第5話_心の平穏

俺は暑さで目を覚ます。

日は高く上っており、もう昼頃だろう。


昨日知ったが、俺の体は死んで変わってしまった。

まずお腹が空かない。

トイレにも行きたくならない。

極めつけが痩せた。

この変化だけで十分に俺は死んだことを実感できた。


俺は顔を洗うこともなく、池に再度向かうことにした。

あの二つの光も俺と一緒に付いてくるようだ。

茂みをガサガサと通り抜けて歩道に出ると、金の池に来ていた人たちと目が合う。

『何をやっているんだ?』という表情のいぶかしげな視線を送られる。

俺は苦笑い気味に「はは、おはようございまぁす……」と消えそうな声で挨拶し、そそくさと早歩きで人気がない方へ移動した。

昨日座っていたベンチが空いていたので、そこへ座りため息をつく。

水上の光たちだけは、スィーと気持ちよさそうに飛んでいる。


「お前たちも飛んできていいぞ。

俺は金の池を見ているから、行っておいで」


二つの光に声をかけると、彼らはじゃれ合いながら池の上を飛んで行った。

俺はというと、今日も金の池が見せてくれる家族を見守る予定だ。

昨日見た三男の様子が特に心配だ。

今日はこいつを中心に見守るつもりだ。

そう思い金の池を覗き込む。


三男はもう起きていた。

ただ部屋はカーテンが閉められており、薄暗かった。

その時、トントンと扉がノックされる。


「父さんは仕事に行くが、お腹が空いたら外に出て食べるんだぞ。

サンドイッチあるからな」


父が部屋の中にいる三男に声をかける。

この会話から想像するに、彼はずっと部屋に引きこもっているのか。

一人暮らしをしていたはずなのに実家に戻って来ているということは、もしかして会社も辞めてしまったのだろうか。

俺が亡くなったことがきっかけで、体を悪くしてしまった……?

ただただ不安が募る。


声をかけられた三男は、ベッドに倒れ込み目をつぶった。

そして、また少し泣いていた。


俺は胸がキュッと締め付けられる。

見ることしかできないのがもどかしく、悲しい。

俺は一度金の池を見るのをやめ、しばらく下を俯いていた。


遠くからシャッ、シャッ、という音が近づいてくる。

はっとして音のする方に顔を上げると、歩道をほうきで掃除している白い服の女性がいる。

俺はまた連れ去りや押し売りに遭いたくなかったので、ベンチから立ち上がって場を離れる。


女性が去ったのを見届けた後、俺はまたベンチへと戻って金の池を見つめる。

三男はあの後寝てしまったようなので、長女へと意識を移す。

彼女はすでに結婚しており、旦那さんと別の所に住んでいる。

しかし今は実家のリビングにいるようだ。

末の妹は学校へ、両親も仕事で出ているので、家には誰もいない。

長女は手洗いうがいを済ますと、俺の位牌を前に手を合わせた。

それから遺影を見つめ、


「寂しいよ、お兄ちゃん」


とつぶやいた。

憂いを帯びた言葉が静寂に吸い込まれる。


長女は落ち着いた性格で、あまり感情を表に出さないタイプだ。

その長女から発せられた言葉は重い。

居ても立っても居られなくなり、俺はまた泣きそうな気持ちを抑えて池の周りを歩いた。

気付けば二つの光も一緒に居てくれる。


グルグルと何周しただろうか。

落ち着くまでにかなり時間がかかった。

本当なら街に出ればもっと気が紛れるのだろうが、連れ去られそうになったり、もみくちゃにされた街は、もはや俺のトラウマだった。


いつの間にか日暮れだった。

再度座っていたベンチに戻り、金の池を通して家族の様子を見つめる。

一人ずつ確認しようとしたところ、意外なことが起こっていた。

三男を除き、家族全員が実家のリビングに集まっていたのだ。

どうやら実家を離れた次男、長女、次女も、三男を心配して帰ってきたようだ。

流石にこれだけの人数が集まれば、元気はなくとも賑やかになる。

それにつられてか、家族の表情には笑顔が少しだけ見られた。

きっと最近とは違う雰囲気なんだろうなと俺は思った。


するとリビングの入り口に人影がもうひとつ。

なんと三男が部屋から出てきたのだ!

家族全員が大喜びで三男を出迎える。

次女なんて喜び過ぎて三男を押し倒しそうな勢いで抱きついている。


当の三男はずっと食べていなかったせいで、少しやつれて顔色が悪い。

次男がすぐさま食卓へ誘導し、三男を座らせる。

そして次から次へと食事が運ばれる。

みんなが食え食えと急かすから、三男は焦ってむせる。

それが笑いを誘って、家族一緒になって笑っている。

そんな様子を俺は微笑ましく見守った。


支えてくれる人がいるなら、きっともう大丈夫。

こうして俺はようやく心の平穏を取り戻した。



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