第十一章 恋心

第89話 私の味方になってくれる人この指とまれ~

 周遊を終え中央に戻ったユウナギは、ひたすら憂鬱に過ごしていた。自身の運命が、国の未来が、いやはや彼女、もはやそれどころではない。


――――「お前行った先で何してたんだよ!!」


 この時を境に、ナツヒはユウナギを避けていた。とは言え、周遊中の女王付きの護衛だ。側にはいた。必要があれば会話もした。ただそれはあくまで女王と従者の間の、形式に沿ったものだった。彼の態度にユウナギが承知するわけもない。が、彼女はここでも小心者だ。


 中央に戻ってくれば、女王は自室に籠っている限り身の危険もない。通常どおり室前と屋敷周辺に兵を置いておけばいい。したがってふたりが顔を合わせることはなかった。

 ともあれユウナギ、そこは自宅であるので、ある程度気分も落ち着いてくる。変わらずナツヒの姿は見えないが、それでもまた数日たてば、彼はひょっと現れるのではないか、と高を括っていた。しかしどれほど待っても、まったく音沙汰ない。


 彼なしでは退屈で仕方ない。実のところユウナギは、自分が悪いとは思っていなかった。あくまで自分は被害者だ。責められる謂れはない。が、ここまで彼に会えないということは、本当に失望されているのだろう。それはつまり己の危機管理が甘かった点を、彼は非難しているのだ。そこに気付くと急速に恥ずかしくなってきた。気付くのがこんなに遅くなったことも、その恥ずかしさに拍車を掛ける。


 しかしあの時も彼は、何も弁解を聞いてくれなかった。少しは聞く耳を持ってくれてもいいと思う。きちんと話がしたい。とはいえ直接行く勇気もない。第三者を挟まなくては。こちらの味方になってくれる人物を。ユウナギは立ち上がった。



「兄様!」

「ユウナギ様。どうしたのですか?」

 トバリは彼女の元気の無さを一瞬で見抜いた。彼もこのところ忙しくしていて、女王と向き合う用事もなく、彼女の様子をあまりみられなかったと反省する。しばらく下の者に業務を任せ、彼女とふたりきりの時間をもうけることにした。


「あ、あの……」

 ユウナギはとにかく聞いてもらいたくて仕方ないのだ。しかし困った。猪突猛進な彼女はそこでまたやっと気付いた。この相談をするには、首筋に跡を付けられたことを、よりによって彼に話さなくてはならない。そのようなことを話せるわけがない。だがしかし。

 これを黙っているということは、やましいことだと自認している、ということではないか。彼に隠し事をするのか。まさに究極の選択だ。いったいどちらが正解なのか。


「ユウナギ様?」

 彼女は自身の首筋を指で軽く押さえた。ナツヒについての相談をすることより、目的が変わってしまった自分がいる。


「私、ここに、男に……口づけられたの……そして、吸われたみたい……。でも、ほんとにそれだけで、ちゃんと帰ってこれたし……」

 気付いてしまったから、黙っておけなくなったのだ。「やましいことを隠す」に耐えられない。


「…………」

 もちろん彼は固まった。


「に、兄様?」

 呆けた彼に罪悪感で、ユウナギの涙がぶわっと溢れだす。

「ごめんなさい……!! 私が油断したせいで……」


 泣きわめく彼女を前に、トバリの意識も復活した。

「あの、順序良く、話してくれますか……? その、責めたりは決して……しないので……」


 彼もやはり心の整理ができない様子。ユウナギは、周遊中の時空移動先で名も知らぬ男に首筋を吸われたこと、それをナツヒに咎められ、それからろくに顔を合わせていないことを話した。順序良く伝えられているかは自信がなかったりする。

 しかしトバリにとっては、ナツヒとの関係がどうこうはほぼどうでもいいことで、話の前半部分が大問題だ。実際に巫女の神通力が失われていないのなら、“丞相としては”問題としなくてもいいのだろうが。


「兄様?」

 彼は切ない表情で彼女の首筋を見つめた。

「あなたを守れずにいることが苦しいです」

「…………」

 ユウナギは嬉しかった。やっと自分の非を否定してもらえたのだ。


「ほんとにただ、からかわれただけなの。それ以上何が起こるなんてこともなかったし……。でも、ちょっと、怖かった……」

 甘えたくて彼に飛びついた。

「兄様がしてくれたらいいのに!」

「……こんな近くに首筋持ってきて、それを言わないでください」

「だめなの? 力は失わないよ?」

「それ以上煽ると、吸うどころか噛みつきますよ?」

 ユウナギは一瞬だが普段の彼らしからぬ顔を見つけ、顔を赤くした。彼女が怯んだ隙に彼は、自身から彼女を剥がして、いつものようにすとんと置く。


「で、ナツヒが何ですか?」

 空気を変えようと弟を利用するトバリだった。


「ナツヒに、軽蔑されちゃったみたい。あんなふうに怒鳴る彼は初めて……。それから避けられてるの……」

「ああ」

 彼にしてみたら気持ちは分からなくもない。いやよく分かると言っても差し支えない。


「大丈夫ですよ。それは彼が己を恥じて顔見せできないだけですから」

「? 自分を恥じるって?」

 ユウナギにはまったく分からない。


「ナツヒは私を非難した。見知らぬ男のからかいすらあしらえない無能だと……? それとも、こんなことされて浮かれている不貞な女だと思われたのかしら?」

「そんなことは」

「だってすごく怖い顔して怒鳴ったもん!」

 悔しさやら恥ずかしさやらで青くなった顔を押さえ、ユウナギは首を振った。そんな彼女の両手を掴んで、彼は諭す。


「それを見つけた瞬間は、冷静さを失い、そのような態度をとってしまった。気付けば後悔の嵐、あなたに顔向けできるわけがない。あなたを守れなかった上に、それを棚上げしたのだから」

「そうなの……?」

 彼女にとって彼の言うことは絶対だ。彼が言うのならそうなのだ。


「じゃあ、私からナツヒに会いにいっていいのね? ちょっと行ってくる……」

 そこで、振り返って出て行こうとした彼女に、トバリは声をかける。

「ナツヒは今いませんよ」

「……え?」

「ああ、そうだ言い忘れていました。彼は今、外交のため国を出ています。もう今頃は北西の国に」

「えっ? ナツヒ中央にいないの??」




 こちらは、ナツヒが国の北西を出て隣国の領地に入り、1日たった頃の話。

 沼のほとりで、彼の率いる一の隊が休憩している。


「た、隊長っ!」

 ナツヒの元に慌てて走ってきたひとりの兵が。

「どうした?」

「それが、あの」

 次にやってきたふたりの兵が連れていたのは。


「……ホウセンカ……」

「お久しぶりです、ナツヒ様」

 ナツヒは目を剥いたまま兵らに聞いた。どうやら歌姫シュイは輸送車に潜んで付いてきたらしい。


「ありえねぇ……。どこから?」

「このごろ北西のむらで、私どもの一団が興行していましたの。たまたまですね、ちょうどナツヒ様もそこに滞在されていると耳にしまして。さっと御車に忍び込みましたわ」


 どうやら彼女、隣国の姫だと素性が知れてから、おいそれと舞台に立たせてもらえなくなり、今は名誉監督のような立場で日々が退屈なのだとか。


「そりゃ隣国の先代王に睨まれてるわけだしな。でもそれならなおさら心配されるだろう。帰れ」

「中央に遊びにいくと言付けてあります。あなた様が責任をもって、私を中央まで送り届けてくださいませ」

 意訳は、どこまでもあなたについていきます、いや連れていけ。だ。

「あと、お腹すきました」

 それから彼女は外交先への到着まで、それはそれは丁重に扱われた。

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