第76話 今日の私は看護助手……
「さてと」
ユウナギは夫ですら遠慮して、伺い立てて叩いた戸を、きぇぇぇい! と気合入れ全力で引いた。
「!?」
そこに座するは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔の、小柄な少女。
「!!」
ユウナギは目を見張った。「かっ可愛い~~~~!!」と心の中で叫んでいた。
透き通るような瑞々しい肌に桃色の頬、小さな顔の上に乗る潤んだ瞳、ふっくらした唇。確かにアヅミやユキもきれいで可愛いのだが、そして確かにみな似ているのだが、何と形容したらいいのだろうかこの娘の顔立ちは、すべてが調和した奇跡的な愛らしさというものがあり、そんな彼女に対するユウナギの第一声は。
「あなた、何歳?」
初っぱなから、野外で可愛い娘を見つけた軽薄男のような質問をしてしまった。
「じゅ、14、ですが……」
狼藉者が一応女だとは分かったが、彼女は恐ろしさで抵抗できない。
「へぇ、14かぁ……」
聞いておいてこの返しである。
それからナツヒの言に対して「これのどこが蛇なの?」と独り言もぶつぶつ言い出した。短時間に感情の振れ幅が大きすぎて、自分の言動を制御できなくなっている。
少しだけ冷静になったその御新造は、女といえども侵入者に睨まれているには違いないので、侍女を呼ぼうと声を上げた。すると身体に来たのか、嗚咽をあげ吐き始めてしまった。
「! え、ちょっと待って! 瓶! 瓶どこ!!」
侍女は呼んでも出てこないので、客であるユウナギがそこをすべて片付けた。区切りがついたら今度は、身重の彼女の背中を撫でてやる。そうしたうちにそこそこの信頼を勝ち得たようで、一応は会話をしてくれるようになった。
「そう、あなたヒメっていうの。私はツバメ。ホタルさんの友達よ」
ふたり目の妻ヒメは、まだこの客人をそこまで信用できないらしく、疑いの目でじっと見ている。
「せっかくホタルさん来てくれたのに、何で追い払っちゃうの?」
「…………」
口をつぐむ表情もまた可愛い。
「あああ瓶! 瓶!!」
しかし前置きなく再び吐きだすのだった。
「じゃあ捨ててくるわね……」
戻ってきたユウナギは、ただただ彼女の背中をさすってやった。
「こんなに苦しいのは、この子が元気な男児という証なのよ……」
ぼそっとそう呟く彼女の背を撫でながらユウナギは、アヅミの言葉を思い出していた。彼女はアヅミの前に生んだ子をふたり亡くしている。
「…………」
思い出さなければ良かった。心苦しいだけの情報だ。あんな神子のような赤子を、それも腹を痛めて生んだ我が子を2度も続けて亡くせば蛇にもなろう。それでも生き死にはどうしようもない。
が、やはり「男児」という思い込みは気になる。一般的には、特に彼らの身分なら当然のことなのだが。
「女児でもいいじゃない? 生んだ子が幸せならば」
「だめよ、ホタル様が、男児がいいと言うのだもの」
「ええぇ……?」
そんなこと身重の妻に言ったのか、とユウナギはモヤモヤする。14の娘にとって、子どもの頃から想っている人がすべてになるのも仕方ない。
その時ユウナギは部屋の片隅に、紙やら木簡やらが転がっているのを見つけた。何かびっしりと書かれているようである。
「ねぇ、あの紙と木簡の山、何? 見ていい?」
そう拾い上げて読んだら。
「えっ、なにこれ。……可愛い可愛いヒメ様、どうぞ私の熱い思いを受け止めてうんちゃらかんちゃら。……あっちも! こっちも!?」
どれもこれも、まごうことなき恋文である。
「本当にしつこい人もいるのよ。いったいどこで私の姿を見かけたのかしら」
吐き気の収まった彼女は、けだるげな様子で話す。
「夫がいると分かっていてもこうなのだから。すべてホタル様に通告しているのだけど、彼は歯牙にもかけないの。私が相手にしなければいいのですって。お優しすぎるわ。それとも私なんてどうでもいいのかしら……」
彼は多分本当に、彼女が意に介さないならと思っているのでしょうけど、とユウナギは想像する。
「返事は?」
「返すつもりはないのだけど、使えそうな人は保持しておこうと思って、そういった旨の返信はするわ。それでも良いという人だけ、侍女が適当に相手をするの」
「ほ、保持……?」
「ホタル様の役に立てることがあるなら、ね……」
確かに一瞬、蛇に見えた。
そしてユウナギはここに泊まらせてもらうことにし、夜中も何度か世話してやる羽目になった。
夜が明け、ヒメは夜中の吐き疲れのおかげで今やっと寝付けたようだ。ユウナギは彼女に織物を掛け、そこを後にする。
この時の中央にいる意味もとくに掴めないので、とりあえずはあの兄弟がいるであろう執務室に向かうことに。
到着すると、朝早くからホタルが業務に精を出していた。
「おはようございます。ホタルさん。忙しそうですね」
ユウナギが話しかけたら、彼は朝からとても人懐こい笑顔を向けてくる。
「おはようございます。いえ、実はそれほど忙しくないのです。昨日兄が私の部下をうまく使ってくれていたので、普段よりよほど。……もしかして、朝までヒメの相手をしてくれていたのですか!?」
「ええまぁ」
「さぞかし骨の折れた事でしょう。ゆっくりお休みになってください」
そう言って彼はいったん手を止め、ユウナギの元にござを敷いた。
しばらくはそこに座り、彼の業務を眺めていた。いつもあの人のそれを隣でただ眺めているように。しかし退屈さに眠くなってきたので、おしゃべりな口を開けずにいられない。
「ねぇ、どうしてヒメに男児がいいなんて言ってしまったの? 男でも女でもいいじゃない」
「えっ? 私言ってましたか。口が滑ってしまっていたかな」
「あなたの一族はみなそういう考えなの?」
ユウナギは呆れたように言った。
「だって、男児でもあれだけ可愛いんですよ。女児なんてもう胸の中をぐいぐいとえぐられるような可愛さですよきっと!」
そう主張しながら彼は机を叩いた。
「……ん? 可愛ければいいのでは?」
「だって女児は、他の男の元に嫁してしまうではないですか! “私14になったら父様の妻になりますぅ”などと言っておきながら!」
嫁に出すのは大抵父親の所業だと思いますが。という指摘は口にせずにおいて。
「嫁に出さなければいいのでは?」
「そういうわけにもいかないではないですか。私の妻にするわけにもいかないし。二方塞がりだ」
「では娘の幸せを陰ながら祈りましょう」
「そう割り切れる気がしないので、男児がいいです」
真剣そのものな彼の眼差しを見てユウナギは、どうしようこの人……。と思った。
「我々の一族は特に……女子はここ中央にいられなくなる可能性が高いのです。厳しい運命に見舞われるのだろうと。それは心苦しいので……。それに男児なら成長した後もずっと共にいられる。結局、私自身のためですね」
今度は深く恥じ入るような面差しの彼を、共感力の高い、とても女々しい男だと感じた。しかしとても嫌いにはなれない。
「まぁとにかく、もう奥方にそういうこと言わないでください」
「はい、気を付けます……」
叱られた彼はしゅんとなった。
「ほんとにもうなんというか」
邪気のない彼の顔を覗いて、ユウナギは眉間にシワ寄せ真剣に尋ねる。
「あなたは乙女なの??」
「やはり頭がお疲れですか? 寝床をご用意しましょうか?」
そのとき彼の配下が、女王が呼んでいると連絡に来た。ユウナギも彼についていったのだが、室前で待つよう言われる。戸に耳をそばだてても、話の内容は聞こえてこない。
それから1刻ほど待った後、ホタルが脇目も振らずそこを出ていった。彼の何やら思いつめた表情に、ユウナギは声を掛けることができなかった。
「そこの者よ」
彼は一体どうしたのだろうと案じていたところに、唐突に声を掛けられびくりとするユウナギだった。叫ぶでもないのに、よく通る、気位の高さを思わせる声で呼びかけられた。隠れているつもりはなかったが、戸口にいる自分はまったく疑わしき者だろう。
この先におわすのは先々代の女王である。恐れ多いが自身も女王だ、毅然としてあい対したい。
ユウナギは奮って扉を開けた。
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