1-2 タクマ
「私が支払いをするので、タクマ君はこちらで一人で泊まって下さい」
天辺までどれだけの高さがあるのだろう。測る人も登って上に何があるか確かめに行く人もいないので、大木は『キニナルキー』と呼ばれて大勢の旅人の目印として愛されている。
その大木の根本に自然と人が集まり作られた街の名は『みんなの集まる街』と呼ばれている。
街に着いたのは日が落ちる少し前。
道中走る速さを緩める事なくクマを背負ってきたレイクは、汗を少し流しているだけで変わらず涼しい表情だ。俺はもう全身疲労で、足はガクガクしている。でも、レイクの前だ。頑張なきゃ!
クマを道具屋に運び込んだ後、今夜泊まれる所を探した。しかし、この時期俺と同じように入団試験を受けに来る人が多いらしく、どこの宿も満室だ。
仕方ないので、と不服そうに呟きながらレイクの知り合いの経営している宿に行ってくれた。予備の部屋が1室空いていた。
「こんな可憐な、愛する人を差し置いて。しかも支払いまでさせるなんて、男としてできません!俺からは手は出さないと誓うので、一緒に泊まって下さい!」
「私は大丈夫ですから、貴方は泊まりなさい。女将、後は頼みます」
「困ったねぇ。この時期入団試験を受けに来る若者を狙って盗賊がうろついているんだよ。憲兵も見回っているし、レイクちゃんなら簡単に逃げ切れるだろうけど、宿から追い出したって噂が立てばこちらの信用問題に関わるんだよね。はぁ〜、困った。
男女の相部屋なんて当たり前だし、この男の子も手出ししないって言ってるんだ。
朝食にレイクちゃんの好きなクマのキッシュとコチドリの山賊焼を出してあげるけど、どうだい?泊まってくれるだろ?」
一瞬レイクの目が輝いた。食べる事が好きなようだ。
「で、でも女将。帰らないと!あの人の心配性は知っているでしょ?」
「レイクちゃんに万が一があったら、私達の責任になるんだけど。どうしてくれるんだい?」
トドメの一撃が効いたのだろう。レイクはぐっと息を呑み、鍵を貰い部屋に向かって行った。
この宿の女将は優しい。宿を出ようとするレイクを引き止めてくれた。俺も頑張るぞ!彼女ともっと仲良くなれる為に!
「タクマ君だっけ?わかっているとは思うけど、レイクちゃんには絶対に手を出すんじゃないよ。
相手の優しさにつけ上がって、調子に乗らない事だ。わかったね」
すっと目を細める女将の背後に、荒々しい獣の姿が見えたような気がする。
俺は冷や汗を全身にかき、コクコクと何度も頷いてレイクの後を追った。
ーーー
「今から湯処を使います。私が出るまで入って来ないで下さいね」
レイクが湯処に入ってから、10分は経っただろうか。せめて水音だけでも聞きたいとドアに耳を当てているが、ずっと無音のままだ。
もしかしてシャワーで溺れているかもしれない。それは一大事だ!鍵穴から中を覗けないかな。ああ、全く見えないっ!!
「何しているんですか?」
扉が開いてレイクが出てきた。
音もしなかったのに髪はサラサラ肌はほんのり火照っていて、服も綺麗になっている。ぼーっと見惚れていたら、レイクの妙な視線に気付く。あ、めっちゃ睨んでいる。覗きを疑われているのか!?
「誤解です!何も音がしなかったので、心配してたんです!」
「なるほど。何も説明せず入ってしまい、すみません。心配させてしまいましたね。
一般的な方法で湯処を使用していませんし、消音もしていました」
色々聞きたかったが、貴方もどうぞと促され湯処に入る。
質問は風呂に入った後で良いし、匂いが消える前に入らないと勿体無い。あ〜、良い匂いがする!姉と大違い!
湯処はシャワーだけの造りになっている。昨日姉が言ってたけど、5年前までは宿泊先で風呂なんてなかったそうだ。賢族と豪族が設備を作ったらしく、今は当たり前のように旅先で風呂に入れる。
体を綺麗にして出ると、机にレイクからの置き手紙があった。知り合いの所に用事があるらしい。
する事も無いので、ベッドで横になる。あ〜、今日は良い一日だった。
ーーー
何かが自分の上でうごめいている。重みがあって体が動かない
生暖かくぬるりとしたものが顔に当たる。舌のようだ。
下半身に柔らかい刺激を受け、まさかレイクが襲いに来てくれたのかと期待で目を開けると
「‥‥ワフッ」
大きい毛玉のような茶色の犬が腹の上に乗っていた。驚き過ぎて声が出ない。重い。なんだこれ
「ワンワン!」
「ん‥どうしたロン」
レイクが寝ているはずのベッドに、男性が寝ていた。俺は部屋を間違えたのか。
ベッドから身を起こすとかなり体格が良いのがわかった。
スキンヘッドでタンクトップから筋肉の塊りが見えるこの大男は、ニカっと白い歯を見せて笑う
「俺は施術師をしてるゴロウだ。宜しくな!
昨日レイクちゃんからここで泊まってくれるように頼まれたからロンと一緒に来たんだが‥‥君、彼女の事好きなんだな。ロンが一晩中上に乗っていたが、随分寝言が激しかったぞ」
ちゃん付けするって事は親しい関係なんだな
心配するな、男同士の秘密にしてやるとゴロウさんは笑った。良い人だ
レイクに色々大人の遊びをしてもらったけど、夢だったのか?シーツを捲ってみると服は着ていたが、股の部分が気持ち悪い。
俺はこのボケっとして頬っぺたが垂れたイヌと一夜を共にしたのか!イヌと!!
どうしよう。立ち直れないかもしれない
「だがな、恋焦がれるのは自由だけど彼女を口説くのはやめときな」
「他の人からも言われたけど、白族は何かあるんですか?」
「白族は王の客人で、特権階級だぞ。気をつけないと、不敬罪で家族諸共罰を受けるからな。
レイクちゃんは人が良いから誰にも優しいが、君みたいに付け上がる奴が増えると困るから、こうして釘さしてんの」
ニコニコ笑いながらも刺のある言葉が、胸に突き刺さる
「一般人はまず無理だな。王国戦士長クラスになれば可能性はあるかもな。まぁ、簡単になれないけど‥」
「わかりました!俺、戦士長になります!」
「おいおい」
呆れて肩を竦めるゴロウに俺は言う。
願いは口に出して行動していかないと、叶わないんだ!
ーーー
ゴロウは近くで治療院を経営していて、レイクは患者用ベッドで寝ているそうだ。
店の準備があるからと去る時に、疲れが溜まったらいつでも揉んでやるからなと背中を叩かれた。ジンジンとした痛みのようなものが全身にくる。気持ち良いかも。
湯処で色々なものを流してから食事処に向かうと、窓際のテーブルでレイクがキッシュを食べていた。美味しそうにしている姿が可愛い
挨拶をすると、一緒に座りませんかと言ってくれた。
「頼まれ事は終わったので、朝食が済み次第王都に向かう予定です。
タクマ君はどうなさいますか?他の志願者達に頼めば一緒に向かってくれると思いますが」
「よかったら、一緒に行ってくれませんか?」
「急がなくてはいけないので、早足になりますが、貴方が望むなら良いですよ」
ほっと一息つき、給仕の人から出されたホットサンドを口にほう張る。
カリカリのパンの間から半熟卵の黄身がトロリとトロけて、一緒に入っているベーコンと黄色の甘酸っぱいソースと合って、とても美味しい。
姉の作ったえげつない朝食以来何も食べてなかったんだった。
どんどんお腹が空いてくる。おかわりをお願いした
「こちらもよかったらどうぞ」
レイクのクマキッシュも取り分けて貰った。
臭みの無い旨味の塊りのような野性味溢れる肉に、チーズとトマトが絡み合い、キッシュの生地が全てを纏めてくれる。
こんな美味しいもの食べた事がない。
気がつけば、5人前は食べていた
ーーー
「おはよう。昨夜はお楽しみのようだったね。ロンがタクマ君の事気に入った様子だったよ」
この言い方だと女将も昨日の事を知っているんだろう。弱みを握られてしまった
あの大量の荷物でレイクについて行くのは無理だから、女将の好意で宿で預かってくれる事になった。
なんだかんだで、あの押しつけがなかったらレイクと出会えてなかった。少しは姉に感謝する。
顔を両手でパシッと叩いて気合いを入れ、軽装になり受付に行くと、レイクと女将が楽しそうに話をしていた
「次はこういう配合で作ってみれば良いんじゃないかな?」
「ああ、確かに良さそうだね。ありがとう。次来た時また味見頼んだよ」
「楽しみにしてるね」
あんな笑顔を見せるんだな。俺に向けてほしいな
「お待たせしました。用意ができました!」
「気をつけて行ってらっしゃいね。合格できる事を祈ってるよ」
女将に見送られ宿を出ると、何人かこちらをチラチラと見てくる。茶色や黒色の髪が殆どの地族の中にレイクはとても目立つ。同じ方向を目指しているので、志願者だろう
「私の背後に付けば風よけになりますから、なるべく側に居るようにして下さい」
レイクが走り始めた。俺より小柄な女性の後ろを走る。恥ずかしい。
ゴロウの気合いのおかげか、凄く調子が良い。全く疲れを感じない。それどころか、俺ってこんなに速く走れたんだ
街から王都まで徒歩で4時間、乗り合いの馬車では休憩ありで2時間の距離。途中ゆるやかな坂が続くのも関係なく走った。
前を走るレイクの揺れる長い乳白色の髪に見惚れる。とても綺麗だ。触ってみたい
「見えてきましたよ」
息を乱さずレイクが声をかけてきた。坂の上に大きな城と街が見える。
せっかく好きになったのに、もうお別れか。嫌だな
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