女王編

第十章 共感

第81話 誘惑の赤い果実

 先だって即位した女王ユウナギは、ただいま披露目行列の旅の最中にいた。一行は30ほどのすべてのむらを中央から花弁を描くように周遊し、大きな邑では幾日も滞在し宴を開いた。ユウナギはそこで神に捧ぐ舞いを披露し、神の子として崇められる日々を送っている。


 また彼女は特設舞台の上だけでなく、隙あらば民の輪に参加し、あらよっとと舞おうとするので、警備兵らに至急取り押さえられている。まったく上調子な女王である。


 この旅で女王が召し連れるのは十数名の侍女と百名の兵だ。侍女をもっと連れていくよう言われていたが、ユウナギはそんなにいても仕方がないと聞かなかった。というのも、女王の側には常に、一の隊の長ナツヒが付き従うからである。


「俺を小間使いにするな!」

「こんな旅に付き合わせて侍女たちみんな疲れちゃってるから、休ませてあげたいじゃない」

「何のための侍女だ」


 女王専属の彼が常に彼女の傍にいるのは当然のことだ。しかし付き従う兵らは、何かとこそばゆい気分になるこの頃であった。

 たとえば兵士1がこう思っている。「なんだか女王と隊長の間の雰囲気が。なんというか。前からこうだったかな?」

 兵士2の心の声。「隊長が女王の部屋に入ったきり、出てこないんです」

 兵士3はこうだ。「女王の寝室の前を通ったら、おふたりの影が重なっていた……まさかなぁ……まさかね。あ、いや覗いたわけじゃ」

 兵士4は。「なんか妙な声が聴こえてきたし……幻聴だろうか」

 とまぁ兵士5も兵士6も何やら勘ぐりもやもやとして、それはみなでこの情報を共有すれば、もしかしたら結論の一つや二つ導き出されるのかもしれないが、この全員が「でも余計なこと言って首が飛んだら嫌だし」と、心の奥底に閉じ込めておくことにしている。


 そんな忙しい兵士の面々を当ててしまっているくだんのふたりは、女王の個室でこっそりと。


「もっと! こうだ!」

「痛いぃぃ、もうだめ……」

「体力がなさすぎる。最近鍛錬してないだろ」


 ユウナギがナツヒの足元に膝を落とす。手には木で造られた短剣を模した棒。

 彼女が以前彼に教えを請うた、短剣術の手ほどきの最中である。この旅の滞在先で、余暇はこれに明け暮れているのだが。


「短剣術は機敏さが肝だ。やっぱりお前に向いてない」

「ええぇ……この旅の間ずっと頑張ったのに……」

「無理だと分かったって収穫があって良かったな」

「身も蓋もない……」

「まぁでもまた神隠しでひとりになった時のために、衣装の中に短剣は常に隠しておけよ」


 そこで兵士が呼びに来た。


 周遊の訪問先で、今は最後のむらのいる。残りは行列を見せながら中央に帰るだけとなった。

 このむらの中心地は中央と遜色ないほどに、建設物が多く立ち並び、人々のひしめき合う活気ある処で、案内されたユウナギも心が踊った。


 その日はむらの者が女王に豪勢な料理を振舞うという催しだ。毒見の者が確かめた後、ユウナギは侍従らにも分け与え、結局自分はそれほど食べずであった。それをナツヒは多少気にして見ていたのだが、その催しも終わるという頃、兵士が彼にある報告をする。


 何やら、女王にお見せしたい珍しい作物がある、と邑の一家族が申し出ているという。ナツヒは「ユウナギ興味ありそうだな」と思い、伝えることにした。


「え!? 珍しい作物? 見たい見たい!」


 だよな、と言いながら兵も連れ、その農家のところへの案内を受けた。



「じょ、女王……? まことに、女王であらせられますか……!」

「はいっ、まことです」

 彼らは申し出てはみたものの、まさか本当に女王に伝わるとも思っていなかったようで。

 なんと女王直々のお越しだ。一家はみな感動し、一様にひれ伏した。


 そこから女王一行は家屋近くの林の奥へ案内されたのだが、やたら日当たりの良いそこで目に入ってきたのは、ひっそりと栽培されている、見たこともない、奇抜な色の作物だった。


「ま、真っ赤……」


 握りこぶしよりは小さいかという艶々したその赤い食物を目にして、ユウナギもナツヒも、供の兵らも目を丸くした。それを主導して栽培しているという一家長、初老の男なのだが、彼が女王に語り始める。


「私の祖父が20年以上も前に、ひとりの渡来人を助けた時のことです……」


 容姿のまるで違う、遠い国からやって来ただろう男が、近所をうろついていた。ここらの人々はその男の容貌が恐ろしく、もしかして鬼魅おにではないかと虐げたのだった。しかし男は決してこちらに害なすようなことはせず、ただ戸惑っているようだと彼の祖父は感じ、こっそり自宅へと連れ帰る。家族は驚いたが、みなで協力してその者をしばらく隠し住まわせてやったら、彼が礼にと作物の種をくれた。その後、彼は忽然と姿を消したのだが――。


「祖父は種を栽培してみました。それを父も受け継ぎ、今は私が。今後私の息子が受け継ぎます。しかしこれは、我が家の中でしか食しておりません。この非常に真っ赤な作物をむらのみなに見せることで、怪しがられ虐げられたらと思うと、打ち明ける勇気が出ないのでございます」


 ユウナギはっているそれを手に乗せてみた。

「……ちょっとすっぱい匂いかな?」

「味も少々すっぱいかもしれません。しかし私は幼少の頃からこれを食し、齢40を超えますが、いまだ身体に良い気が満ちております」

「すごい! きっとおいしいわこれ。柿みたいだし。それにこの真っ赤な色、見てるとなんだか胸がどくどくする」


 そんな紅潮した顔のユウナギを見て、ナツヒは「なんかこいつにこれ食べさせるの大丈夫かな」と感じた。その時、その一家の小さい子がやってきて、

「お姐さん、これは悪魔の実だよ」

と言ったのだった。

「あくま?」

 母親が慌てて子を押さえつけ、頭を下げた。


「物の怪のことでございますよ」

「えっ」

「その渡来人が当時幼い私にこっそり言ったのでございます。あまりに真っ赤に艶めく誘惑的なこれを、そう呼んで忌避する人々がいると。家族にそれも話してしまいました。みな気にせず食べていますが」


 物の怪は怖いがやはり好奇心が勝るので、ユウナギはまず毒見に頼んだ。その後、ナツヒの口に突っ込んで、自分も食してみる。

「なんかなんか未知の味~~!」

「そりゃ未知の食物だからな」

「すっぱいような、甘いような!」

 隣のユウナギがまさに誘惑されている表情なので、ナツヒは早く彼女を自室に軟禁しなくてはと思った。


「ありがとう! 気に入ったわ!」

「そのようにおっしゃっていただけるだなんて、感激の極みでございます。これは汁にしても美味でございまして。いつかまたあなた様がこのむらにいらっしゃった折には、すぐにでもご用意いたしますので、ぜひお訪ねください」




 機嫌よく滞在先に戻ったユウナギは、そこでひとり落ち着いて考えごとをしていた。

 「またいらっしゃった折には」の言葉で思い返した。もう自分がここを訪れることもないのだと。命の期限まで長くて1年半といったところだ。実際、女王の披露目など無意味なのだ。すぐに大王おおきみの君臨する国となるのだから。かといって、残りの時に経験することをすべて無駄だとして過ごすのも違うだろう。命は元より有限なのだから、1年半が無駄だというなら3,40年だって同じく無駄である。


 最後の時まで変わらず過ごしたい。自分にとっての「日常」を。しかし、その時が迫れば迫るほど、日常を当たり前に過ごすような気持ちでいられるだろうか。とてつもない不安が押し寄せてくる。


 その時、ナツヒが何の声かけもなく入室してきた。彼は最近たまに目にする、気になるユウナギの表情というものがある。なまじ共に過ごしてきた時間が長いと、気付いてしまう。彼女は重苦しい何かを抱えている。なのにそれを分かち合うつもりはないのだと。


「入ってくるなら声かけてよ」

「悪い」

「どうしたの?」


 ナツヒは話す。下の者がまたここの住民から連絡を受けた。邑はずれの森の中に温泉があるようだ。他に集落の近場で湧き出たものがあり、今では滅多に使われなくなったところなので、一行にどうかと。多少不便だがそれは洞穴の中に湧き、静謐せいひつで趣ある風情らしい。


「行きたい!」

「そう言うだろうと、兵に下見に行かせた。明日には入りに行ける」

「温泉、久しぶり」

 ユウナギに笑顔が戻ったので、ナツヒは嬉しかった。






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ユウナギの食した《真っ赤な実》は(史実では)世界で広まったのが16世紀、日本に入ってきたのは17世紀初めとのことなので、その渡来人はユウナギ同様タイムスリップする体質なのでしょう。

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