第37話 白く散る華 -Withering white flower-

 巨大な異形の大音声が響く。

 背中から筋繊維を束ねた鋭利な触手がウネウネと漂い始め、先端がジンを捉えて飛ばされる。

 最小限の躱し、動きでジンは回避するが、十数本以上はあろうかと言う触手に翻弄され、躱すのに手一杯で反撃出来ずにいる。


「く!元の人間より有能じゃねえかよ!!」


 皮肉を吐くもすぐに触手の一撃に掻き消される。

 そしてジンに全く当たらない事にかなり苛立ったのか、鈴里だったモノは雄叫びを上げ、周囲のデスクや椅子、研究機材などを薙ぎ倒しながらジンに迫る。

 影刺を抜き、勢いの振りで手近に接近した触手を三本同時に斬り落とし、回転しながら距離を取る。

 しかし異形には意味を成さずただ痛みによる怒りを覚えさせただけで、動きが巨体に反して俊敏になる。

 機材や椅子が縦横無尽に飛び交い、触手を斬り落としながら回避に専念するジン。

 ジリ貧だ、と認識したその時、異形の背後から長太い物体が振り被られ、ジンの全身に叩き付けられる。

 ジンの身体が勢いよく内装ガラスにぶつけられ、ガラスが爆ぜ、廊下まで投げ出される。

 

「ちぃ・・・!俺とした事がよ!!」


 よろめきながら、影刺を突き立ててジンは起き上がるが、異形は勝ち誇ったようにゆっくりとジンに近付く。

 

「汚物は消毒するわね」


 声と共に異形の首から鮮血が迸る。

 中までは到達しなかったのか、異形の鋭い呻き声が発せられる。

 ジンの前に、血に塗れたアリアが立っていた。

 

「・・・一応、元人間なんだ。せめてゴミ扱いはやめてやれよ」


 ジンが憐れむように言う。

 

「さあね、コイツは私の中で最も許せない存在になってるの」


 アリアの目が吊り上がり、黒に染まる。

 異形は喉を押さえ、何処か弱弱しく呻いていた。




 意識を再び朧気に取り戻したガイは、天井を物憂げに見つめている。

 身体に力みがまるで入らず、やはり回復は見込めない事は認めていたが、アイラに影縫を託したとは言え、やはりどこか、もどかしさが残っている。

 影縫を振るうおろか、持ち上げる事すら叶わない。

 影縫は渡したが、もう一つ残している物がある。

 納められた影針が、鞘の隙間から赤く鈍い光を漏らす。


「おい・・・、アイツらはもう、行ったのか?」


 ガイは呼びかける。

 室内にサリーが何か片付けをしていたようで、ガイの声に気付き近寄る。


「そうね、もう六時間は経つかしらね。

 やっぱり心配かしら?」


「いや、心配は心配だが待つ事しか出来ねえよ」

 

 そう答えた矢先、地響きが鳴り、部屋が大きく揺れた。


「え、地震!?」


 サリーは怯えて竦むが、ガイは何も言わず上体を無理やり起こす。


「今から一切外に出るな。終わる時は空が落ちると思っておけ」


 ガイはそれだけ言い、上着を羽織ってベッドから飛び起きる。

 サリーが何か言いかけるのを気にも留めず、ヘカテイアの外に出たガイの眼前に、それは見えた。

 空が落ち始めた。

 大降りの雨オーバーフロントの外装が剥がれ始め、スローモーションがかかったように、外装の巨大な破片が街に降り注ぐ。

 遠くから叫び声が聞こえ、街に瓦礫が容赦なく着地し、粉塵を舞い上げる。


「・・・最後の最後まで迷惑なヤローだな」


 呆れ気味に一人呟き、スマートリストから銃を取り出し、よろめきながら歩き始めた。




 壁面の揺れに加わり、雨の強さが変わり、土砂降りになる中、アイラは探していた。

 トドメを刺すべき仇敵。

 黒の肌が雨に打ち付けられ、ずぶ濡れになるも目の色は怒りから変わらない。

 緑に鈍く光る影縫も雨に濡れ、繋がった雫が伝う。


「いい具合じゃねえかよ、もう今更だけどよぉ?」


 レイの挑発的な声がアイラに届く。

 姿は見せていないが、

 

「いい調子だよぉ・・・、次に移ってやるよ。

 それまではコイツらで遊んでな」


「流石にちょっとしたモノじゃダメだったようだなぁ?

 それでもまだまだ出せる、俺自身がアビスホールだからなぁ!?」


「あらら、・・・哀れな人」


 無感情に吐き捨てるアイラに、再びレイの人外の腕が振り被られ、影縫で防がれる。

 不安定さが増しているのか、レイの表情が苦悶で歪められている。

 黒い肌に粘菌のようなものが貼り付けられた顔からは、最早人間の様相すら呈していない。


「ますます減らず口になってるのだけは気に食わねえなぁ!!!」


「貴様は最初からそうよ」


 すると、二人の背後の壁が爆ぜる。

 大小の破片が雨粒を弾き、粉塵が舞い上がる中、巨大な肉塊を押し上げるアリアが姿を見せる。


「ほう、お前も自立思考になったのか?」


 影縫に強固な腕を押し当て、アリアを見る事無くアイラを睨み据えたまま、レイがニヤつくが、突如レイの衣服から赤い刃が貫かれる。

  

「忘れてんじゃねえよ、俺もいるからな」


 レイの背後に大太刀を突き立てたジンが冷たく告げた。


「いいねえいいねえ、こうまでも想定外を咬ましてくれると手応え抜群ってもんよなぁ!!」


 レイの背中から勢い良く節足が大量に突き破り、ジンは咄嗟に刀を抜き退避する。

 同時に腕と影縫が弾け、前面の節足が再びアイラに飛び掛かり、アイラの斬り結びが再び始まる。


「いいねえいいねえ、いいねえいいねえ!!!」


 全身から群がり蠢く節足が瞬間的に突き立てられ、針の山が現れる。

 アイラは影縫で割りつつ背後に跳び、ジンは闇枯を振り回して同じく背後に跳ぶ。

 しかし幾つかの節足は束となり、二人を追尾する。

 しかし追尾する節足の束を搔い潜り巨大な肉塊がレイの針の山にぶつけられる。

 ここでアリアの爪撃、鈴里だったモノに容赦無くソニックウェーブをぶつける。

 肉塊の雄叫びの騒音が響き、ぶつけられたレイは身動きが取れず止まっているが、節足の追尾を止めていない。

 雨が全員を打ち付け、大半が肉塊のせいではあるが周囲が血黒に染まり、禍々しく濡れる。

 振り回しに振り回し、引っ搔いては斬る。

 異様な闘いである。


「うぜえなテメエラ、流石に少し下がるぜ」


 毒づいたレイは節足を背中に収納し、身を屈めて粉塵が舞う瓦礫の中に姿を消す。

 アイラとジンはすぐに追跡しようとするが、レイの声が周囲に響く。

 

「ソイツに俺の手足を通して俺自身が生成した薬剤を投与したからな、次のフェーズに移行するからな!

 オリジナル程ではないが、サイボーグ・ジン、貴様の記憶から思い出してみろ。

 赤影が出るからな!!」


 歪に張り詰めた声だけが響く。


「赤影・・・、アリア!

 一旦ソイツから離れろ!!」


 ジンが叫びアリアに呼びかける。

 アリアはまだ容赦無く肉塊に爪撃を与えている。

 ジンの声は届いていない。

 アリアの手が肉塊を抉るように突っ込んだその時、アリアの顔が無表情になる。


「何これ、手応えがナイ」


 返り血に染まったアリアは呆けた顔になる。


「無理にでも抜けぇ!!

 こいつヴォイド化するぞ!!」


 ジンの怒声が飛ぶが、アリアは動けずにいる。


「ち!触れ過ぎたか!

 アイラ、あいつを頼む!」


 ジンは肉塊の上に飛び乗り、闇枯の切っ先を突き立てる。

 続いてアイラもアリアに近付き、肉塊から引き剥がそうとアリアの腰と腕を掴んで引っ張るが、不可思議な感覚を覚えた。

 アリア自身は脱力状態で各関節部が力んでいないのに、まるで微動だにしない。

 そして、それは現れた。

 ジンの眼前に人の形をした赤い何かがゆっくりと、水面から首を擡げるように生えて来た。

 母体の肉塊とは色合いは同じだが、肉塊特有の滑りではなく全身が何かを吸い込むようで、一切の光を反射していない。

 赤い流体が全身を構成しているような、形容し難い特徴しかない何かだった。


「アイラ、この状態のヤツには斬ろうが撃とうが何も効かない。

 コイツが声を発する直前の動作がある。

 その瞬間に斬るが、声は絶対に聞くな!

 アリアは半分取り込まれてしまっていて意識が乗っ取られかけているから、代わりに聴覚部を塞いでやれ!」


 そう言われ、アイラは聴覚部のシステムをオフにし、アリアの聴覚部を押さえる。

 アリアは塞がれても何も反応がない。

 そして産声が破裂した瞬間、ジンの闇枯が一閃し縦一列に割れた。

 しかし、その“声”を聴いてしまったジンの耳から大量の鮮血が吹き出し、苦悶の表情のまま倒れる。

 ここでアイラとアリアの腹部を、同時に何かが突き抜けた。


「役立たずは役立たずでも、最期の最後に役立ってくれたなぁ」


 レイのニヤついた声が、アイラの背後から通る。

 レイの右腕だった異形の脚が、アイラとアリアを串刺しにしていた。

 乱雑に脚が抜かれると、アリアが力なく倒れ、アイラが立ったままアリアを抱き止めた。

 アリアの顔は元の色白な顔に戻っていたが、表情はいつもの不遜さが弱弱しかった。

 

「結局・・・、アイツに対して何も、出来なかったわね・・・。

 ・・・お姉様?」


 か細くなった声を振り絞り、アリアは顔を後ろに少しやる。


「後は・・・、お願い、しますね・・・」


 降りしきる雨粒の隙間を縫うように、アリアの身体が細かい粒子状となり、分解され、雨へと消えて行った。

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