は皆学校にいてアリバイがあった。稲川の内縁の妻も、その時間はショッピングモールの売り子の仕事をしていたそうだ。

 第一発見者の頭領も表の仕事をしていたし、千場が手を出していた娘の親もアリバイがあったという。警察は虐待の噂を把握していなかったが、三人に近い人物達全員の死亡推定時刻における所在を確認し直していたらしい。

 稲川の堅気の仕事は、内縁の妻が働くモールの警備員だ。その為勤務時間帯は不規則で、夜勤もあれば日中の勤務もあった。殺された日は、夜からの勤務だったという。その為昼間は家でのんびり過ごしていたか、寝ていたのかもしれない。

 ちなみに内縁の妻は、基本的に夕方六時まで働いていた。そこで自分が勤務中でない時間に娘が学校から帰宅すると、その母親が帰ってくるまでの間に虐待を行っていたそうだ。

 流石さすがに街の住民が立て続けで三人も殺されたとなれば、徹も関係ないでは済まされなかった。今や街を牛耳ぎゅうじっているのは、樋口家が運営する会社だと警察も知っていたからだろう。この時初めて三件の事件におけるアリバイを中心に、しつこく聴取されたのである。   

 幸いにも三件の事件が発生した時は、街と関係のない堅気が経営する店で打ち合わせや食事をしていた為、疑われはし無かった。けれども事情聴取を受けている内に、この一連の事件を起こしているのは、もしかするとあいつではないかと考え始めたのである。

 その時点で警察は、犯人らしき人物に皆目見当がついていないと知った。このまま時間が経てば、恐らくあいつに辿り着くのは難しいかもしれない。そうなると、この事件を止められるのは徹しかいないと気付いた。

 といって何か決定的な証拠が見つかった訳ではない。そこでとにかく今できるのは、四人目の犠牲者を出さないよう防ぐ行為だと考えたのだ。  

 その為稲川が殺されてから一週間が経った時、三カ月に一度定期的に行われる頭領や幹部達の集会が開かれた際、三件の事件を議題に挙げて話し合いをした。口火を切ったのは、最初に殺された後藤が所属していた空き巣集団の頭領、大畑だった。

「今回の件でサツがウロチョロしていやがるから、仕事がやり辛い。早く捕まえないと干上がっちまうぞ」

 自動車盗の頭領、三根が同意する。

「本当だ。うちの場合は扱うモノがモノだけに、直ぐ処分できない。今は上手く隠し通しているが、いつ刑事達に見つかるかと冷や冷やしている状態だ。心配で夜も寝られねぇ」

 ひったくり集団の頭領、田口たぐちが続けた。

「早く捕まってくれないと困りますが、サツの捜査は全く進んでいないそうじゃないですか。と言って俺達で犯人の首根っこを掴むにも、見当がつきません。判っているのはうちの稲川を含め、殺された三人共自分の娘や他所の子に手を出していた点だけでしょう」

「犯人はその復讐の為に、奴らを殺したってことか。しかし襲われていた子供や、その周りの奴らにはアリバイがあったんだろ。しかも手口から言って、同一犯らしいじゃないか。そんな善人面する奴が、街の中にいるとでもいうのかよ」

「同じような境遇の奴なら、動機があるんじゃないでしょうか」

「他にも共通点がある。奴らの親は皆、かつては樋口の集団にいた。違うか?」

 大畑の言葉に、それまで議論していた面子めんつが一斉に彼の顔を見た後、徹達の方を向いた。彼は一回り年が上で、しかも樋口家と同じ街の創業時からいる一族の出だ。あの事件が起こった頃はまだ幹部になっていなかったが、頭領だった父親から多少の噂を耳にしているのかもしれない。

 それまでずっと沈黙を保ち、話の成り行きを見守っていた徹は、止む得ず口を開いた。

「そうだな。後藤の父親は空き巣をしていた際に誤って人を殺してしまい、今は刑務所暮らしをしている。だがそれ以前は、家の集団にいたはずだ。四年前に病気で亡くなった千場の父親も、息子が生まれてから自動車盗に移った。スリ集団にいるよりも実入りが良いと考えての決断だと聞いている。稲川も同じ理由だったらしい。ただ奴の親父も一昨年、自動車事故で亡くなっている」

 頭領の中では最も若い田口が、徹から視線を逸らしつつ遠慮がちに言った。

「今回の犯人は、樋口の旦那の集団と関わり合いが深い人物かもしれないと?」

「そこまでは判らない。だがもしそうだとしてもとっくの昔に集団から離れ、しかもその息子達を狙った動機が不明だ。恨みがあったとすれば、まず父親を狙うはずだろう」

 徹の言葉を大畑が否定した。

「その親父達がもう死んでいるか、刑務所暮らしで手を出せないから、息子を狙ったのかもしれないぞ」

「だとしたら、何故今更そんな真似をし出したんだ。それこそ数年前なら、三人共生きて街にいたはずだろう」

「そう言われると、確かにそうだが」

 徹の反論に彼は言い返す言葉を失い、顔をひそめた。どうやら座敷牢で行われていた悪行については、彼も聞かされていないようだ。 

 しかし先程から徹を除く樋口家の幹部達は皆、全く意見を述べていない。中には当時の幹部だった者の息子もいる。その様子から、昔の事件について父親から聞かされているのかもしれなかった。

 だが彼らは結婚しているけれど子供がいないか、家庭内暴力や他の家の子供に手を出しているとの噂も無い。その為か、次に自分が狙われる心配まではしていないように見える。

 ただ彼らも、徹と同様の疑いを抱いていると思えた。しかし他の集団がいる手前、樋口家に属する人物を疑う発言は出来なかったに違いない。よって静観すると決めたらしく、口を噤んだままだった。

 気まずい雰囲気を変える為、徹は話題を逸らした。

「犯人探しについては大畑さんの言う通り、樋口家と関係無いとは言い切れない。だからこちらでも探ってみる。街全体に関わる事態については、基本的に当家で行う決まりだからな。ただ今回の事件で明らかになったが、近年各集団における住民達の秩序が乱れ始めているようだ。そちらの案件についてはどう思う」

 これには大畑を始め、三根と田口が一斉に俯きうなった。構わず畳みかけた。

「食べ物と子供達への教育だけは欠かさない。その指針は守られているようだ。しかし他人を傷つけてはいけないとの原則が、近年おろそかになっているんじゃないか。住民達同士での助け合いも、守られているとは言い難い。その結果が街の中で身内、または集団内で単なる虐待に留まらない行為の横行へと繋がったのではないのか。犯罪に関してもできる限り、同じような貧しい境遇の者からは盗まない。できるだけ余裕がありそうな家から奪うという暗黙の了解も、最近ではなし崩しになって来たとの噂も時折聞く。その点はどうだ」

 年長者である大畑が、まず口を開いた。

「後藤に関しては申し訳ない。俺の管理不行き届きだ。しかし信じて貰えないかもしれないが、自分の娘に手を出しているなんて、今回の事件が起こるまで俺は知らなかった。詳細な事情を把握する為に後藤の嫁から話を聞いて、ようやく裏の事情が分かったんだ」

 田口や三根もその後に続いた。

「私も稲川が娘に手を出していたなんて、全く気付きませんでした」

「恥ずかしながら、千場が手下の娘に虐待していたってことを、今回の件で初めて教えられた。申し訳ない」

 三根はともかく、田口の言葉は信じられなかった。元はと言えば、彼の部下の稲川が性的虐待していると仲間内では噂になっていた為、殺された他の二人にも同じ性癖があったと判ったのだ。

 しかしそこを今更責めても始まらない。その為徹は、彼らの属する集団達に目を向けた。

「他の幹部達はどうだ」

 すると皆一斉に首を振った。そこで他の二集団に対し、同じ質問を投げかけた。

「お宅らの所で、そういう話は聞いていないか。ここで下手に隠すのは止めよう。ちなみにうちの集団でも、過去にそう言った事例があったのは否定しない。ただ今現在はなくなったと思われる。今回の件を受け、所属する仲間には改めて個別でヒアリングを行った。次の犠牲者が出たら困るからな。ただ嘘をつかれているとも限らないが」

「うちも次のまとになっては溜まりませんからね。幹部達に声をかけて確認しました。ですが今の所、そうした話は聞いていません」

「うちもです。ただ殴ったりするような虐待は、数件ありました。もちろん頭領の私から厳しく指導しています。今度そういう事実が発覚すれば、街を出るよう伝えました。当然子供はこちらで保護する予定です」

 すると他でも同様の事例があったらしい。事細かに説明を受け、既に親を追い出して子供は保護したとの報告も二件挙がった。今回の事件をきっかけに、改めて街の掟に従う必要があると、皆が実感し直したのだろう。   

 しかし性的虐待をしている者までは発見できなかったという。

「事が事だけに、言い出せなかったのかもしれない。だが誰も知らなかったで終わらせては、街の存続に関わる。秩序を維持する上でも、引き続きこのような問題が起きないよう、各集団で目を配るように。守るべきは子供達だ。山塚はそうした理念の下で創られた街だと、改めて肝に銘じてくれ。このままでは、単なる醜悪な犯罪者集団に過ぎない。もしそうなってしまったら、存続させる意義も無いので解体する他無くなる」

 徹の厳しい言葉に、場が静まり返った。当り前だ。今や街の共同体を維持する費用は、全てと言っていいほど樋口家が捻出している。その頭領が手を引くと言えば街は間違いなく成り立たなくなり、たちまち崩壊するだろう。

 というのも大学で経済学部を卒業した徹の父は、スリ師以上に商売人の才覚があったらしい。バブルにより急激な上昇を見せていた土地が一気に下落した時期に、仲間が住む為の土地を一気に買い占める計画を立てたのだ。

 今振り返ってみれば平成九年頃からの数年間は、住宅地や商業地、農業用地がバブル期の半値、またはそれ以下まで下落した。経済状況が悪化した為に損失を埋めるべく、早期に土地を手放さなければならない人達が大勢いたからだろう。

 けれど当時の街の住民達は、財テク等に走る余裕などなかった。急増した成金達から金を奪い取り、コツコツと蓄積する習慣が幸いした為に大損した者はいなかったのだ。その分儲けた者もいない。

 だが樋口家だけは例外だった。それが他の幹部や頭領達とは違った点だろう。バブル期には、祖父の目が届かないところで株の売買も行っていたという。その上泡が弾ける前に、高値で売り抜けたそうだ。

 そうして得た資金を元に確保したのは、住宅用地だけではない。格安になった農業用地や商業地も入手した。何故なら街全体で、自給自足できる体制を整えようとしたからだ。自分達で食べる物を作れば、食材の出費を抑えられる。

 そう考えた父は、まず実働部隊に入れない高齢者や女性、障害者といった住民達に作物を栽培させた。出来た物は同じく手に入れた商業用地の店に卸し、販売させたのだ。

 他にも万引き等で仕入れた生活用品を販売する店舗等も作った。そうして住民達に表向きの仕事を与え雇用を確保し、街の中でお金や物を循環させる制度を確立したのである。

 もちろん商店で販売する品は、盗品だけだと賄いきれない。農薬や農具などもそうだ。そうした物を一括で仕入れ、各地に支給する仕組みも作った。

 その管理を樋口家が行っていた。よって忠雄や徹の表の顔は、今や不動産管理を主とする多角経営会社の会長と社長だ。そこで住民が支払う家賃や店子たなこの賃貸料、店の収益金の一部や流通経路の確保等にかかる費用を徴収し始めたのである。

 それだけではない。電気や水道、ガス等に加え、ネット回線やプロバイダー、ケーブルテレビ等を管理会社でまとめて引いた。そうすれば値段をより安く抑えられたからだ。

 蓄積されたお金の運用にも手を広げていた。そこで得た利益の一部を、託児所や闇医者達にかかる経費や給与等、街の住民達が使う公共的なものに提供したのだ。

 そうしてこれまで集団の頭領や幹部達が支払ってきた分担金は、削減されるようになった。その代わりにこのシステムが機能し始めてから、各集団の支出は所属する住民達への直接的な補助に集中させたのである。

 つまり刑務所等に入った家族の面倒や、病気や怪我等の理由で家庭が困窮している人達への支援に限定されたのだ。その為特に集団の頭領や幹部達の負担は、かつてと比較すれば格段に軽くなったはずだ。

 そうなると、もちろん街の住民達の取り分が増える。そうして稼いだ分は、それぞれで蓄えられるようになった。徹自身も街で所有する物件とは別に、各地にマンションを所持できる身分となった。

 今ではそこから入る不動産収入だけで、十分暮らしていけるほど豊かになった。もちろん銀行等にも稼いだ金を預け、運用も行っている。そうして着実に資産を形成したのだ。 

 外部から調達する金は、いくらあっても多すぎることなどない。その為財産を土地や建物として所有し、いざという時の為に準備しておけるよう備えた結果だった。

 このような現状から、樋口家の多角経営する会社が街にとって不可欠となっていったのである。ただこうした体系を構築して起こった課題は、住民達の相互扶助の精神が希薄になった点だろう。これまで負担していた分を、樋口家の持つ運営会社が肩代わりするようになったからだ。よって徐々に他人事として、捉え始めたのかもしれない。

 けれど徹が本気になれば、樋口家の管理物件を借りている住民達は、そこから出て行くしかない。また児童達を預かる施設が閉鎖すれば、たちまち多くの子供が放り出される。そうなれば、彼らの多くは行き場を失う。

 その上実働部隊を除く住民達の多くは、働き口も無くなる。何故なら表向きの堅気の施設や商店等には、樋口家が支援または運営資金を出している所がほとんどだからだ。

 もちろん全く関係のない企業に勤めている者もいたが、その数はごく限られている。しかも子供を預かる施設が無くなれば、共働きができなくなる家庭も少なくないだろう。

 つまり樋口家が資金を断つだけで、街は簡単に瓦解がかいする。今ではそれ程の力を持ち、それだけの役割を担うようになっていたのだ。それ故街を守る為、今回の事件に終止符を打つ責任も負わなければならないと言える。

 よって徹は強引な手を使ってでも、あいつを警察へ突き出そうかと考えていた。だが今の所、明らかな証拠は揃っていない。それは未だ迷走している警察も同じだろう。そんな状態であいつを取り調べたとしても、逮捕にまで至らない可能性が高い。

 といって徹が尋問したとしても、素直に口を割るとは思えなかった。証拠はあるのかと開き直られれば、それ以上何も言えない。強引に吐かそうと暴力を振るえば、こちらが逆に逮捕されてしまう恐れもある。

 そこで考えた。もし四人目の犠牲者が出るなら、その現場を取り押さえれば言い逃れは出来ない。しかしその相手が誰だか、直ぐに見当はつかなかった。他にも虐待の噂がある人物はいただろうか。またはあの事件の時、あいつに手を出した者の関係者がまだいるだろうか、と考える。

 当時複数人はいたはずだと記憶しているけれど、既に亡くなっている者や街を去った者ばかりが頭を過った。行方を捜すとしてもそう簡単ではないし、恐らくあいつもそこまでは考えていないだろう。つまり今も街に属している者のはずだから、数は限られる。

 徹には一人だけ思い当たる人物がいた。しかしその人間を殺そうとすれば、かなり難しい壁を越える必要がある。少なくとも、これまでと同じ手はまず使えない。例え万が一成功したとしても、さすがに警察も疑わしい人物として絞りこみを行うはずだ。

 そうなれば、あいつも今度こそ怪しまれるに違いない。また四人目が別の人物だったとしても同じだろう。これまでの三件は、証拠を残さないように気を付けていたと思われる。だが今の科学捜査は馬鹿にできない。これまでマスコミに発表していないものを、警察は少なからず隠し持っているはずだ。

 よって次に事件を起こせば確実な証拠を掴み、逮捕される確率は高い。それだけは避けたかった。街の仲間や集団を守る為にもこれ以上罪を重ねないよう、犯人の行動を食い止めなければならない。

 最悪の場合は、自分の手を汚す覚悟も必要だ。街の存続の為に犯人をこの世から抹消し、未解決事件として闇へ葬るケースも想定しておかなければならない。

 しかし自白すれば別だが、何も証拠がない内に殺すのも躊躇ためらわれる。その為しばらくあいつの行動と、他に第四の被害者となり得る人物を探して見張り、様子を伺う策を練ろうと決断した。

 この街に関わる人物なら、頭領の徹の手にかかればかなりの範囲に目が届く。ひょっとして、そろそろ自分が疑われ始めたと悟っているかもしれない。

 そうなれば犯人にとっても、徹の動きは見逃せないはずだ。互いに相手を観察し合い、気配を伺う睨み合いが続くだろう。

 もちろん四人目の犠牲者となり得る人物が、他にいる場合の対策も早急に立てなければならない。ただどちらにしたってあいつの動向さえ探り先手を打っておけば、犯行を阻止できる可能性は高いはずだ。

 そう考えた徹は集団の中で最も信頼が置ける人物を選び出し、あいつの行動を探るよう指示を出した。ただそいつには本当の事情を隠し、もっともらしい理由をつけ依頼している。

 その結果、街はこれまでにない窮地を迎えたのだ。しかし振り返ってみると、徹はこの頃から既にそうなると予想していた。それどころか、心の奥底では望んでいたのかもしれない。

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