第133話 ナツヒとユウナギ
――――あれ、私……どうしたんだろう……?
ユウナギはだんだんと目を開けた。すると目の前には青く広い空に、昇ったばかりであろう朝日。近くには深く生い茂る森、その手前に透きとおる湖が広がっている。自身と、腕の中のナツヒだけが存在していて、他に誰もいない。
「ここは……あの世?」
ナツヒにも意識が戻った。そして視界が違うことに気付いたが、ふたりは何も言葉にせず、改めて倒れ込んだ。そのまましばらく寝入った。
きっと何刻か眠っただろう。目が覚めても、しばらくそこに寝ころんだままで呆けていたが、そのうちナツヒが立ち上がった。
「どこに、行くの……?」
「水……。あと、腹減って、もう……。身体がなんとか動くうちに……なんでもいい、何か……食えるものを」
「私、も……!」
ふたりは少し前まで、ここはあの世だと思っていた。
しかし、ありありと感じるのだ、空腹を。
湖の周りをまわって森に入った。まずは落ちている実を頬張った。ひとつふたつ食べたら止まらなくなった。その先はけもの道のようであるが、けものも出てこないので、いくらか進んでいってみた。よく晴れているおかげで気持ちの良い朝の木漏れ日の中、草木をかき分け歩いてゆく。
あまりに気分がよく、ユウナギはふと、やはりここはあの世ではないかなと感じた。しかし時をおかず、現実感も襲ってくる。ふたりの持ち物はナツヒが最後に掴んでいた鉾一本である。森の中を少し回って小動物がいるのを見かけたが、とりあえずは木の実や草をたらふく食べた。
一度森から出ると、崖に小さな洞穴を見つける。なんとか雨風を凌げそうな奥行きであり、ナツヒが夜はここにいようと提案した。
ふたりはその頃やっと頭が冷えてきて、大事なことに気が付いた。それは今、自分たちには、生活のための道具がろくにないということだ。
まず火がなくては、動物や魚を狩っても食べられない。急務は火を
その日太陽が真上に来た頃、なんとか火を確保できた。ユウナギが火を守る間、ナツヒがすぐそばを流れる川で転げながら、魚を一本獲った。それを炙って食べた後、ふたりは洞穴に入ったら倒れるように眠った。
翌朝から、その日どれほど食物を得られるかも分からない日々が始まった。草でいいなら食べられはするが、空腹感でたまらない。まず道具を作らねば話にならない。石を拾っては打ち割り削り、岩を砕いては擦り削る。
地道な作業を繰り返し、それらを不格好な刃物にした。それを使って植物を、切って刻んでそれから編んで縄を作った。それがとりあえず斧や罠の形になったので、狩りを始めた。この頃まだふたりとも、明日は生きていられるだろうかと、いつも不安を胸に抱えていた。
それから狩りで皮が手に入るようになった。一時は大きな葉を身体に巻いて凌いだりもしていたが、やっとそれなりの貫頭衣ができた。それこそ初めはひと時の余裕もなかったが、一月か二月か経つと、なんとかやっていける実感が湧いてきたのだった。それでもしばらくは食料を用意して食べて寝る、それだけの暮らしだった。
いつもいつもユウナギは森に入るが、神の風は吹いてこない。この頃やっと彼女は、きっとナツヒも、神隠しでこの地に
「でも、根拠はないけど、感じるの……。帰る
ユウナギの目に涙が滲んだ。
「そうか。巫女がそう感じるなら、そうなんだろうな……」
ナツヒは、いけるところまで、生きていこう、と小さく呟いたが、彼女には聞こえなかった。
そのうちにふたりは、この生活はここで頭打ちではないか、と大きな不安に襲われるようになる。もし寒い季節がやってきたら、食料が獲れなくなる。ふたりだけでいつまで生きていけるのだろうと、そう考えた頃、森の向こうに出て、更にその先へ足をのばすようになった。半日かけてどこかへ行って、また戻ってを繰り返してみた。
ある日、ふたりの目に止まったのは、大きな住居だった。
人がいる……!? とふたりは期待し、声を上げて探してみた。すると林の中から数人の人が現れる。家族らしき彼らは、ふたりに罪人かと問いかけた。ふたりは慌てて否定し、遠くからの移住者だと話した。その人々に話を聞くと、ここはどうやら大きな島で、多くの者が昔からの住人だが、大陸から移住してきた人々もいるのだという。他にも人が? と聞いてみたら、そこは集落の入口で、多くの人がみなで協力して暮らしているとのことだ。
そういった話を聞いていたら、ユウナギは安堵したのか大声で泣き始めた。そんな彼女を、子どもたちがじろじろ見たりおろおろしたりしている。ナツヒはそこの住民に、自分らも集落に定住したいと話した。
翌日、その村はずれの一家の長が、集落の住民らにふたりを引き合わせた。みなに歓迎すると言ってもらえ、ナツヒは安堵する。
そのとき集まった人の中に、懐かしい顔があった。それは、かつての旅先で出会った三姉妹の妹であった。彼女は人の輪の奥からユウナギの顔を見かけ、非常に驚いて。そしてその場ではユウナギに話しかけず、すぐ家へ走った。
「ユウナギ様!」
「!?」
突然、久方ぶりにナツヒ以外の人間に名を呼ばれ、ユウナギは面食らった。
「再びお会いできるなんて……」
その女性が震える足で、ユウナギの元に歩み寄る。
「……ナズナ!? あなた、ナズナね!?」
そして感激のあまり人目をはばからず涙し、その場で膝をついた。ユウナギはそんな彼女を抱きしめた。
「よく無事で……。みんな、元気ね?」
あの頃ユウナギと年の変わらなかった娘は、ずいぶん大人びていて逞しい母の様相になっていた。あの時の切なる願いが叶い、彼女の望んだ平穏や、寄り添う家族の幸せが守られ、今も続いていることに、ユウナギは心を熱くした。
泣き止んだナズナはその場で彼女に尋ねる。
「あの……そちらのお方は……」
隣のナツヒは初対面だ。
「あ、えっと、私の……」
「俺は女王の護衛兵です」
「まぁ、さようでございますか」
女王の護衛と言われれば、ナズナにとって高位の者であるので、彼女は彼に深く頭を下げた。こうして互いに名を交わしたのだが、その間ユウナギは心につかえを感じていた。彼のことを従者とは言いたくなかったのだ。しかし何と言えばいいのか見当のつかぬうちに、ナツヒは違う話題を彼女に投げかけていた。彼はこの集落に定住したい旨をみなに話すのだった。
「私っ、もちろん私の家族も、力の限りお手伝いさせていただきます。ぜひこの集落にお越しください!」
ナズナが、ここは心温かい人々が助け合いながら暮らしている、のどかな村だと太鼓判を押す。それを聞いたユウナギの、定住に対する気持ちが前へ向き始める。
それとなくユウナギが話題にしてみたら、彼女がこの島、この集落に辿り着いたのはおよそ2年前のことだと知った。つまり、あの戦から3年といったところか。少し思い出してユウナギの表情が暗く陰った。それをナツヒが見逃すはずもなく、話題を変えようとナズナに、自分らはもう身分のある者ではないので対等に接して欲しいと頼んだ。ここで暮らしていくなら馴染まなくていけない。彼女は慌てて了承した。
ナズナ一家に紹介された村人から、元々空き家になっていた建物を撤去した区画があるので、そこを利用し、新しく家を建てたらどうだと提案された。穴がすでに空いているので、作業がひと手間少なくなると。
ふたりその場に連れられ、見たところ広さもちょうど良く、まずはそこに落ち着くと決めた。村人の協力も得て早速、建設に使う垂木材を集めることに。
以降は主にナツヒが建設を担当し、ユウナギが彼のために食料や衣服を準備する、という役割分担にした。ナツヒはその場で寝泊まりし、ユウナギは森の向こうから通うことになったようだ。ナズナから、彼女の家に仮住まいするのはどうかと誘われたが、まだなんとなくユウナギは、洞穴での、孤独で前時代的な暮らしの中で自省したい思いがあるのだとか。
しかしこの集落を見つけてからというもの、素材や道具を人から入手し、以前と比べ暮らしぶりに、格段に余裕の出てきたふたりであった。
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