エピローグ

家族のはじまり

 夫婦として初めて過ごした夜が明け、ふたりは気温の高い昼過ぎの時分に川で水浴びをし、それから新居の建つ集落へと多少の荷物を抱え向かった。


 集落を見つけて以降、ユウナギにも心に余裕の出てきた瞬間があり、これからどう暮らしていくかを考えなかったわけでもない。役割分担でナツヒが家屋を用意し、そのあいだ彼女が食事等の準備をすると決めてから、暗黙の了解でそれはふたりの住む家という話ではあった。


 が、実は彼と夫婦になることなど想像もしていなかった。


 彼女は先の見えない暮らしの中で、以前より深く彼を、家族のように感じていた。もし飢餓や病で命の灯が消えゆこうというなら、ふたりでひとつの骨となるように土に還りたいと、強く願っていた。


 しかし彼女には、それも以前と同じく一方通行な愛情としか思えず。だから今までのように共同で生活し、もしかしたらまた暖かい季節になる頃、自分だけの家屋を持つかもしれないとも頭をよぎったが、それはその頃考えればいいことで、とにかくその日暮らしに没頭していた。まさかこの家に移り住むとなった時、彼とこうなっているとは、彼女にとって思いもよらないことだったのだ。



 手をつないで集落にやってきた。しばらくあぜ道を歩んでゆくと、新居が見えてくる。

 ユウナギはこれから始まる暮らしへの期待を胸に、ふたりの小さな家に駆け寄って、全体を目を細めて眺めた。そうしていたら、少し遅れを取ったナツヒが隣に来て、こう話す。


「小さな家だけど、なんとかふたりで住めるから、とりあえずはこれで」

「十分だよ!」

「それで……子どもが生まれて1、2年たったら、次は一回り大きな家を作るってことで」

「!」


 まだ照れくさくて目を見て言えないナツヒと、夫婦の処には子が来るという事実を一時失念していたらしいユウナギは、各々そわそわして束の間ただたたずんでいる。だが、

「多くの人を犠牲にした私が……幸せになんて、なっていいとは思えなくて……」

いつの間にか、ユウナギは沈んだ表情になってしまっていた。


「お前まだそんなこと言って……」

「でも、なんでか分からないけど神がそう造ったのよ……。ただ生きていて、人と結ばれて、次の命を生むことが幸せだと感じるように、私は造られてあるの。だから私は今、どうしても幸せだし、贖罪しょくざいのつもりでこの幸せを投げ捨てることが、正しいとも……」


「なら、とにかく生きていよう」

 ナツヒはユウナギの前で力強く言い放った。


「俺たちはなんやかんや今まで、すごく恵まれた環境にいた。米も食えてたし」

「うん……」

「でもこれからは、米は食えないかもしれない。何もかも今までじゃ考えられなかった、厳しい暮らしになるんだろう」


 ユウナギもそれは痛いほど感じている。ここにきて必死で生き抜こうとしていた間は、生きているだけで良かった。しかし多少余裕を持った今、“いい暮らし”が恋しくもある。同時に不可能だとも実感する。


「生きてることはまるで不安定な綱渡りだ。今は無事でも、明日も知れない存在なんだよ俺たち」

「ナツヒでも怖いの? 死ぬことは」

「当たり前だろ、俺を何だと思ってるんだ。お前と違って騒いでないだけ。しかも今、それがかつてないほどに怖いよ」


 いつになく素直な彼の横顔を見つめ、ユウナギはふと身体が火照るのを感じた。


「それに生きていたら人との別れもある。自身の病、死の次に苦しいことだ」

「…………」

 それには言葉なくうなずく。きっと永遠に忘れ得ぬ人がいるから。


「苦しいことだらけでさ。それなら生まれてこなければよかったって思ってもおかしくない」

「えっ? だから生むことにとてつもない幸せ感じるようになってるの? そんなの、神、非情すぎる」

「神に文句言っても仕方ないだろ。生き残ったならつべこべ言わず生き続けろってことじゃねえ? 幸せであるとかないとかは、ついでだついで」

「そうだね……」


 彼の言い分に納得した。贖罪など考えても仕方ない、後悔しても始まらないと。以前から溜め込まず彼と話せばよかったのだ。彼の単純さはとりあえず長所なのだから。


「でも、ついでだとしてもさ」

 そんな彼は底抜けに明るい表情を、彼女に向けて言う。


「俺はこの人生でお前の幸せのために、一役どころか百役買いたい!」

「…………」

 彼も、彼女ですら見たことないほどに今、幸せそうだ。ユウナギはそれが心の底から嬉しくて、抱きしめたくて仕方なくて、彼に思いきり突進した。


「じゃあ私は、ナツヒの幸せのために千役買う!」

「よし、お前に千役売ってやる」


 ふたりは笑い合ったが、思いのほか顔が近いので目が合い、すぐに唇を意識した。

「「…………」」


「きゃはは――!!」

「わああい! 待って――!」

 すぐ後ろを駆けている近所の子どもたちにびくっとするまでがお約束である。


「……家に、入るね」

「あ、ああ」


 ユウナギはいったん彼から離れ、しみじみとこう、今の思いを言葉にするのだった。


「こんなに“家”が嬉しいの初めて。この家が嵐からも、私たちの命を守ってくれるのね。そしてここからまた、新しい命が生まれる……」


 夕陽に照らされた笑顔の彼女が、ナツヒには可愛く見えてどうしようもない。


 彼は即行、彼女を持ち上げ、すぐそこなのにも関わらず飛んでゆき、新居の入り口のすだれを突っ切った。


 厳しい冬の訪れと、同時に始まる若い夫婦の恋物語は、この家から――――。







 それから幾年かたった頃のふたりは――というと。


 あの頃よりも大きな家屋で、変わらず質素な暮らしを営んでいる。衣食は慎ましいものでも、心は非常に豊かな毎日であった。ふたりのまわりではいつも子どもたちが声を上げて駆けまわっている。朝起きたら集落のみなと張り切って働き、助け合い、語り合い笑い合う。雨の続く時もある、寒さの厳しい季節もまたやってくる。そして必ず春も訪れる。


 賑やかで温かな日々を、家族みんなで繰り返し繰り返し過ごしていた。



 そういえば。

 一家はしばしば森に入り、食料や素材を拾うこともしているが、あれからただの一度でも、彼女がここではないどこかへ飛んでいく、ということはなかったようだ。



                     ―完―




- - - - - - - - - - - - - - - - - -ഒ˖°


完結までお付き合いくださいまして本当にありがとうございました。


短いものですが、番外編に続きます。

① 終章ラストからエピローグまでの空白の時間、彼女の身にいったいナニが…。

② 死がふたりを分かつ頃…のお話。(この長編の本当のエンディング)

引き続きお読みいただけますように。.ꕤ(祈)

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