第32話 惜しみ -Regret-

 昼下がりの折、アイラとガイはヘカテイアを離れた。

 あれだけ、戒厳令が敷かれている中大立ち回りを行った為、どの時間に移動しようが変わらなかったが、ガイは敢えて夕刻時の、暗くなる直前だと人通りが多くなる為、監視の目から紛れると踏んでの行動だった。

 そして夕刻、出歩く人々が現れ、波に乗るよう二人は紛れ込む。

 一際歩き、そしてアイラが初めてアイスを食したショッピングモールへと二人は足を進ませていた。

 今回は特に、アイラは食べ物と言ったものに気をかけなかったが、遠くから小気味良く鳴り響く音に興味を示す。

 機械的な、分析しようとしているような雰囲気を出さず、音の出どころを目にして足を止めた。

 心が奪われて見つめているのが人目でも分かる程に。


「そんなに気になるのか?その塊」


 足を止めたアイラに気付いたガイは振り向き、アイラのところにまで戻る。


「・・・楽器って言うんでしょ?これ。

 ピアノ&フォルテが正式名称」


 アイラの見つめる先にあったのは、漆黒の光沢が施された、いかにも高そうなグランドピアノだった。

 ガイのよく言う、西暦2000年代によく見られた、ストリートピアノと言う類のものであり、蓋が開かれて誰もが自由に弾いて良いと言う、施設のサービスのような物。

 そのピアノに、子供が何人か、粗雑ながらも無邪気に鍵盤を叩いて喜んでいる。

 

「けっ」


 思い出したように吐き捨てるガイ。すぐにピアノから目線を背ける。

 

「どうもあのヤローが関わって来ると、コイツがどこかしら絡んで来るんだよな。

 人の事言えねえけど、無愛想なアイツが弾くのはどうも昔から違和感ある」


「・・・確か、ジンと言ったあの人?」


「ああ、アイツだよ。

 昔から時折弾いてやがったよ。

 音楽の何が良いのか昔っから全然わかんねんだよ俺は」


 ぼやくガイを後目に、アイラはどういうわけかガイを無言で見つめる。

 普通のアンドロイドなら、よくわからない事を言われて最適解を導き出すのに時間をかけている、と言うべきなのだろうが、このアイラの表情はそれではない。

 如何にも人間的で、どう見ても“お願い”とでも言いたげな目だった。

 そしてガイは思い出している。

 どうにもこう言う目をされると、自分でもどう対処して良いか分からず、昔からこの目をする人間には好きなようにさせてきた。

 そして、まさかアイラにこの目をされるとは思わなかった。

 

「だぁー!少しだけだぞ!

 そんなに時間取れないからな!」


 ガイは敗北宣言、早く行く様ピアノの方向に指差す。

 もう飽きていたのか、ピアノに群がっていた子供達はいなくなっており、ピアノの周辺には誰もおらず通りすがりしかいない。

 アイラは誰に言われるでもなく、きっちりと椅子に座り、鍵盤の前に腰を据える。

 初めて見る筈なのに、元から彼女にとっては、作られた目的にとっては最も不要な情報の筈なのに、ピアノを前にして、奏者然として佇んでいる。

 敵に狙われているとは自覚しつつ、ガイは流石に無視出来なかった。

 通りすがりが多くいる中、アイラが指を動かし始める。

 ガイは、昔から良く音楽の事がわからなかった。

 本人にとっては雑音の一つとしか捉えておらず、生きる上で自身にとっては不要要素と切り捨ててきたもの。

 故にアイラが何を始めたのか、専門的な事は良くわからなかったが、初めてする者が突然出来る事ではない事はすぐに理解出来ていた。

 元からそうプログラムされていたのか、ガイの知らないところで覚えたものなのかは分からないが、アイラはピアノを奏でていた。

 高くも低くもない調音から始めた旋律を周辺に響かせ、通りすがりが何人か、少し足を止めては離れて行く。

 殆ど、誰も止まらないところを見ると、誰も知らない曲のようである。

 

「おい、何だよそれ」


 やっとガイの口から出た言葉である。

 演奏をやめず、アイラは答える。


「私のストレージの中にもなかったけど、勝手に指が動いたわ」


「勝手に、て。どう言う事だ?」


 会話は続くも、アイラの演奏は止まらない。


「わからない。でも、そのジンって人の話を聞いて、何故かこう動いていた」


「(アイツの言ってた、アレの事か?“あの記憶”なのか?)」


「本当にわからない。ただ、こう動いた事で、私の中で、何か変わった気がする」


「それは動くって事じゃねえんだ。弾く、演奏するって事だ」


 ガイがそう言い終えた後、徐々に立ち止まって少し集まった通りすがり達が拍手を飛ばす。

 アイラはその拍手の意味がわからなかったのか、後ろの聴衆達を見てキョトンとする。

  

「・・・ならもう一回やってみろよ」


 拍手の音に紛れてガイがそっと伝える。

 アイラはまだ理解出来ず、言われたまま再び手を動かす。

 メロディーは同じだが、伴奏が先程とは異なっている。

 曲はこれしか知らないようだが、色んな演奏法は頭の中にあるようだった。

 

「そうか、そうか。

 ・・・アイツにあったら、それだけ伝えておくか」


 一人ガイは呟くが、この声はアイラに届いたのかどうかはわからない。

 ただ、応えたのかどうなのか。

 同じメロディーなのに先程と弾き方が大きく変わり、鍵盤だけなのにも関わらずダイナミックな空気を纏い出した。

 空は黄昏を越え、いつの日か見た、最後と思っていた夜の帳と同じく、青味がかっていた。


「(ジンに伝えといてやるよ、アナタは惜しまれていたってな)」

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