第5話 花純ちゃんプレゼンツ!
「今日は花純ちゃんプレゼンツだからなぁ~。どーこ行こうかなぁ~! うーんとねぇ〜!」
駅のベンチに座り、水筒を一杯ごちそうになっていると花純がしらじらしく話を始めた。
……まずいな。この感じ。
もう既に行き先は決まっているとみて間違いないだろう。
しかも“花純ちゃんプレゼンツ”などと言い出しているあたり、俺に決定権は無さそうだ。
だが、こんな茶番に付き合う義理はもうない。
ここは俺の意見を押し通す。でなければ、こいつと遠出する意味はないのだからな。
「それなら、日頃の疲れを温泉で癒すってのはどうだ?」
温泉街までの交通費は最も近い場所でも、片道1000円以上は掛かる。──往復二人分ともなれば4000円以上の出費。
そこからさらに、入浴料+タオルや風呂上がりのコーヒー牛乳を計算すれば『5286円』で賄うことは不可能。
そうなれば懸念される交通費問題も容易にクリアできる。「交通費くらい、自分で出すぞ?」と切り出しやすくなるからな。
加えて、温泉に浸かっている間はこいつと一緒に居なくて済む。イライラすることもなく、有意義な時間を過ごせるってもんだ!
だから今日は、こいつがなんと言おうとも温泉に行く!
──これはもう決定事項だ!
とはいえ、こいつが一言返事で承諾するわけもなく。
「ぶぅーッ! 温泉は一緒に入れないからだーめっ! 二人きりで混浴ができるならいいけどねっ!」
ぬかしおる。この女……。
昨日までの俺は、これでドキっとしていたんだよな。ドキドキっとな。……今はもう、しらけた笑いしか出てこないがな。
でもこの流れは使えるかもしれない。
化けの皮を少し剥いでやれば、話を優位に進められるってもんだ。
今日がお前と過ごす最後の日だと思えばな、なんだってできるんだよ! あまり俺を舐めてくれるなよ!
「それってあれだろ? 貸切露天風呂ってやつだろ? 平日だし飛び入りで予約できるんじゃないか? お金は俺が出すからさ、行こうぜ!」
どうせ行くことにはならないからな。こんなものは言ったもん勝ちだ。
「だ、だめだよ! 今日は花純ちゃんプレゼンツなんだから! しょ、しょーちゃんがお金出したら意味ないもん!」
焦ってる焦ってる。なるほどな。あぁ、なるほどだよ。
お前ってやっぱ、そういう奴だよな。
その気もないのに思わせぶりなことを言って、反応を楽しんでいるだけなんだよな。
ゲスな女だ。
だからこそ、冷静で居られる。
もうお前に昨日までの感情はないんだよ。残念だったな、花純。
──その手は通用しない!
「今日の俺は温泉に浸かりたい気分なんだよ。そのためなら、花純ちゃんプレゼンツとやらに寄付するのもやぶさかではないぞ? プレゼンツはそのままで、な?」
「うっ……。うーん……。しょーちゃん……、そんなに一緒にちゃぷちゃぷしたいのぉ……?」
なっ⁈ なにがちゃぷちゃぷだバカヤロウ! 本当にぬかしおるな。この女!
俺は温泉に浸かりたいと言っただけであって、お前と一緒に入りたいとは、ただのひと言も言っていないだろうが!
しかしこれが、こいつの常套句──。
ここで「そうだよ」と言えない俺を知っているからこそ、成せる技。
考えが透けてみえると、今までどうしてこいつを好きだったのかさえも、わからなくなるな。
思い出さえも、すべてが嘘に思えてくる。
こいつはただ、俺の反応を見て腹の中で嘲笑っていたんだからな。
……ふざけやって。ずっとずっとそうやって俺を騙くらかして──。
だからもう、その手は食わない!
お前が温泉に行きたくない理由に、俺の純情と下心は使わせない!
「だってプレゼンツなんだろ? だったら背中くらい流してもらいたいと思うのは当たり前じゃないか? たまにはこういう日があってもいいと思うんだけどな」
「おぉー……。そっかそっかぁ〜! しょーちゃんは花純ちゃんと一緒にちゃぷちゃぷして〜、お背中を流してもらいたいのかぁ……! えへへ。そんなにはっきり言われると困っちゃうなぁ! どーしよう!」
まじのガチでぬかしおるな。この女……。
とはいえ、ここらが落とし所だな。
「まあ、俺は温泉にさえ入れればいいからな。貸切露天風呂じゃなくてもいいぞ? 今日は花純ちゃんプレゼンツなんだろ? 俺がお金を出すのは違うもんな」
「うーん……。ちょっと待ってて! 少し調べてみるから!」
話の流れとしては完璧なはずだった。
にも関わらず、こいつはスマホを取り出すと調べごととやらを始めてしまった。
「2000円から3000円かぁ……。思ったよりも安い……けど」
スマホを真剣な眼差しで見つめながら、ひとり言のようにボソっとこぼした。
「うーん、でも……。わたしとしょーちゃんの電車賃……」
なんだ。今度は急に顔が険しくなったぞ。
でも間違いなく今こいつは『電車賃』と口にした。ネックだった交通費問題を持ち出すなら今しかない!
「電車賃なら俺、自分で出すぞ?」
「えっ? 本当に? いいの?」
「おう、いいぞ!」
「あ……。でも花純ちゃんプレゼンツだし……」
「遠出するってのに、俺の電車賃まで出してたら遠くに行けないだろ! だから気にすんな! これだけは例外だ。じゃないと俺が困る!」
「しょーちゃん……! うんわかった! お言葉に甘えます! しょーちゃんが楽しめないんじゃ意味ないもんねっ!」
よし。奢らせアイス計画のネックであった交通費問題はクリアしたぞ!
これであとは財布の中身を削ることに注力すれば、お前を確実に置き去りにできる! わからせられるぞ!
心の中で喜びの特大ガッツポーズをしていると、突然おかしなことを言い出した。
「ふふんっ。じゃあさっそく予約の電話しよーっと!」
……あれ。……予約ってどこに?
って、もう既にスマホを耳に当ててるし!
「ちょっ、かす──」
とてつもなく嫌な予感がして待ったを掛けようとするも、時既に遅し──。
「もしもーし!」
その声と同時に、スッと人差し指で俺の唇を押さえると『電話中は静かに!』と言いたげな顔をされてしまった。……おいおい。電話ってどこに……。
「露天風呂の予約をお願いしたいんですけど!」
……あれ。
「はい! えーと日帰りの貸切のやつです!」
……ちょっと待てよ。
「それなら桜ノ間で、時間は……三時でお願いしまーす! ……名前は
……おかしい。そんなはずはない。
「はぁい! じゃあよろしくお願いしまーす!」
電話が終わるとニッコリ笑顔を俺に向けてきた。
……嘘だろ?
「おい、花純……? 今の電話はなんだ?」
「ふふんっ。さあなんでしょー?」
「もったいぶるなよ!」
「そーれーわー! 着いてからのおっ楽しみぃ〜!」
いやいや、お前……。思いっきし電話の内容聞こえてたからな?
なんで本当に予約しちまってるんだよ? ありえないだろ……? いったいなにを考えてやがる……?
どう聞けばいいのか、戸惑っていると──。
「あっ! ちょうど電車来たー! 乗ろぉー! れっつごー! お・で・か・け!」
まずい。色々とまずいぞ。
そもそも何処に行くのかすらわかっていない。こいつにとって温泉はあくまでおまけで、他にメイン足りえる行き場所があるはずなんだ。
上り電車なのか下り電車なのか、それすれも知らずに──今、当たり前に下り電車に乗ろうとしている。
「ちょっと待て。何処に行くんだ?」
「秘密ぅ~! なんてったって今日は花純ちゃんプレゼンツだからねっ! しょーちゃんは心をワクワク♡胸をドキドキ♡しててくださーい!」
おいおいまじかよ。冗談じゃない。
帰るか? もう帰ったほうがいいよな? 電車のドアが閉まるのと同時にホームに出てしまえば追っては来れないだろ!
しかし──。
思わせぶりな態度でからかうにしては、明らかに一線を超えている。
……ちゃぷちゃぷ? ちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷ?
その行く末を見てみたいと思う気持ちが、俺を電車内へと止まらせた。
そうして──。
目的地に着いてすぐ、俺は後悔することになる。
世にも恐ろしい。純情を弄ぶことだけに特化した、花純ちゃんプレゼンツは──満を持して開幕する。
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