終章 希望

第125話 王と王の会談

 戦況が厳しくなりつつある。


 ユウナギは憤りを隠せずにいた。彼女は中央の政務官や、東から戻ってきた兵士らの様子を垣間見るのみだが、じわじわと国が侵略されていくのを肌で感じている。中央から派遣した兵だけでは間に合わない。東の国境付近に暮らす成人男性はめいにより、小競り合いや警備に駆り出される。その地の民は暮らしがままならなくなり、いくらかの者は避難を始めた。残された民の生活は更に圧迫される。


「国は、その土地の人々が穏やかに暮らしていくための土台なのに……! どうしてその国を造るために、こんなことしてるの……」

 どうして? ユウナギは国の王であるのに分からない。それを知る人物は誰なのか。存在するのだろうか。

 

「書状もおそらく受け取られていません。使者を遣わせても帰ってこないのです」

 敵国にしてみたら話し合う理由はない、それはこちらも分かっているのだが。

「抵抗するにはやはり、全土からの徴兵が必要かと」

「兄様、それは待って。今でも東では民までも参戦しているのでしょう? 一般の民が負傷しているのでしょ!?」


 トバリは中央の官人らにそういった女王の意向、つまりは命令を、余さず伝えている。しかしこの状況だ、それにすべて従っていたら、挙句にはここ中央まで攻め込まれることを、彼らは既に危ぶんでいる。


「私は、歴代女王が当然のように持っていた鬼道の術が使えない……。占いもまじないもできない、神も降りてこない!」

 ユウナギは思いつめた表情で叫んだ。


「ユウナギ様……」

「でも、何とかするから。この今の状況をどうにか変えてみせるから! だからお願い、もう少しだけ待って……」

 トバリはそんな彼女を労わった。彼も彼女の思いに何としてでも応えようと、右往左往の毎日を送っているのだった。



 それからユウナギは朝から晩まで祈りを捧げ続けている。御神体の前で一心不乱に舞ってもみた。それでも先代女王のように、神の依巫よりましにはなれなかった。


 彼女は毎晩失意の中、床に就く。そして毎晩夢にうなされる。この日もまた戦の夢であった。人が次々と殺され、自分も恐怖に耐えかね逃げ出すが、すぐに敵兵に捕らえられ刃を向けられる。もうだめだと思った瞬間、彼女の立っていた地は抜け、地底に吸い込まれていく感覚が――――。



 気付いたらそこは、暖かい花畑。

「え? ……あの世?」

 そこでユウナギの目先に見えたのは懐かしい、無邪気なコツバメの姿だった。このたびも花冠を作っている。


「コツバメ……!」

 ユウナギはとても嬉しかった。久しぶりに友に会えたのだ。しかし、すぐに気付くことになる。


「私を迎えに来たの?」

 たった今、自分が生きているのか死んでいるのか分からない。どういう時点にいるのかも。ここはもうあの世なのだろうか。


――――だからコツバメがいる? これは戦の終わった後? だとしたらみんなは? 死んで離れ離れになってしまったの?


「ずいぶん混乱しておるようじゃな」

 それでもコツバメがいる。心強く思う。


「おぬしは死んでおらぬぞ。私がおぬしの夢枕に、立っておるのじゃ」

「夢枕?」

 夢だったのか……と一度は安心するが、何も終わってはいない。戦の夢はこれから起こる現実。再び憂鬱に沈む。


「久々におぬしと遊びとうなってな。……と、言いたいところじゃが。おぬしは今それどころではないようじゃの」

「……そうね、今は楽しく遊べる自信がないわ」


 コツバメは暗い表情のユウナギに対し、明るく努めようとしている。いや、彼女の元の性分か。

「実を言うとのう、こたび私は、おぬしの手助けにきたのじゃ」

「手助け?」

「おぬしの連れ合いとの約束でな」

「連れ合い??」

「おぬしのために、一肌も二肌も脱ぐぞ! 来い来い」

 コツバメはユウナギの手を取った。その手は温かく、ユウナギは安心して身を任せた。



 夢が暗転した。目が慣れると、そこは屋内だろうか。周りに立派な調度品の置かれる、どうやら寝床のようだ。人がふたり見える。

 ぼんやりした視界がだんだんと明瞭になり、目の前にいるふたりの人物が裸形であることにユウナギは気付いた。


「!!」

 寝床のふたりは下半身に掛物をかぶっているが、ユウナギにも大体の状況は掴めた。

「この場面は……。この雰囲気は……」


 奥の女性が横たわり目を閉じている。隣の男性は上半身を起こし何か読み物をしている。そして顔立ちすらはっきりと見えてきて、それが誰であるかを知った。


「アヅミ!」

「安心せい、眠っておるだけじゃ」

「この男は……大王おおきみ

 そちらもまったく見覚えのある顔だった。


 こちらはみえているが向こうから自分たちが見える様子もない。そう、これは夢の中であった。

「話してみとうないか?」

「話す?」

「おお。あれらのどちらかと。おぬしと私の神の力を合わせれば可能じゃ」

「どういうこと!?」


 コツバメは強気な様子で提案する。ふたりの力を合わせて片方に乗り移り、片方と言葉を交わしてみるのはどうかと。

「乗り移るって……」

「私は今現在、霊じゃ。私自身なら難しいことではないが、おぬしが生霊となって乗り移るには、私の力が必要だということじゃな。おぬしの連れ合いとの約束は、これで果たすぞ」


 ユウナギは驚きの余り、まだ思考回路が働かない。しかしコツバメは話を進める。

「どちらと話したい?」

と聞かれれば、ユウナギには要望がある。


「単純に話したいのはアヅミだけど、話さなくてはいけないのは大王の方ね」

「では、娘の方に乗り移るのじゃな。よし。私と額を合わせるぞ」

「待って。コツバメは、もうどこかへ行ってしまうの?」

 ユウナギは彼女とももっと話をしたいし、できれば難しいことを考えずに遊びたいのだ。


「またいつか会おうぞ。会いたいと願えば、いつでも何度でも会えるのじゃ」

 彼女の笑顔は実に朗らかで可愛らしい。


「うん。ありがとう」

 言われた通りに彼女と額を合わせると、温かい力が流れてくる。これが神の力なのだろう。

 ユウナギはコツバメの力で、アヅミの身体にするりと憑依した。裸体の彼女を自身のように操り、おもむろに身を起こす。

 それに感付いた隣の男は、彼女のまだ覚めやらぬまなこを見つめ声を発した。


「お前、この女ではないな。悪霊が憑りついたか?」

「悪霊とは失礼ね」

 ユウナギは彼に対面した。まだ他者の身体の中にいる不自然な感覚はある。しかし戸惑いは一寸たりとも見せられない。


「初めまして、大王。私は、現在あなたに睨まれている国の王。交渉に来たわ」

「……初めまして」

 彼は形の存在せぬ、裸形の娘に纏わりつく気配に、その未知の力に、少しも驚いていない。


「小隊を国境に送り込み、邑民おうみんを脅かすのを止めていただけないかしら」


 彼女には確かに見覚えのある、余裕綽綽の笑みを、彼は今も浮かべている。


「そちらが降伏すれば、今すぐにでも止めるが」

「私の首を差し出す。実権も無条件で渡すから、国のすべての民の安全を保証して」

 返事は分かり切っているが、女王の意思表示はともかくしておかねばならない。


「お前だけでは足りない。国を牛耳る者の血を引く人間はすべて引き渡してもらおう。そいつらのさばらせておいたら、実権も何もない」

「それはできない」

「ならば交渉は決裂だ」


 ユウナギは負けじと目前の彼を睨みつけた。


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