第34話 されど救われた心 -But a saved heart-

 アイラがガイを抱き抱えて退場し、アリアとジンが残される。

 荒んだ風に吹き付けられ、刺すような冷えが互いの肌を通る。

 血に塗れたジンの顔には、やはり憐れみが現れている。

 アリアは激昂し、表情が苦悶している。

 長らく言葉を交わさず、どちらも無言で、動き出した。

 影刺の切っ先が振られ、アリアの引っ掻きが一閃。

 何手かしてから、アリアが不意にジンの頭を無造作に掴み、押さえつけて壁面にぶつける。

 壁面が割れ、エレベーター管部の中に突入、瓦礫が爆ぜる。

 エレベーター管部の中は、密集している内部になっておらず、昇降用関わらず透明の管が十数本、等間隔かつ円形に並び立ち、意外と隙間がある。

 その隙間にメンテナンス通路など、ブレーチングなどの足場が設置されている。

 むしろ、管部の中は足場がメインの空間と言っても良い程である。

 手近な足場にジンは避難し、額から流れ出る血を手の甲で拭う。

 対して十メートル程離れた位置に、アリアがいる。

 獣の四足歩行のように、深すぎる中腰で構えている、と言うより狙い定めている。

 

「最初から思っていたが、やっぱりお前、機械らしさが全くないよな」


 ジンの少し辛そうな表情が崩れない。

 アリアの顔は大きく歪んだまま、赤黒い虹彩で睨み付けている。


「やたらと俺の事好いていたようだが、何で俺が拒否していたのかわかるか?

 ・・・まあ、わからねえだろうな。

 大昔に、お前と同じように、俺に懐いてた女がいたんだよ。

 人間の女でな、ただどうにも、異性に対しての興味と言った具合とはまた違ってた。

 肉親がロクでもないヤツらだったから、心を開ける“家族”が欲しかったんだろうな。

 だがな、俺は人間でも、お前みたいな機械でもない。

 どっちにも該当しない存在だったから、俺みたいなのにずっとついていけば、絶対にソイツは不幸になる。

 現に、ソイツは俺のせいで死んじまった。

 だがな、お前の事をただ徹底的に拒否していただけじゃねえんだ。

 ソイツとお前がどうにもダブって見えてな、あの時の事を繰り返したくなかっただけだ」


 長く、ジンはアリアに語り掛ける。

 言葉が届いているかどうかはわからない。

 ただ、言わずにはおけなかった。


「お前本当は、レイから、この世界に呼び出されて、迷惑だったんだよな。

 最初から、道具扱いされてる事はわかってたんだよな」


 ジンの一言がようやく届いたのか、四つん這いのアリアの顔が呆ける。


「今は一旦、俺も退く。

 お前も、一旦ここから離れろ。

 明日、決着をつけに戻るから、全てが終わった後、お前の思い続けている望み、叶えてやる」


 続けられたジンの言葉に呼応したのか、アリアの身体から力みが消える。

 禍々しく迸った黒い霧も、次第に収まっていく。


「・・・明日、な。

 俺からの、最初で最後の約束だ」





 一度ヘカテイアに引き返したアイラは、そのままそこでガイの看病を行った。

 サリーも事情を察し、店を当面休業にして、アイラの看病のサポートに徹している。

 ガイは簡易ベッドに横たえられてから、未だ眠りから目を覚ましていない。

 

「まだ意識戻らないのね」


 サリーがタオルなど、必要な物を座卓の上に置いて呟く。


「ジンさんがさっきくれた情報で、ガイの応急処置は終わらせてるけど。

 ・・・どうなるかわからない」


 珍しく、アイラの顔に不安げな表情が過る。

 サリー自身も見て来た事だが、アイラの表情のバリエーションが、日増しに増えている。

 出会った当初は、基本的に無表情ではあったが、時折見せる小さな笑顔が印象的であった。

 そして仁科の一件以降、儚さが出始めた。

 “悲しみ”を覚えたからだろう。

 今までに見せた感情は、“楽しみ”、“哀しみ”。

 人間の感情の四大要素の二つを出している。

 これに“怒り”が加わるとどうなるのか。

 そして“楽しみ”は見せている中、本質が似て非なる“喜び”はどう出るのか。

 古来人間は誕生してから、感情形成のプロセスには時間をかけている。

 しかし、聞くにこのアイラは、誕生してからおおよそ二から三年程度。

 幾ら機械と言えど、これ程の感情情報を短期間で理解するのに負荷がかかっているのではなかろうか。

 これが生きた人間だと、想像を絶するストレスになる筈である。


「アナタって、不思議なコね。

 彼に最初、アナタは感情表現が下手なだけと誤魔化していたけど、今見たら下手どころか、今生きてる人間より最も人間らしいわね」


「それも、まだわからない。

 ・・・それと、今凄く悩んでる事があるの」


 アイラの顔が更に苦悶する。


「最初ガイに会った時に、お互いの望みを教え合ったの。

 私は、“人間になりたい”と言った。

 ガイは・・・、“俺を殺して欲しい”と言ったの」


 アイラの言葉に、サリーは絶句した。

 サリーの反応を後目に、アイラは続ける。


「私は最初、ガイの要望を了解したの。

 でも、長く過ごす内に、ガイの望みを叶えるべく実行すべきなのか。

 本当にガイの望みを叶えるべきなのか。

 私の頭の中に、命令と何か良く分からないものがぶつかってるの。

 どうしたらいいかわからなくて。

 今こうなっているガイを見たら、今こそ望みを叶えてあげるべきなのか」


 ここでアイラは網膜モニターに不調を来している事に気付いた。

 全体に靄がかかり、周囲の視認が難しくなっている。

 そして顔面体表に液体が伝う感覚が認識される。


「・・・あら、アナタもうしっかり人間じゃないの。

 アナタの望みは叶っているわ」


 サリーらしき輪郭が網膜モニターに映し出され、両手が握られている事がアラートで表示される。

 聴覚センサーに認識されるサリーの声は何処か、掠れて震えている。


「身体は流石に難しいだろうけど、アナタの望みは叶ってる。

 むしろ、ガイ君が叶えてくれたんじゃない?」


 サリーの語り掛けが、アイラの中の認識を固めた。

 ガイの望みを叶えるべきと言うのは、アンドロイドとしてのアイラの記憶情報から。

 ガイに生きて欲しい、と思ったのは、アイラと言う人間の願い。

 ガイと出会って297日と網膜モニターに表示され、もうすぐ300日経つと言う事が示されていた。

 既に、願いはある意味、叶えられていた。

 

「にしても、彼不思議な身体しているわね。

 身体があちこち、表皮が割れ物みたいにヒビ割れしているわ」


 アイラの手を離したサリーは、ガイの傍らに置かれた濡れタオルを回収する。

 濡れタオルから、ガイの皮膚の一部が付着したのか、粉が少し落ちる。

 

「前にガイがサリーさんに言ったように、ガイはこの身体になってから二千年は経ってるって言ってたわ。

 特殊な材質の修復剤がいるらしくて、それがないとCODENAMEとしての行動は不可能って・・・」


「CODENAME?」


「ガイとジンさんが、二千年前に所属していた組織のような共同体。

 ジンさん自身は千年前に既に亡くなってて、今のジンさんはクローンの素体を入れたサイボーグ。

 当時を本当の意味で知ってるのはもうガイだけなの。

 ・・・もう限界まで来たのかも」


 すると、不意に扉が乱暴に開かれる。

 ジンが部屋の中に倒れ込む。

 

「ジンさん!」


 アイラはすぐにジンに寄りかかり、肩を貸してジンを起こす。

 オーバーフロントから地上へ落下したダメージはもちろん、そこからまだ戦闘を継続していた為、見るからに深いダメージが見て取れる。

 

「・・・ガイの、容体はどうだ?」


 痛みに耐え、ジンは歯を食い縛っている。


「身体崩壊は止まってるけど、まだ起きない」


「相当やばいな・・・」


 手近なソファーに座らされ、ジンはようやく体を休める。

 

「ガイのスマートリストにも抑制薬が入ってねえ。

 もしかして、補充もなしにずっと生きて来たのか?」


「そういうのが必要だって事は全く聞いていなった。

 ガイは、どうなるの?」


 アイラの問いにジンは返答を詰まらせる。

 暫く黙り、ジンはタバコを吸っていいかサリーに聞き、了承を得て火をつけて一息つく。

 そして言いにくそうに告げた。

 

「・・・根性論を言う柄じゃねえが、コイツの根気に掛かってるとしか言えねえ。

 コイツのスマートリストを改めて見せて欲しい。

 コイツの中身は二千年も見てねえから、どう言う状況なのか全くわからん」


 ジンに促され、アイラはガイの手首をそっと取り、スマートリストを外す。


「一周、時計回りに指をなぞって、すぐに今度は反時計回りに二回なぞってみろ。

 そしたら、小物類だけが一括で出される」


 その通りにアイラが指でなぞると、座卓の上に一斉に小物が具現化される。

 実際のところ、出された小物類に役に立ちそうな物はまるでなかった。

 真っ先に、ジンが手にしたのは薬剤ケースらしきアクリルの箱だったが、中は何も入っておらず、ジンは無言でそれを置く。

 他にあるものと言えば、いつの頃の物かわからない古臭い電子機器やスマート端末、少し重みのある電子手帳ぐらいであった。


「ん、これは?」


 アイラは電子手帳に目が行く。

 

「何だろうな、俺も知らないなこれは。

 ・・・まさか日記か?」


 アイラが電子手帳を手にした時、後ろから事切れそうな声が発せられる。


「・・・テメェら、勝手に」


 ひび割れが治っていない、ガイが震えながら上体を起こそうとしていた。

 

「・・・見るんじゃ、ねえよ」


「ガイ!!」


 電子手帳を手にしたまま、アイラはガイに勢い良く抱き着く。

 少し痛みで顔を歪めるが、仕方ないと言った顔で、アイラの高等部をそっと左手で撫でる。


「・・・それはすまん、例の薬はないのかと思ってな。

 と言うか、よく起きれたな」


 ジンが少し気まずそうに答え、問う。

 

「見られたくねえ物見られてオチオチと寝てられっかよ」


 弱弱しくも、ガイは相変わらずな毒を吐く。


「・・・調子はどうなんだ?」


「影縫最後の不覚だな。痛みはねえが力が入らねえ。

 自己修復が起きる気配もまるでねえし、完全にお手上げだな」


「スマートリストの中身を見ても抑制薬の類が全くなかった。

 お前、今までどうやって身体を維持してたんだよ」


「CODENAME抜けてからずっと持ってねえよそんなの」


 アイラから離れ、ガイは再び簡易ベッドに寝転ぶ。

 仰向けのまま、物憂げに遠くを見るように。

 

「自分でストックしてた分を二千年かけてチマチマ消耗してたんだよ」


 何てない事だとでも言いたげにガイは答えるが、対してジンは目を見開く。

 

「お前、そんな状態でああまで動き回れたのか?」


「さあ?だかな、この一連の時が一番、生き生きしてたかも知れんがな」


 物憂げな眼が、少し得意げになった。

 ジンの良く知っている顔だった。

 

「お前はやっぱり、CODENAME最強だな」


 驚愕から一転、ジンは感嘆していた。


「ふざけんなよ。"刺して縫い合わす"で成立してたんだろがよ」


「刺して縫い合わす?」


 二人のよく分からない言葉が散りばめられた会話にアイラとサリーは置いてきぼりになっていた。

 サリーはそれ以上特に何も聞きはしなかったが、アイラがどうにも我慢出来なかったのかここで会話に入る。


「刺しでガイ、縫いで俺、合わすで昔いたシンってヤツの三人でよく行動しててな。

 こう言われてたのは、周りのヤツらが勝手にいってたのもあるんだが」


「昔の話はもうやめろ、柄にもねえ。

 ・・・それと、アイラ」


 得意げな表情が消え、ガイは再び物憂げな目になり、アイラに語り掛ける。

 

「直接隣にいて、お前を守れなくなった。すまない。だから、代わりに、その影縫、持って行け」


 簡易ベッドの傍らに立てかけられた、黒塗りの鞘に納められた影縫が指さされる。

 

「これ、ガイの大事な物じゃ・・・?」


「俺はもう完全な戦力外だ。どんなに武装しようが強化しようが、どう足掻いても前程の戦力にはなれねえ。

 足手纏いでしかない。

 だけどな、ただ本当に何にもしないってのも性に合わねえし、・・・何より歯痒いんだ。

 せめて、お前が使ってくれ。

 これを俺と思え」


 再びガイは起き上がり、震えながら影縫を重そうに持ち、アイラに差し出す。

 そしてアイラは、影縫を受け取る。

 

「・・・思ったより重いんだね」


 試しに、アイラは鞘から影縫を抜き、ガイから離れて、部屋の中の開けた場所で影縫を小刻みに振り回す。

 上手い具合に、刃先は何処にも当たらず、片手で優雅に回してから鞘にしっかりと納めた。

 

「ほう、ジンすらも拒んだのに、コイツすぐに馴染みやがったな。

 それなら、安心だ、な・・・」


 ガイは知らぬ間に再び横になっており、次第に静かになった。

 ジンは立ち上がってガイの寝入った状態を目視で確認し、安堵するように小さな溜め息をついた。

  

「眠っただけか」


「ええ、私と出会ってからずっと、本当の意味で寝てなかったと思う」


「俺達の最後の仕事、ここまでなんだな。

 こっからは、ある程度俺も引き継いでやるぞ」




 この日の夜、凄まじい雷雨となった。

 街中には誰一人歩いていない中、ヘカテイアの入るテナントビルの屋上に二つの影。

 互いに黒い衣装を纏い、激しい雨に打たれて濡羽色に変わっている。

 一人は白い肌が目立つ、ジン。

 もう一人は、全てを漆黒に染め、左手に緑光を纏った影縫を手にしたアイラだった。

 二人は打ち付ける雨を物ともせず、空に浮かぶ悪意の塊を睨みつけた。

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