第127話 この世のほかの思い出に

 その夜、ユウナギはサダヨシといた。彼女は昼間、彼女の考える「計画」の8割を彼に伝えた。今は残りの2割を埋めるよう、ふたりで考えているのだが。


「休まれなくてもよいのですか?」

「う~~ん。なんだかここまで出かかってるんだけど……」

 ユウナギは下に向けた平手を首に当てる。


「何がですか?」

「いや、だから、それがね……ここまで出かかってるんだけど……」

 次は目鼻のところまで平手が上がった。


「それ口を過ぎてますよ」

「あっ!!」

 サダヨシの綺麗な顔を見つめた瞬間、ユウナギの脳天にとある男のとある言葉が蘇った。


「あの男は言った。“思わぬ拾い物”って」

 彼女の独り言にサダヨシは耳を傾ける。


「……きっと、あなたが、その“拾い物”」


 鳩が豆鉄砲をくらったようなユウナギの表情が、ぱっとまるきり晴れやかになった。“あの男”の喋りが頭の中で蘇り、それと、彼女の勘、ひらめきが繋がったのだ。


「彼はきっと中央に来る」

「え?」


「あなたは絶対大王おおきみに受け入れられるから! だから、できるだけ派手に挨拶しましょう!」


 曖昧だった計画の2割、それはそれを行う「時と場所」であった。これを埋め、かつ成功の確信を得た。

 「勘」の部分も大きいが、それが巫女の、神より授けられし力。


「派手に? “人海戦術”のことですね?」

「そうね。大王は“その日”、きっと、“ここに”来る」

 ユウナギは揺るぎない、勝気な視線を彼に投げかけた。


「?」

「私たちが戦に出払ったら、あなたはここ、中央で……。武器の準備はいらない、あちら側の間者に不審がられても困るしね。そう、徴兵しないの」


「…………」

 サダヨシは彼女の提言に聞き入るのだった。



 ユウナギは、その采配の進捗を知る必要もないと、あとは全面的に、サダヨシに任せた。


 それからまた時がたち、ユウナギの元にあの医師から包みが届く。ユウナギは彼女に人材の育成を任せて以来、何度か謝礼の物品を送っている。しかし彼女からは確かに受け取ったとする口上のみで、ふみが付けられるわけでもなかった。この度はどうも「陣中見舞い」とのことだ。戦が始まると国の多くの民に取り沙汰されているのだろう。


 ユウナギはその包みを開いた。するとそこにあったのは。

「貴重品だって言ってたのに……」

 かつて彼女に貸し出された方位針であった。


「北へ向かうといいことがあったりするのかも」


 護符のように、胸元へそれを忍ばせた。




 ユウナギは決戦日が定まった時から一日と開けず、力の限り弓を引いている。戦場へ発つ日まであと3日というところ。鍛錬場で、ナツヒとばったり顔を合わせた。


「あ……」


 ふたりはこの三月の間、互いにせわしなくしていて対面することがなかった。これほど離れていたのは初めてではなかろうか。それでも互いにそれを思い起こすこともないほど、心に余裕がなかったのだった。

 なのでまさに今、ふたりは何から話せばいいのか、はじめの一言が出てこない。


「……お前は明後日までに兄上と逃げろ」

 沈黙を破ったのはナツヒの方だった。


「え?」

 ナツヒがまっすぐに見てくる。


「何を言ってるの? そんな冗談……」


 彼は急かすように彼女の肩を掴んだ。


「平民に扮し馬に乗って、西の方へ、できるだけ遠くまで逃げて、必ず生き延びろ。今すぐ兄上に言いに行け」

「私がアヅミを助けなきゃ……」

「あいつはしくじった間者なんだ。とっくに覚悟はできてるよ」

「でもアヅミは、この国のしきたりに翻弄された女子だよ!」

「お前は女が男と同等に認められる世を求めてるんだろう? なら同等の責任を負うことも厭うな」


 ユウナギは反論できず目を逸らした。


「兄様が逃げるなんて道、今更受け入れるわけないでしょう……」

「だからお前が共に逃げると言うんだ。お前を生かすためにふたりで逃げると命令すれば背かない。逃げた先も地獄だろう。それでも兄上はきっと、何としてでもお前を守るから」


 言いながらナツヒは、ユウナギの顔に両手を添え前を向かせた。だから彼女は彼の目を見て問う。


「なんで兄様とって言うの? 私の護衛はあなたでしょ?」

「……お前は兄上を死なせたくないだろ?」

「それはもちろん。だけど私はあなたも失いたくない! どっちがなんて言えない、あなたも大事!」

 ユウナギの語気が強まった。


「……死ぬのが怖くなるようなこと言うのやめろ」

 小さな声で呟いた彼は目を逸らし、彼女の顔を押さえる手を離した。


 ナツヒが離れていく。


「俺はお前たちより半日早く発つ予定だから、とにかくすぐ言いに行け」


 いったん立ち止まり背を向けたまま、そう念を押した。続けて、


「俺は今から、俺が開戦の矢を射る準備に取り掛かる。女装でもなんでもしてやるよ。その瞬間ぐらいは誤魔化せるだろ」

こう言う彼に、ユウナギは何も言葉を掛けることができない。


「あ、あとさ」

 まだ言い忘れたことがあったようで、結局振り向いた。


「お前は負け戦に兵らを巻き込んだと自分を責めてるんだろうけど、兵は兵になった時点で、戦いに身を投じ命を落とす覚悟のある生きものなんだ。だからこの職が存在する。これに就いた時点でとっくに各々の責任だ。それに、敵国あっちに同盟結ぶつもりなんて毛頭なかったよ。お前が、国がどう対応しようと、戦への流れが変わることはなかったんだ」


「ナツヒ……」

「これが今この国を生きる兵士の運命だ。みな。もちろん、俺も」


 そして彼は足早に行ってしまったが。ユウナギは「分かったな?」と頭を撫でられた気がした。


 それからしばらく物思いに耽って過ごしていた。ナツヒの言葉を反芻はんすうしていた。


 ついには意を決し、丞相の館、トバリの自室に向かう。


 彼の室前に着く頃、落ちる日は美しい橙色をしていた。帰りたい、と感じるような、広く澄んだ夕空だった。





「ユウナギ様?」


 声もかけずに戸を開けると、トバリは篝火の元で書写をしていた。恐らく心を落ち着かせるためだ。


「ここだと思った。もう仕事はないものね?」

 言いながらユウナギは、彼の隣に腰を据える。

「セキレイたちは無事かしら……」

「力は尽くしました。あとは祈るのみです」

「そう。私も祈るわ……」


 トバリは横目で彼女を見た。彼女は今にも何かを言い出しそうになって、そして口をつぐむのだ。こちらから問いかけるのも、と彼は考え、待つ姿勢であった。


 そのうち日は沈み、室内は篝火が頼りの暗がりとなった。彼女はきっとそうなるのを待っていたのだろう。薄明かりの中、表情が見たいなら正面から向き合わなくてはならない、そんな空間になるまで。


「兄様」

「はい」

 ユウナギは息を呑んだ。今にも胸が弾け飛びそうな、抑えきれない思いを抱いて、これを口にする。


「今すぐここで、私をあなたの妻にして」

「……妻とは」

「女に言わせるの?」

 じっと見つめる彼女の瞳が、彼には輝いて見える。涙ぐんでいるのだろうか。


 彼は迂闊だった。彼女が死を前にそう言いだすのは、予想の出来た事なのに。


「もう神の力は必要ない。国を救えない、こんな役立たずな私の力なんて必要ない。でも私は最後まで力を持つ女王を演じる、それは約束するから。お願い」


 ユウナギは顔をより近づけた。すると切ない彼の表情が見える。


「この世を生きた思い出に、一度だけでいい。私を抱いて」


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