第126話 余興の主役に抜擢

 申し出が受け入れられることはないと分かっていた。長きにわたり実権を握るのは女王ではなく、あの一族の男たちだということは知られるところなのだ。


「お願い。国を取り込んだ後も、民を捕虜にはしないで。東から豪族がやってくるようになっても奴隷にはしないで。日常をただ懸命に励んでいる人々よ。今のまま、変わらない生活を保証して。それはあなたの願いでもあるでしょう?」


 彼は自分について、彼女がまるで見知ったような言い様をすると感じる。


「百年だか二百年だかの為政者の血は、ここで絶たせてもらう」

「…………」


 ユウナギはここで決まるのだと理解した。コツバメに急に連れてこられ、この機会は霹靂へきれきのような気がしないでもないが、敵国の大将と話をしているのだ。正念場だろう。


「なら、決戦をしましょう。それに権力を握る一族みなを参戦させるわ。国の成り立ちの時、力で支配権を勝ち取った男たちの末裔よ。この血を絶やしたいなら戦いの中でそうすればいい。だから一般の民だけは、どうか……」

「お前は勝ち目がないと分かっているのだろう? だったら最初から引き渡せばいいじゃねえか」

「私は愚かな王だから。どうせ死ぬなら愛しい人の傍らで……。たとえ、他の命を巻き込もうとも」

「ほう。いいと思うぜ。それが上に立つ者の利権だからな」


 彼は少々考え込む。


「三月の後だ。前哨戦は今後一切なしでいく」


 ユウナギは固唾を呑んだ。しかしこれで小競り合いによる民への生活阻害は止まる。


「あと、私はそのために一切民を徴兵しない。だからお願い。あなたの国の民も、できるだけ巻き込まないで」

 おかしなことを言う彼女を、彼はいったん睨みつけるが、話を聞く意思はあるようだ。


「日々食物を作り家屋を作る、そんな生を生む人々に殺し合いなんてさせたくない。為政の一族と、戦う覚悟のある兵士のみを参戦させる。騙し打ちではないわ。あなたのところの密偵が、準備する我が軍の大きさを測ることもできるでしょう。だからそちらも、むやみにこの戦のための徴兵をしないで」


 彼の覇道もまだ途半ば。人口減や取り込む土地の荒廃を防げるなら、彼にとっても損のないことだ、という前提で彼女は訴えている。


「……考えておこう」

 再び彼は黙り込む。ユウナギはただ彼を待つ。


「三月後、満月の夜の翌日、陽が真上に来たら開戦だ。場はそちらの国の北東を出た先の平地。詳しくは書状を送らせる」

 それが命日か、と彼女は目を伏せた。


「お前も兵を鼓舞するため、参戦する気概はあるんだよな」

「もちろんよ。どうして兵士たちを盾にして私が逃げられるの」

「噂に聞いている。国の女王はあまねく認められた弓の名手だってな。その命中率は国で一、二を争うんだろ?」


 誰がそんな噂を流しているのだろう? とユウナギは不思議だ。


「それは最後に見ておかないとな」


 そんなのたいして興味ないくせに、と即座に思った。


「ちょっとした余興を行う」

「余興?」

「女だてらに戦場で弓を引くというお前に、開戦の合図を任せる」

「合図……」

「その、今お前が寄りましに使っている間者の女、お前が命乞いのふみを寄越した奴だったな」


 ユウナギはアヅミの目でまた彼を睨みつけた。


「間者など捕えられれば処刑に決まっている。そうだろ?」

「そうね」

「その日の正午、この女の首の上に戦斧を振りかざし待機しておく。その斧を正面から弓矢で吹っ飛ばしてみろよ。見事当てたら女の命は保証してやる。そしてその一矢が開戦の合図だ」


「そんなことしなくても、私は逃げも隠れもしないわ!」


 これで女王の影武者を戦場に送る道も断ったつもりなのだろう、ユウナギは苛立った。


「ただの洒落込みだ。まぁお前が逃げたら、この女の首の落ちた瞬間が開戦の合図になるな」


 彼はそう言いながら指先で彼女の首に触れた。そのまま撫でるような仕草をする。


 ユウナギは息を吸った。


「吹っ飛ばしてやるわ!! 必ずアヅミを無事に解放しなさい!」


 その言葉を最後に、彼女は自分の寝床で覚醒した。



**


 夜が明け、すぐにトバリの元へ走った。


「戦の日が決まったわ。私たちの命の期限は、あと三月よ」

「……分かりました」


 ここから最後の戦の準備が始められた。女王のめいでもって、官に就く者はひとりも例外なく戦場に立つべしと伝えられる。当然彼らは震撼した。一族の者であるなら文官ですら駆り出されるというのだ。それも民を徴兵しないというではないか。納得いくはずもない。そしてこれは異常事態だと、とうとうみなが知ることになった。


 文官の彼らは理解している、国全土の文官武官と軍の兵すべてを合わせても、敵国の兵の数に到底敵わないことを。しかもなぜ民を徴兵しないのかは聞かされない。理知的な彼らとしては、これは勝機のない戦だと騒ぐのも憚られる。しかし命がかかっているとなれば、女王が何だ神の力が何だと激しく反発もしたくなる。国の成って以来初めての、深刻な局面だ。


 最終的にその反抗は丞相のところで止められた。ユウナギはこの間、女王の屋敷から出ることを控えていた。




 しばらくして敵国から書状が届く。戦場の通達だ。即、兵らを現地に遣わし策を講じることを始めた。


 トバリにとって、ユウナギの参戦を余儀なくされたことは不覚の極みであった。女性の、または女性に近い体型の男子に限定して弓の名手を用意することは不可能に近い。


「戦までにどうにか女王を国外まで逃がす、というあなたの目論みは、実現不可となりましたね」


 彼の元に参上したサダヨシに、漏れる弱音が止められないトバリだった。


「彼女が自身だけ運命から逃れるなど受容するはずもないと、いかに強行すべきか考えあぐね遅れをとってしまった。私は己の、決断力の無さが恨めしい」


「こうなれば開戦してから逃がすしかない。しかし」


 言いながらサダヨシは地形図を広げた。


「本陣営を囲む森に入り、敵陣の逆方向、北西へ向かうのが定石です。が、周囲は深い森。それを見越して敵も真っ向からの、北西への追っ手の他に、森の北へもそれを手配するでしょう。敵兵より早く突っ切ることができるか……。またはその裏を掻き、東に逃げて潜むか……」


 戦場で逃がすしか方法はないのだから、その道を選ばざるを得ない。しかし道を切り開く以外の、何の策も立てられない。劣勢の中、追っ手を振り切りひたすら逃げるに関してなど。


「それとも、失敗を承知で影武者を立てますか? 実際、ユウナギ様とてこの使命は荷が重いことでしょう」


 地形図の二ヶ所を順に指差す。


「命中率以前に、女性の力でこのあたりからここまで、弓矢の飛距離を伸ばすことは容易ではない」


 そこにユウナギが入室してきた。


「影武者とか、何を言ってるの?」


 男ふたりは聞かれてしまったが、慌てることもない。


「私が必ず撃ち飛ばすわ」


 決して譲るつもりはない確固な眼差し。しかしそれでいい。トバリにとって彼女の命は最重要だが、彼女の誇りも同様に守りたいものだ。彼女が自身で大王おおきみと交渉したものを、阻むことはできない。しかもそれは、神の力を以って行われたのだから。


「しかしユウナギ様、これが罠という可能性も。女王を先んじて前に出させ、討つなり捕らえるなり、と……」

「大王は家来にそんなことさせない。むしろしくじったら笑いものにするのが楽しみって人よ、大丈夫。さぁて、サダヨシ。本腰入れて作戦を立てましょう」


 ユウナギはサダヨシが大王に取り立てられるための、計画を練る意欲に満ちている。その笑顔は覚悟ができているかのように、男ふたりには見えた。


「やっぱりいちばん大事なのは第一印象。サダヨシならそれは既に合格よ。大王は多分、あなたのような美人、大の好物なの。ところで今から戦が起こるという風評は、民にどのくらい流すものなの?」

「それはあなた様のご希望通りに」

 

「みんなにはできるだけ、通常と変わらず過ごしていて欲しい。国の中をちゃんと回していてもらわないと。でも一部の民の協力も必要だから、まったく知らないでも困るわね」

「分かりました。そのように統制します」

 実際そういったこともサダヨシの得意分野であった。


「“今から話す計画”が上手くいくように、噂の量、内容、範囲など、完璧な調整をお願い。私は南西、北西の二国に送るふみを書くわ」


「色よい返事は期待できますか?」

「分からない。でも包み隠さず書くつもり……。次は彼らの番だろうし」


 ユウナギは無常の切なさを隠し切れず、窓際から遥か遠くを見つめた。

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