第35話 ぐるい -Deviation-

 雷雨が激しく荒れ、閃光が室内を真っ白に染める。

 その余韻が残る一瞬、死体と大量の血が浮かび上がる。

 全員が全員事切れており、息を立てる音すら響かない。

 雷が鳴りやむと、光一つ刺さず暗闇に包まれる。

 窓から仄かに、僅かな靄のような光が照り、僅かに部屋の様相が影のように映し出される。

 

「どうしようもない男、最後くらい私の役に立ってくれないかしら?」


 レイの声が響く。

 真っ暗な部屋の為、シルエットと声から辛うじてわかるぐらいであるが、辛辣な言葉ながらどこかにやついているのが感じ取れる。

 

「お、お許しく、ください」


 対してレイの足元で平伏す男。

 常に尊大に、傲慢に振る舞っていた鈴里からは、最早そんなものは感じ取れない。

 床に突っ伏してひたすらに頭を下げ、小さく震えている。

 

「下界の方での仕事がダメだったからコチラでの仕事を割り振ったのに、アリアの調整も微妙に狂ってる。

 それで工科大の出で、理工学、電脳学研究の経験有りって言うのも笑わせてくれるわね」


 鈴里はこれ程までに冷たく、しかし激昂しているレイを見た事がなかったようで、レイの虚無とも言える圧にひたすらに震えている。

 そして冷え切った目で見下し、鈴里に言い渡す。

 

「有能を自称して言った通りの事すらまるでしてくれない。

 欲に駆られた豚はせめて、・・・食材になってもはえないかしらね」


「そ、それは・・・?」


 瞬時に意味がわかったのか、鈴里は頭を上げ、必要以上に震え出す。

 

「食材って言ったのは言葉のあやよ。

 科学の食材って意味。要は人体実験ね」


 レイの目は冷え切っているが、何処か口元がニヤついている。

 更に、懐から十センチ四方のハードケースを取り出し、中から注射器を取り出す。

 するとおもむろに、鈴里の首元へと雑に差し込んだ。

 注射器を取り出すまでの動作が自然過ぎたのと、レイの目をじっと見過ぎていた為、鈴里は手元にまで注意を払えず、ただ刺されるがままになっていた。

 

「投薬してから十分程かけて全身に巡ってから、身体中に変化が起きるわ。

 因みに、これは隔離棟の生物から抽出した塩基変換薬よ」


「え、そんな、そんな・・・!」


 鈴里の目が大きく剥き、絶望に打ちひしがれる。

 

「一度打ってしまったら、十分以内に血液を抜かないといけないわね。

 マイクロレベルのほんの残留薬でも効果は十二分に有り。

 今からでは完全に無理ね」


 レイはここで一気にニヤつく。

 鈴里の身体の震えが一際大きくなる。

 人間らしい表情が消え、白く目を剥き、背が反り返る。

 手足から別の手足。

 口からは別の口、と言うよりはトラバサミのような口吻。

 皮膚を突き破っているのにも関わらず、血はまるで滲み出ない。 

 

「あら、思ったより早かったわね。

 アナタも人間をやめたかったのかしら?

 早く言ってくれれば、私とはもっとわかり合えたのにね」


 しかし、鈴里は答えない。

 ただ震えるだけ。

 ただ目を剥くだけ。

 そして鈴里の驕奢な衣服が勢い良く破れ、身体が爆ぜ、鈴里より二回り程大きな灰褐色の虫が生え出す。

 

「・・・随分と雄々しい姿になったわね。

 人間の時より素晴らしいじゃない?

 これから、私の為に役に立って頂戴ね」


 血に塗れた、かつて鈴里だったモノは口吻の乱杭歯を滑らかに動かす。


「・・・あら、来客が来たようね」


 レイは視線を鈴里だったモノから外し、背後に振り向く。

 どこから、いつから入り込んでいたのか、ジンが影から姿を映し出す。

 信じられないモノを見たとでも言いたげな、愕然とした表情を露わにしている。

 

「おい!それどっから取り出したヤツだ!」


「あら、これは隔離棟のホールから現れた被験生命体から抽出した塩基変換薬よ」


「ホール? テメェまさか、・・・アビスホールか!?」


 鈴里に打ち込んだ薬の出処を認識したジンの顔が、憤怒に歪む。

 

「そうよ、アナタが死ぬキッカケになった、面倒くさい代物よ」

 前回よりかなり小降りだと思うけど、そこに遺伝子復元した絶滅種の節足動物を投入したら素晴らしい結果になったわ」


「入れただぁ?

 テメェ、ヴォイドを作るつもりか!!?」


「そう、そのヴォイドよ。

 誰が名付けて伝えたか知らないけど、何処かの世界では具現虚空生命と呼んでるそうね。

 幾度となくこの世界に現れては人に害を成し、暗躍し、果ては滅ぼそうとした。

 私の求めていた存在そのものじゃないの」


「・・・だからアイラが現世に戻って来たのか」


「そう、やはりXX-01はかつての大戦に姿を見せた"漆黒の女神"なのね?

 彼女がそうと分かった以上、これ以上準備に時間を割く必要はない」


 するとおもむろに、レイは懐から小箱を取り出す。

 鈴里に打ち込んだ注射器を入れた、あの箱と同じ代物である。

 注射器を取り出して箱を投げ捨て、レイは自身の首筋に勢い良く注射器を刺す。

 

「な!?テメェ正気か!?」


「分かってねぇなあああ!!?」


 カっと目を見開き、大声を飛ばすレイ。

 女然とした雰囲気をかなぐり捨て、語気が荒くなっている。

 今までの顔はわざと作っていた表情だったのだろうか、今見せる荒々しい貌が実に自然で、本来の顔である事が想像に難くない・

 

「俺はなぁ、何よりも人間が大っ嫌いなんだよ。

 こんな簡単な事で人間をやめれるなら科学者冥利につき、これ以上の願ったり叶ったりなんかねえよ!!」


「鈴里に打った薬よりかなり遅効性だけどな、強化の具合はコイツの比にならねえぞ!

 今の内に鈴里で練習でもしとくんだな!」


 身を翻し、レイは窓を突き破って外へ飛び出した。

 室内に、ジンと鈴里だった化け物だけが残される。

 鈴里だったモノは、乱杭歯をカチカチと忙し気に、威嚇するように鳴らす。

 

「・・・ちっ、こりゃ手間取るな」


 ジンは影刺を抜き、敵を見定めた。



 

 外の雨は時間を経る毎に強くなり、周囲の汚れを洗い落としている。

 研究施設が密集するエリアでは、植物らしき物は一切植えられていない。

 レイの要望、と言うより建設時の注文であったようで、地面を穿つ雨は溜まる事なく、全て弾かれては排水溝に流される。

 オーバーフロントの全エリアの外縁部に排水口があり、全てその水は地上へ流し出される。

 雷雨の中では圧巻の風景ではあるが、下の住民には非常に迷惑な代物でもある。

 また、雨で下の人間達は苦しんでいる。

 人間がとにかく大嫌いなレイは、この大雨の日が大好きだった。

 流し出される大量の水で、一部だけとは言え世界が埋もれる。

 自分の行った注文が通り、人間を苦しめれている。

 レイはとにかく、心が躍っていた。

 とにかく研究エリアの外を、ただ我武者羅に走り回る。

 いや、狂喜乱舞とでも言うべきか。

 そして研究エリアの通用口、外に研究員の宿舎エリアとの境界にて、再び出会う。

 

「あら、アナタも来たのね」


 レイは狂喜しながら、訪問者の存在を認める。

 漆黒に雨を打たれ、濡羽色に染まったアイラが立っていた。

 腕に黒灰色こくかいしょくの横縞が走り、目は漆黒の眼球に紫の虹彩。

 ここを出奔した時は全裸であったが、今は衣装を身に纏っている。

 そして何よりも以前と違ったのは、目に表情が宿っている事だった。

 当初は、機械らしさしかなく、人間で言えば無表情。

 鈍い人間には気付かない違いだろうが、明らかに意志を宿している。

 絶対零度の眼差し。

 自分に対して手心を加えるつもりは一切ないと言う意思表示。

 アイラの右手に構えられた、見覚えのある長刀。

 ガイの所持していた影縫の鈍い発光が異質に周囲から浮き立つ。

  

「私はガイと共に」


 レイに切っ先を向け、冷徹に言葉を発した。


「貴様を狩る」


「言葉が随分流暢になったわね。

 ますます完成に近づいてるわね!」


「・・・お前は勘違いをしている」


 アイラの目から絶対零度が融けない。

 更に、レイが報告で聞かされていた、アイラの会話の選択傾向が変化している。

 これも当初は、人間味を帯びておらず、機械らしい徹底的な敬語であった。

 

「私は完成を目指しているのではない。

 ・・・人間になりたい、ただそれだけだ」


「これ程までに醜悪邪悪な存在の人間になりたいですって?

 あくまでも人間になりたいと言うアナタの願望は、開発段階で私がプログラミングしただけの一文なだけよ?」


 挑発的にアイラを煽る。

 しかしどこか、レイは違和感を覚えていた。

 こんなに違和感なく会話をしている。

 まるでアイラを人間であると認識している、と言う感覚。

 なるべく悟られまいと挑発めいた雰囲気は崩さないようにしているが、何処か気持ち悪さを感じていた。

 

「貴様の意志や願望は知った事ではない」


 アイラは冷たく返す。

 突き付けた刃先をまるで微動だにさせない。

  

「私は貴様の入力したプログラムは全否定した。

 その上で人間になりたいと願ったのだ。

 そして今まで、ガイと共に過ごして、サリーや仁科さん、アパートの皆。

 アリアとジンさんと出会って、私は変わった。

 私のCPU、ストレージには、何一つとて貴様が入力した内容は残されていない。

 全て私が書き換えた。

 人間になりたいと言う願いは、こう言う形で叶えられた」

 

「人間になりたいなりたいってくどくどうるせえなぁ!!!」


 レイの怒声が雨の中を木霊する。

 過去の事から見て、レイは否定される事に対して、見せないようにしているがコンプレックスを抱えている。

 それを真正面から、よりにもよって自分が造った、人間でもないモノに正面切って否定された。

 

「私は自分自身で自己プログラムを確率し、自分自身で最適解を見出した」


 顔が雨に濡らされるも、アイラの目は相変わらず、雨以上に冷え切っている。

 

「それがさっき言った、"貴様を狩る"だ」


「やはりお前も失敗作なわけだ。

 XX-02もそうだった、どいつもこいつも・・・」


 すると、レイはこうべを垂れ、立ったまま動かなくなる。

 暫くすると、右腕の表皮が唐突に膨れ、伸び出す。

 耳が尖って伸び、痛みを感じているのか叫び声を上げている。

 そして徐々にその声は野太くなり、雄叫びに変わる。

 今度は仰け反り、顔が瞬間的に見え、上を向く。

 顔の表皮まで真っ黒になっているのが、顎からでも見て取れる。

 そして“変体”が完了したのか、雄叫びが止まり、ゆっくりとアイラに再び向き直る。

 眼球までもが黒く染まり、更に三白眼と異様な風貌に変化していた。


「それならお前もいらねえ。

 俺の今発動した力で、何もかも十分だ」


 肥大化した右腕を振るい、地面に突き刺す。

 勢い良くタイルが破裂し、破片と水飛沫が舞う。

 

「その刀、影縫だろ?

 アイツの後生大事に持っていた鈍刀!

 人間になりたいと連呼する失敗作おまえとその鈍刀、どう言う様を見せてくれるのか楽しみだ」

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