第116話 かけおちるふたり

 夢の中、ふわふわ浮かぶふたりが次に目にしたのは、和議の館でのこと。真夜中の兵舎脇、丸太に座るユウナギとナツヒのじゃれ合いだった。


「きゃはははくすぐったぁぁい!」


 そんなものを上からみるユウナギは、「もう、ナツヒったら。ほんとに子どもなんだから」とぼやく。隣でミィは大人ふたりの遊びが羨ましいのか、興味深く見つめていた。


「ナツヒっ、止めて止めて! もう止めてってば……」


 浮かぶユウナギが、もう止めてあげてよ―、と思った瞬間だった。

 なんとナツヒが、くすぐる両手をそのままユウナギの背にまわし、彼女を強く抱きしめた。


 当然、彼女は驚いて、上げていた声がぴたりと止まる。


「ナ、ナツヒ?」


 彼女の肩の向こうに乗せた彼の顔は、普段は決して見せることのない、切なげな色を浮かべている。


「どうしたの、ナツヒ……」

「……なんだか……お前が、遠くに行ってしまうような気がして……」


 彼から顔が見えなくて良かった。ユウナギは、悟られた? と、あからさまな顔をしていた。


「何、言ってるの……そんなこと、あるわけ……」

 すぐにナツヒは手をぱっと離し、彼女から離れ立ち上がった。


「冗談だよ。やっぱ俺寝るわ」

 気まずいのか、顔を背けたまま彼は戻って行ってしまった。


 残されたユウナギの額には、冷や汗が滲んでいる。


 これをみたユウナギは、「あの時ナツヒ、こんなことしてない……」と思い返し、胸がずきずきと痛むのだった。




 館から帰ったユウナギは不安な時を過ごしていた。彼に命令で、というより脅迫で強制してしまった。こんな自分なんて心から慕ってもらえるわけがない、と。

 それでも滅びの道から逃げたいのだ。彼と共に。

 もし、彼が心変わりしたら。やはりこの国と心中するなんて言い出したら、すぐにでも自害しようと思いつめていた。



 ある真夜中のこと。足音が聞こえて不審に思ったユウナギは、戸をそっと開け外を注意深く見た。


「兄様……!」

 衣服をしっかりと着込んだ彼が、下方から手を差し伸べる。


「さぁ行きましょう」

「え?」

「用意が整いましたので。あなたは2,3枚余分に、上衣を羽織ってきてください。……苦しい旅になりますよ。御覚悟を」


 ユウナギは感動で震えた。ふたりでどこまでも行けるような気がした。



 彼が残される中央の者らに対しどんな用意をどこまで行ったのか、ユウナギには知る由もない。それぞれ馬に乗って中央を出た。旅立つのに彼は、真ん丸の月が夜道を明るく照らし、馬が快く走ってゆける最善の日を選んだようだ。


「兄様、どこへ?」

「南西に向かいます。できれば3日以内に国を出たい」

「どうして西なの?」

「やはり国が成っている地域の方が安全です。あの先代王の国なら事情も多少分かりますし。それに何より、やはり温暖な方が……」

 彼はユウナギと比べたらまったく慎重だった。


 国を出、しばらく行ったら隣国に入った。出るのも入るのも彼と一緒だからできたことだ。どちらの国境にも柵や堀が巡らされ、その通路には警備兵の置かれているところもある。が、抜け道の情報を彼はあらかじめ取得していて、難なく通って行った。以降ふたりは暗黙の了解で、二度と国のことを話さない、考えないとした。


「ここはもう隣国の領内です。持ち出した食料もあと少しで尽きるので……これから集落が見えるたび、一時滞在を試み、少しずつ遠くへ行きましょう」

「あの、私、髪飾り持てるだけ持ってきたから、これで交渉してみる」

「旅はあなたの方が慣れているのでしたね……」

 ここまでも、限られた食事に、続く移動に、身体の疲労は溜まっているが、精神的には絶えず研ぎ澄まされている状態であった。


 その日、植物を採って足しにはしていても、いよいよ携帯食が底を突くという頃、隣国で初めて集落を見つけた。

 温暖な気候のたまものか、そこの人々はとても親切で、訳ありのふたりの滞在を支援してくれた。1週間ほど寝泊まりした後、ユウナギは家屋を貸してくれた家族に髪飾りをひとつ渡し、また旅立った。

 しかし1日もしないうちに腹はどうしても空くのだ。どの辺りに村があるか前の滞在地で聞いてきたおかげで、次はわりあい早く見つかった。こうしてふたりは集落から集落へ、時に髪飾りだけでなく上衣を渡し、衣服すら最低限のものとなった頃、この国の境に位置する村に辿り着いた。


 その村の住民も温和な人々であった。災害もめったに起こることなく、生活が落ち着いているゆえだろう。ふたりは他の集落でもそうしたように、事情があって流浪している兄妹だと自らを紹介した。トバリは比較的豊かな一家から小さな家屋を借り、ユウナギは別の老夫婦の家に居候させてもらうことになった。返すものは労働でしかないが、それでも構わないと言ってもらえたようで。


 ふたりは懸命に働き、積極的に人々との交流を始めた。するとだんだん、ふたりの働きや真面目な気性がそこの人々に認められだす。ユウナギはそれを感じ、充足した思いをほんのり胸に抱いていた。


 そんな中トバリが、仕事の後、少し出かけようと彼女を誘い出した。日が橙色に変わる時分、ふたりは一頭の馬に乗り集落を出る。1刻も走れば景色の綺麗な処に着くと、彼は村人から聞いたようだ。




「これ、なんかありそうだな」

 ミィが口を開いた。


「ん? なんか?」

「若い男と女が、こんな日暮れ時、ふたりで消える……」

「…………えっ?」

 ユウナギは目を大きく見開いて、移動中のふたりを注視する。


「って、ずっとふたりで旅をしてたのよ? ここまで別に、何もなかったし」

「状況が違うじゃないか。今までは逃げるのに必死だったしさ。でもそろそろ」

「そろそろっ? なにっ!?」


 ふたりは上から、その何か起こりそうな男女の行方を追った。




「わぁ、きれい……。これが海?」

「いえ、湖です。湖面に映る光の道が、なんとも美しいですよね」

「湖……って小さい海でしょ、初めて見た」



 こんな会話を聞くユウナギは、胸が締め付けられた。それは夢の中の自身だが、自分の感覚では今、隣に彼がいない。この夢の景色を懐かしく思う気持ちや、彼が恋しくてすぐにでも直に会いたい気持ち、様々な思いが身体中を駆け巡る。


「話、聞いてなくていいのか?」

 心ここにあらずといったユウナギの気付けをするミィ。さながら小さな保護者だ。

「あ、うん……。変よね、寂しくなっちゃった……」

「…………」

 ミィはそんな彼女を励ましたかったが、いい言葉が思い浮かばなかった。




 ふたりは湖岸に腰を下ろし、今のところゆったりと言葉を交わしている。

「兄様、今まであなたと一緒だから心強かったけど、やっぱりずっと不安だった。明日食べられなかったらどうしよう。疲れきって身体が動かなかったらどうしよう。……御母様の力で、私たちの居所が露呈して……国からの追っ手に捕まったら……。あなたもそうだった?」


 ユウナギは彼の顔を見てみた。すると彼は彼女から目を逸らし、湖面に向かって弱音を吐くのだった。


「不安がなかったと言えば……大噓になります」

 いつになく素直な彼に、ユウナギは小さく笑う。


「どうして私の願いを聞き入れてくれたの? あなたが国を捨てるなんて……。私があなたを殺して、私も死ぬなんて言ったから?」

 少し哀しい顔になった。彼女も脅迫し無理やり従わせた自覚はある。


「どうしてでしょうね。私も自身の心が説明付きません……。こんな大それたことをして、いつどんな罰を受けるのだろうと、眠れない夜もあった。しかしあなたが気に病む必要はありませんよ。これはすべて私の責任だから」


「そう……。じゃあ、すべての責を負うというあなたを見込んで、思うがままに命じるわ。これが王女としての、最後の命令」

 今度は吹っ切れたような、清々しい表情かおをした。

「?」

「私、ずっとこの村で暮らしたい。ここの人たちが受け入れてくれるなら……」


 トバリも、いつまでも逃亡を続けることは不可能だと分かっている。

「明日にでも話してみましょう。きっと大丈夫……」

「あなたの妻として、ずっと」


 ふたりの目が合った。

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