第129話 我が国のケンタウレ
「ユウナギ様!」
翌朝、ユウナギの立つ頃、送別にやって来たサダヨシが彼女の前で跪く。
「サダヨシ……」
ユウナギは彼と同等の目線になるよう、腰をかがめた。彼はそれこそ、女王としての彼女の、最後の希望だ。
「頼んだことを、たくさんあるけどお願いね。北の港のことも、確実に。あと……」
もう出立となると、まだまだ話し足りないユウナギであった。
「前にも言ったけど、
「……分かりました」
「国はやっぱり、そこに住むすべての人のためのものよ。限られた一部の者が力を誇示するためのものではないし、上の者が下の者から搾取するためのものでもない。上に立つ者は国に暮らす民ひとりひとりの幸せのため、尽くすために存在するのだから」
ユウナギは頭を下げた。そして真摯な瞳で伝えた。
「この地の民をこれからも、よろしくお願いします」
サダヨシはその場で深く頭を下げ、そして彼女の顔を見上げ応えた。
「ご安心ください。すべてあなた様の御意の通りに」
後ろ髪を引かれる思いを胸に抱え、ユウナギは乗る籠に向かい歩み出す。最後に中央を、いつもの景色を眺め、目に焼き付け、己の故郷に別れを告げた。
それから3度、夜を迎え日が昇り、もうあと少しで開戦という日時だ。戦士のいで立ちとなったユウナギは、トバリと森の出口にいる。そこにはふたりの馬も共にある。
今からユウナギは馬で駆ける。ここから約束の、開戦の合図を担うのだ。
「本当にその長弓で射るというのですか?」
「ええ。飛距離を最大限に伸ばすならこれでないと」
ユウナギはうっとりと、掴む伝説の弓を下から上へ眺めた。
「しかしそれは、どちらかと言えば歩兵用の……」
「鍛錬は欠かさなかった。でも矢は一本だけ、失敗は許されない。ここはこの弓に宿る魂の力を借りる。きっと私のすべての力を引き出してくれる」
次にユウナギは自身の黒い馬を優しく撫で、話しかけるのだった。
「お願いね。私がいちばん射やすいところへ連れて行って」
彼女は馬と話ができるわけではないが、しっかり伝わったようだ。馬は任せろとでもいうような、高らかな鳴き声を上げた。
「あなたの
「良かった。……聞いた? 本陣に着いたら、その者と森沿いをひたすらに走って行くのよ。
馬はユウナギの言葉を受け入れた様子だ。
「ユウナギ様、いいですね。矢を射たら即方向転換し、本陣へと一直線に向かってください。私も途中で合流します」
「ええ」
「本陣に着いたら、どうかあなたは荷車で北へ向かってください。これもいちばん屈強な兵を用意してあります。その者が森の路をある程度確認していますので、せめて追っ手の到達しないところまで……」
ユウナギは彼を無視するような表情でいた。
「我が軍の兵はみな、敵軍を分散させるように戦います。しかし稼げる時はそれほど長くない。どうか一刻も早く……」
「何度も言ったわ。あなたが逃げるのを確認した後でなければ、私も本陣を離れない」
「…………」
困った顔の彼からユウナギは目を逸らした。これ以上話しても埒が明かない。開戦し、その渦中に立たねば、己の心理も行動もどう出るか分からない。
ユウナギは即位礼でまとった装束の、大袖の衣を羽織り、準備が整ったら黒馬に跨った。そして髪の結び紐を解いて捨てた。彼女の黒々しく長い髪がふわりと広がる。
「さぁ、正念場よ。私たちの実力を見せつけましょう」
馬はゆっくり歩み出す。
「国随一の腕を誇る女王の評判は伊達じゃないって、明かしてから終わらせてやる」
勇んで森を出たら、ユウナギは真っ直ぐに駆け出した。
戦場ではもうすぐ正午の時を迎えると熱気だっていた。敵陣の置かれるは、それほど高くはない崖の奥。崖の
敵方の軍事官長は、国の女王がこの斧をめがけ、矢を撃ちに現れると聞いている。しかし彼は思った、馬鹿正直に女王なんて登場するわけがないと。どんな大柄な戦士がやってくるのだろうと期待した。それがどこの誰であれ、崖下で兵隊が威圧する中、寸分違わぬ間合いを読み、たった一本の矢を射るという、技巧的かつ挑戦的な弓師の訪れは胸踊るものだ。下の兵らには女王が出てくるからと言って、騙し討ちとなることはせぬようきつく指令しておいた。それは彼の戦士としての矜持というより、ただ「楽しみだから」に尽きる。
彼は真上に上る日の高さを、薄目にて確かめた。その頃その処刑地に立つ兵士らがざわつき始めた。南西の方角から、黒馬で疾風のように駆けてくるひとりの弓師を、彼らは目に焼き付けたのだ。
ユウナギは大風を切る勢いで崖に向かい走ってゆく。ただひたすら真っ直ぐに。男たちは目を疑った。
その小さな射手の纏う天女の羽衣と優美な大袖。馬の黒煙のようなたてがみと、そして彼女の長く艶めく黒髪。すべてが共に煌めいてたなびき、あたかも天を駆けているようだ。これは遥かに高い
長くしなやかな弓持つその精霊は、走る馬上で端麗に構え、今まさに、矢を放つ心得となった。
次の瞬間、彼女はその目で確実に的を捉えた。そして己の最善の場に辿り着いたその時。
持てる力のすべてで矢を放つ。矢は疾風と共に空を衝き抜けてゆく。
――――――――当たれ――――――――!!!
歓声が上がった。
放った矢は見事、大斧の中心を、甲高い音を立て射抜いた。斧は空へ舞い上がり、それを構えていた大柄の戦士は風圧に吹き飛ばされたのだった。
ユウナギはそれを駆け抜ける馬上からしかと横目に入れ、成功を確信し、手綱を強く強く握りしめた。
その場にいる多くの兵士らは一時、彼女の妖気に身体を縛られていた。崖下にいる兵らには飛んだ斧までは見えていないが、漂う空気を十分に理解した。
開戦の火蓋が切られたのだ。戦意を煽られた男たちは獅子のような咆哮を上げる。
ユウナギは大きく曲がり西の本陣へ向かった。トバリもそこに合流した。彼女が本陣に向かう間は、前線にいる兵士らが敵兵の足止めを担う。
両軍はついに火花を散らすのだった。
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