第124話 好きだよ その一言が言えなくて
役人の彼は普段、
遊びで造ったというその壕も、ただの洞穴ではなく十分な補強までされている。しかし約2日間も百数十名が光の届かない場に籠るのは難儀であっただろう。統率も請け負った彼の指示があってこそだ。
「神を信じて助けを待ちました。私はかつて、神の使いにお会いしたことがあるのですが、それからというもの苦境に立つと、そのお方の声が聴こえてくるのです。このたびも伸びやかなお声で、“必ず守るから”と……」
彼はそう話したという。ユウナギはその報告をすべて聞き、胸が震えた。あの時の少年は機会に恵まれ努力を重ね、その力で人々を助けたのだ。彼が遠いあの日切望したように、人の役に立つ立派な大人になったのだ。そして彼をそのように育ててくれた、あの高官とその家族への、感謝の気持ちでいっぱいになった。
晴れ晴れした顔でユウナギは一息ついて、その時、大事なことを思い出す。
「兄様、アヅミに礼の言葉を届けたいのだけど、通信手段はまだ?」
「向こうから着たのだから、問題ないはずですが。……本人が無事であれば」
「無事であれば、ね……」
ユウナギは少し考えた。
「なら、今回の乗っ取りはしくじった、という報を即刻得て、そこからその主犯をさくっと捕える行動力のある人に、一か八かで
「?」
中央から派遣された隊は引き続き、
多くの兵が東の国境に待機することの必要に迫られ――。
今やユウナギは、命の期限が迫るのをひしひしと感じている。
そんな中、ナツヒが戻ったとの報告が入る。一の隊が他の隊と任務を交代したようだ。
「それだけ疲弊しているということですが」
「ナツヒは? ナツヒは無事なの!?」
「無事ですよ」
ユウナギはそれだけ聞いて飛び出した。全力で駆け、彼の自宅に訪ねた。
「女王がまたここまで走ってきたのか」
それはもう今更だ。
「良かった、ナツヒが無事で」
傷を負った兵も大勢いるのだが、今ユウナギはそのようなことまで考えるに至らない。
そこでナツヒは、彼女を彼の小さな家の内には入れなかった。
「どこへ?」
「……またどこか飛んでいくと面倒だから、林からは出ておこう」
「ああ、そうね」
ナツヒは言う。敵軍は半年程度の長期戦を目論んでいると。小競り合いを繰り返し、こちらの兵も国の機構も疲弊させ、機を見て一気に畳みかけるのではということだ。
「サダヨシに話すわ」
「兵からもう通達してるはずだけどな」
伏し目がちになるユウナギだった。
「私は本当に役立たずな女王ね。こういう時、神の言葉を聴けないなんて」
「国の取り合いでどうすればいいかなんて、神が教えてくれるわけないだろ」
「まぁそうだけど……。じゃあ、私は私にできることをする」
そう言って彼女はナツヒの背に回った。一度両腕を屈伸してから、彼の肩を力いっぱい揉みしだいてみせる。
「どう?」
「ああ、割といい」
しばらく侍女がやってくれるようにしてみたのだが。
「はぁ。けっこう疲れるこれ」
「なら交代するか?」
すぐにも交代してもらった。帰ってきた彼を全力で労うはずだったのに。
「あああ~~いい~~」
これではすっかりユウナギが接待される側だ。
「ずいぶん凝ってるな」
そこで彼女の肩を軽く叩き、再び揉みだした時、彼は気付いた。彼女の首にかかる、白珠の連なる飾りに。
「これ……」
手を止め、まじまじと見るナツヒに、ユウナギもやっと思い起こした。
「ああ! そう、ずっとナツヒに礼を言いそびれてた!」
彼女はさっと彼の方に振り向き、そして衣服の中に入っていたその首飾りを表に出した。
「これ、ほんとは私への土産だったんでしょ?」
ナツヒは目を丸くしていて、すぐに返事をしなかった。
「あれ? 違うの……?」
「いや、そうだけど……どうして」
「シュイが渡してくれたのよ。私にくれるつもりでいたのに、ナツヒは恥ずかしくて渡せなかったからって。そういえば私たち、あの頃ちょっと、あれだったもんね」
ユウナギがなんだか照れくさそうに、指先でその白い珠に触れる。
「ナツヒからくれれば良かったのに……。でもとにかく、ありがとう! とてもきれい、気に入った! この白い珠、見つめてると、碧い海の景色が頭に浮かんでくるの。想像の海だけど」
「あ、ああ。……でもお前、兄上からもらったんだろ首飾り」
「え? あぁ、うん。だけど、首飾りはいくつ着けててもおかしくないでしょ」
とはいえ、いま彼女が着けているのは、その白珠の、ひとつだけだ。
「どうして……その、兄上からもらった方じゃなくて……」
ナツヒの話しぶりは、何やらまごついている様子。
「それが、ずっとふたつとも着けてたんだけど。水晶の方は旅先で、人に差し出したの」
ナツヒが訝しげなのでユウナギは説明した。人に重大な頼みごとをした際、その水晶の首飾りを僅かな礼として提供したのだと。ナツヒはそれを聞いて一時考え、こう尋ねた。
「なんで兄上からもらった方を差し出したんだ? 白珠より水晶のが価値があるのか?」
彼は一般的な石の価値についてはよく知らないが、彼女にとっての価値なら、自分の贈った白珠より、兄と出かけた先で手に入れた水晶の方が高いに決まっているのだ。彼女が手元に残しておくべきは水晶だろう。
「……兄様に買ってもらったのはもちろんすごく大事で、身に着けていたらいつも嬉しいものだったけど」
ユウナギは指の腹でいっそう白珠を撫で、言葉を続ける。
「シュイから聞いたの。これ、ナツヒが私のために、自分で珠を採って自分で繋げたって。そんなの、これ以上嬉しくて大事なものはないよ」
そんなふうに言って、そして、はにかんだ。
「…………あ――」
おそらく顔を見られたくなくて、ナツヒは彼女の肩に額を乗せた。普段、ナツヒからユウナギに引っ付いていくことはないので、彼女は少し驚いたよう。
「戦場に戻らないで、しばらく家で寝てたいな……」
「そうよね……」
彼はそういうわけにもいかない。ユウナギでもそれくらいは分かるので。
「十分休んでいって……」
こう言うしかなかった。
それから数日後、ナツヒは兵と共に東へ戻った。
その頃、ユウナギの送った
「隣の女王からか」
家臣からそれを受け取った
「あの女をここに連れてこい」
家来にこう命じた。即刻そこまで引きずられ入室したのは。
「お前に祖国の王から
密告行為が露見し捕えられたアヅミだった。
「文……女王から……?」
酷い暴力は今のところ受けていないが、非常にやつれた彼女はいったん後ろ手の縄を解かれ、すぐに前で両手首を縛られた。それでも渡された文は何とか読める。
“ありがとうアヅミ
あなたの仕事が国の多くの民を救いました
これを誇ってこれからも生きてください”
この一筆に彼女は、片目から涙をぽろりとこぼした。
「その
「私は何も……知りません……」
「そうか、まぁそうだろうな」
大王は彼宛の一筆箋に目をやった。
「間者に
彼は憤っているような声で話すが、表情は笑っているようにも見える。
「隣を取り込む前に、一度この女王と話してみてえな」
「そこの女王は神がかりで人心を掌握する巫女の系譜でしたね。あなたが手に入れれば、使えることもありましょうが」
最側近の男が彼に話しかけた。
「それも多少考えたんだけどな」
「すでに神の力を失くしたあなたにとっては、生かしておけば脅威ともなり得ますね……」
「ああ残念だ。まぁコマルの代わりにはならねえだろうしな。これは到底従順な女と思えん」
王は笑ったが、その顔にふと、寂しげな色も浮かばせるのだった。
♡- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -ഒ˖°
夏目漱石の「I love youの和訳」が「月がきれいですね」なら
ナツヒの「好きだよの和訳」は「家で寝ていたい」です。(謎)
次回から終章に突入いたします。最後までぜひお楽しみいただけますよう。
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