第113話 母の思い
ユウナギは年老いた父に歩み寄るべきだと、放蕩息子を説得したい。
「もう親ひとり子ひとりなんでしょ。父君もあなたが実の兄を傷付けたこと、いつまで言ってても仕方ないって分かってるよ。あとはあなたの態度次第だと思うな」
「そんなこと赤の他人に話したのか? そんな
「あなたの恥でしょ……」
よく言えるなと呆れてしまう。
「大体、どうしてそんなことしたの? 喧嘩で刺したなんて……そりゃ凶器が小さな刀じゃ殺意というのでもないでしょうけど。脅してそれを取り上げるつもりだったの?」
10年も前のことを赤の他人に蒸し返されて、男は不機嫌だ。
「いいや、カッとなってたから殺意はあったぜ」
「どんな喧嘩よ……兄君はあなたと違って、素直で温厚な人だったって聞いたけど」
「小刀、おふくろの形見だったんだ。あっちだけもらったんだよ。俺おふくろが鍛えてるとこ見てて、欲しいって言ったのに」
「それでカッとなって?」
「それだけじゃなくて、ずっと親父もおふくろもあいつばかり可愛がってさ」
彼は拳を握って悔しさを滲ませる。その様子に、彼が幼い頃から今に至るまで不満を募らせていることは分かったが、だからこそ彼はより両親に認められる言動をしなかったのでは、とユウナギは感じた。つまり卵が先か鶏が先か、だ。
「ところで、その小刀ってこれでしょ? 兄から奪ったこれを、どうして持っていかなかったの? 兄を傷付けてまで欲しかったものなのに」
「どうしてお前が! ……そんなもの持っていくわけないだろ」
「見るたび自責の念に駆られるもんね。これが欲しくて仕方なかったのに、皮肉なものね」
「…………」
双子の片割れも、もうこの世にいない今、彼は心の隅で申し訳なさを感じているようだった。
「ん?」
彼がその小刀を受け取ったら、何か違和感があったようだ。ユウナギが詳細を尋ねると。
「この真ん中の、突起……こんなのなかったぞ。ここには確か、穴が空いてて」
ユウナギは昨日の老人の言葉を思い出す。彼も同じことを言っていたのだ。
結局、道楽息子は逃がしてしまった。いい大人が老いた親に謝罪もできないとは情けない。そうは思うが、彼もやはり父親が心配なのだ。10年も疎遠にしていたら、確かにどの面下げてという話だろう。本当に死期が迫るまで対面は実現しないかもしれない。それも彼の自業自得だ。
ユウナギは小刀を見つめて溜め息をつく。
「それにしても、本当に変よねこれ。彼はこれで兄を刺した。確かにこれを手に持ったら“刺す”よね、“切りつける”気にならない。これ、何も切れる気がしない。小刀なのに……」
ふたりの言った言葉が脳裏に浮かんだ。
「真ん中に穴の開いた、これ……??」
もしかして、とユウナギは立ち上がった。家を出て、もうひとつの家屋に入ってみた。そこも倉庫代わりのようで物がやたら乱雑に置かれている。まずは片付けだ。
「今日は片付けの日か? 爺さんは?」
そこにミィがやってきた。彼は少し遠くに仕事に行ったと話す。
「散歩がてらだな。そういえば息子は来たか? 焚きつけてみたが」
「ええ、朝一で。びくびくしながら」
「俺の手柄だな!」
「まぁ……。でも嘘はダメよ」
「嘘も方便だろ?」
「今回のは仕方ないけど。命とか病とか嘘つくの、普段はダメだからね!」
ミィはそれくらい分かってるとふてくされた顔をする。
「で、あいつが戻ってくるからここを片付けてるのか?」
「ううん。あの人また逃げちゃって。今ここ片付けてるのはね……」
説明を聞いたミィも若干興味あるようで、一緒に片付けしだす。そのうち彼女が目当ての箱を見つけた。
「なぁ、このカゴの中に木箱入ってた」
「え、見せて見せて」
「ん」
「あ、これよ、同じ大きさの箱。開けてみて」
彼女がそれを開けたら、やはり同じ小刀が入っていた。
「彼の分もあったんじゃない……!」
あの男はこれに関してずっと不平感を抱いていたのだろうが、ただの思い込みだったのだ。母は同じものを用意していて、それに気付かなかっただけだ。ユウナギはすぐにでも彼に伝えに行きたくなる。それを察したか、ミィは。
「そのうちまた気になってひょっこり顔出すだろ。ほっとけ」
「でも……」
「あいつも少しは自分で考えなきゃいけないんだ」
「あなたはおじいさんの息子たちに何があったか知ってるの?」
「知らねえけど? 俺の生まれる前なんだろ?」
本当にふしぎな少女だ。
「そんなことより俺の話だよ。母上に聞いたんだ。今、夢がひとつ叶うなら何を願うか」
「へぇ。なに?」
ミィは周りに誰もいないのに、なぜかこそこそと耳打ちをした。
「え? 天女の舞いが見たい??」
もう夕方になるが、ふたりでわらびを採っている。
「そんな都合よく天女が舞い降りてくるわけないから、それは不可能というものじゃないかなぁ」
見るとミィはふくれっ面だ。
「母君は舞いが好きなの?」
「いや、今までそんな素振り見せたことない」
ユウナギもそれは釈然としない。
「じゃあなんで急にそう思いついたんだろうね」
「でも、一度だけ……そういえば父上が言った。“舞う母上はきれいだった”って」
「ん? 母君は上手に舞えるの?」
「だから見たことないんだってば。確か、姉上も見たことないのにってふしぎがってた」
父に惚気られただけかもしれない。
「天女はともかく……もし母君が舞いを好むなら、ミィが舞って見せてあげたら?」
「そんなこと言われても、舞い方知らねえよ」
「うーん……私が天女仕込みの舞いを教えてあげてもいいけど……」
「天女仕込みの舞い!?」
ミィの顔が紅潮した。しかしユウナギは口にはしたものの、勝手に教えていいものかと躊躇した。もし彼女の母に何らかの理由があって、あえて子どもに舞いを教えなかったのなら、と考えると。とりあえずこの話は保留にする。ミィはがっかりしたようだ。
家に戻ってからも、ユウナギはぼんやりと考えていた。ミィの母親は我が子に、舞いを見せたいのだろうか。今まで舞いの話をしなかった理由はあるのか。もし舞えるならなぜ教えなかったのか。教えなかったのに、急に天女の舞いだなんてなぜ言い出したのか。
「母親の気持ちなんて分からないよ~~」
ユウナギは2本の小刀を両手で持ち、かちかちぶつけていた。
「そういえば、この小刀……」
形見で同じものが存在して、ユウナギですら救われた気分だ、が。
「どうしてこっちは突起、こっちは穴……って、これ同じ大きさじゃない!? ってことは……」
ユウナギはその突起が穴に入るように、2本のそれを重ねてみた。
「こうかな? 違うなぁ。じゃあ、こう? あ、ぴったりはまった! ……これ、ひとつの物なんだ、小刀じゃなくて。でも、これ何??」
刃の部分は重なり、柄の部分は輪がふたつ隣り合っている。
そのころ夜も更けていて、炉の前で彼女はいつの間にか寝てしまった。
今宵、ユウナギの夢の居所は作業場のようだ。
「女の人……? あっ、持ってるあれ、2本の刃くっついてる!」
ユウナギは、この女性はきっと彼の母なのだろうと思った。先ほど重ねてできあがった、例のふしぎな道具を手にしている。使えるかどうか確かめているのだろうか、彼女はその柄端にあるふたつの輪に指を差し込んで握っている。
「ふたつ刃先が重なって離れて……ううん、開いたり閉じたりしてる……。で、何に使うの?」
そこで女性は輪から指を抜き、真ん中の突起部側面に差し込んであった、非常に小さな棒を摘まんで抜いた。
「あ、重なってたのがまた2本に分かれた! あの小さい棒で押さえてあったのね? 穴なんて空いてたっけ、起きたら見てみよっと」
そして彼女は2本の刃を、用意したふたつの木箱に1本ずつ入れた。その瞬間の表情は温かな慈愛に満ちていて、やはり彼女は息子たちを思う母なのだと、ユウナギは確信した。
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