第94話 亡霊パニック
その夜ナツヒはまた夢の中、“彼女”と共にいる。
「そう落ち込むな。きっとユウナギは日頃から、おぬしに感謝しておるぞ」
「お前たち揃いも揃ってなんなんだ」
ナツヒは絶えずせっつかれている気分に陥り、女性が苦手になりかけている。元々得意なものでもないが。
「本当じゃぞ? 巫女は人が見なすほど己を特別とは思わぬ。その証拠に、ユウナギはおぬしに嫌われたと幾日も悩んでおったぞ」
「あ? なんでお前がそんなこと分かるんだ?」
「私には何でもお見通しなのじゃ! 私の力はおぬしですら、認めることができるじゃろ?」
「ああそうだな」
夢枕に立たれているのだから疑いようもない。
「事実、巫女はみな同じようなことを悩むのじゃ。本当はただ人に愛されたい、ただの人として」
ただの人であるナツヒには、理解し得ない心情だろう。
「しかし私なぞ神に愛されすぎて、いつも人に愛されぬよう身体にたくさんの印が刻まれる」
「しるし?」
「見せることはできぬが。今は肉体がないでのう」
「別にいい」
「私は何度生まれ変わろうとも巫女を職とするものと、もはや諦めておる。大いなる力というものの源は、“嫉妬”ではないかと思うておるほどじゃ」
神はそんな下世話なものなのか、とナツヒは訝しむ。
「おぬしはそう見下すものかもしれぬが、神はわざわざ、生きものにもそういった感情をお与えになった。争いの元になるのは避けられぬのに。なぜじゃろうな?」
やはり彼には口出しのできない話だった。
夜もさらに更けた頃。
「!?」
まだ暗いうちに目を覚ましたら、ナツヒは自身に覆い被さる不穏な陰を感じた。その影はどんどん膨らんでいくようだ。確かにそれは見えている。
彼はすぐ横に置いてある
「なんだったんだ今のは……」
ただ思い至る、もしかしたらアオイが見たのも同じものかもしれないと。
それからだった。毎晩毎晩、いびつな陰がナツヒに襲い掛かった。
彼はかつてないほどに惑う。戦おうにも実体がない。必死で逃げる、体力が尽きとうとう捕まる、声を上げる。それがすなわち目覚め。
そう、どうしても彼は真夜中に目覚めてしまうのだ。代わりに昼間眠っているようになった。それではいけないと、もう国に帰ろうと思った。しかし手ぶらで帰るわけにはいかず。同盟を結ぶ旨の書状なりを、王より受け取らねばならないが、彼からそういった言はまだない。王はどうやらこの頃、内政業務に追い立てられていて、その時間以外は寝て過ごしているという。
ナツヒの部下の兵らは、海という目にしたことのない大自然に、また海の幸に酔いしれる日々を過ごしている。そこはまるで束の間の休息の場だ。ナツヒは自分だけ悪夢をみているのかと苦慮していた。
「ふむ。亡霊じゃな」
やっぱりそうなのか、と彼は肩を落とした。
「悪霊は直接手を掛けるものではない」
「でも“殺される!”って思うんだ。どんなに逃げても追いかけてきて」
「そしてじわじわ疲弊する。それが祟りの恐ろしいところじゃな。おぬし、こう思うておるのじゃろう? どうせ敵うわけない。敵は抗えぬ未知の力だから。そう怯えておるから、より大きく見えるのじゃ。見えているものが真実の姿とは限らぬ」
「そんなこと言われても。俺は鉾を振りかぶるが、敵に当たる感触がない。戦えないのに襲い掛かってくる、振り払わずにいられない」
「しっかり憑りつかれておるのう。そのまま国に連れては帰るなよ」
彼は真剣に悩んでいるのに、茶化されているようで腹立たしい。今すぐにでも帰りたい。
「おぬしの考え、更にはこうじゃろ? 別に亡霊退治なぞ己の仕事ではない、地縛霊なら自分はここを離れれば、それ以上関わることもない」
ナツヒとしては、だってこれ俺の仕事じゃねえし、としか言いようがなく。
「何か憑りつかれる原因が、おぬしにあるのではないか?」
彼には身に覚えなどない。あの石碑に出向いたくらいか、しかしそこで無作法をしたわけでもない。
「ただ敵が悪霊であるなら、人同士の争いより打ち破るのは容易いぞ。心の強さでいかようにもなるからな」
「心の強さ……」
まだ彼には得心できなかった。
「ナツヒ様、昨晩も眠れませんでしたの?」
シュイは目の下にくまをこしらえた彼を、深く心配している。
「先日の満月の夜は、怪しげなものが出なかったのですよね。でしたら寝室に丸い木板を掲げましょう」
「ん? 板ならここにもあったはずだが」
ナツヒは前それを見たところに目をやった。
「どこにもありませんわ」
「そうか? あったと思ったが……」
「では他のお部屋から拝借いたしましょう」
シュイは彼を引っ張って立ち上がらせた。
「ここ、あの時の部屋じゃないか……」
「だってここは使用目的が割れている処ですし」
3人で覗いた例の寝室だ。ナツヒは早速板を見つけたので借りていくことにする。
「あら、この鏡」
王に渡した銅鏡が、そこに置かれているのをシュイは見つけた。
「国からの土産をずいぶん雑な扱いだな」
それに価値を見出していない者にしてみたら、確かにただの鏡なのだが。
「おふたりでお使いになっていたのではないでしょうか」
「?」
「こちらの寝床で」
「…………」
ナツヒはげんなりした。
「さぁ、早く出よう」
ナツヒがさっさと出ていった後で、シュイは少し鏡を覗いてみた。髪を整えたかったようだ。
「あら? これは……」
そして翌日のこと。ナツヒは自室に掲げた木の板が割られているのに気付く。木などいくらでも用意できるものだが、まったく気分のいいものではない。食事を運んできたアオイも不安げに言う。
「これは悪霊の仕業でしょうか」
「悪霊が木を割るか? いかにも人間の嫌がらせだ」
「しかし、外からいらっしゃったあなたを疎む者など、ここには……」
「早く帰れって言われてるんだな。アオイ、とにかく王に早く結論を出すよう進言してくれ」
「分かりました……」
彼女がそこを出たら、シュイが足早にどこかへ向かうところだった。その手に持つのは丸い木板だ。
「ホウセンカ様、お急ぎでどうかされました?」
「あら、いいえ」
シュイは彼女が手に持つ木板を見つめてくるので、意識を逸らすため、これを聞くのだった。
「あの日、あの石碑に案内してくださった時……私は男女の仲を取り持つような、ご利益のあるところ、とお願いしましたわよね」
「ええ」
「もちろんそんなところ、当たり前にあるものでもないので、ただ言ってみただけですが……あなたはあるとはっきりお答えなさって、私は少々驚いたのです」
アオイは表情を変えずに、シュイの言葉を聞いていた。
「しかしあそこは慰霊碑でした。どういうことですかしら」
「私も詳しくはないのですが、あの石碑は慰霊のためと同時に、夫婦が永遠に仲良くあるよう祈りにいく処なのです」
「夫婦?」
「仲違いした男女の仲を取り持ってくださるようにと、月の神に80年間、人々が祈りを捧げ続けた処のようですよ」
シュイはまだ釈然としないようだが、人の信心の集ったところだということで納得はした。そして彼女は小走りで、どこぞへ向かった。
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