第75話 ユウナギ、尊死する??
――――やたら似てると思ったけど、そういうことでしたか……。
中に通されたユウナギは、しばらく家族の団欒を遠慮がちに眺めていたのだが、家長ホタルの、妻かわいや息子かわいやのでれでれぶりときたら、凄まじきこと。さぞ出勤のたび後ろ髪を引かれる思いだろう。
ユウナギは羨ましくて少し寂しくなった。しかしこの妻とは面識がない。ユウナギが女王の屋敷に連れてこられて1年もたたないうちに亡くなっていたからだ。それを思うと切ない。ナツヒが齢9ほどだったので、あともう少し、子の成長を見届けたかっただろうに。
「あなた、お客様を放っておかれたら……」
「ああ、申し訳ない」
「いえいえ。親子水入らずのところにお邪魔してしまって、すみません」
そこで妻ユキがユウナギに話しかける。
「ツバメ様、この子ちょうど首がすわった頃なのです。よろしかったら抱いてあげてもらえますか」
「!」
降り注いだ僥倖に、ユウナギの心の中の正直なユウナギが大わらわだ。その時、ホタルの部下が彼を呼びに来た。
「ああ、やはりまだ仕事をしなくてはならないようだ。向こうの部屋にいるから、何かあったら呼んでくれ」
ユキは静かに頷き、夫を見送った。そして再度、腕の中の我が子を客人の前に差し出そうとする。
ユウナギは震える手を伸ばした。すると赤子が、わぁっと泣き出したのだった。
「えっ?」
瞬時に汗が飛び散るユウナギ。
「あら、どうしたのかしら。人見知りはしない子なのですけど」
「あ、顔を隠してるからかな」
言われてみればと、ユキは彼女の
「あ、えっと……私の部族は、女性がおいそれと異性に顔を見せてはいけなくて……」
「そうでしたか。それではこの生後三月の男の前でも、いけませんでしょうか?」
「全然いいと思います!!」
張り切り笑顔でユウナギはそれをばりっと外した。
そして赤子を抱いたら即、涙がわっと溢れだした。それを見つめユキも共感している様子。
「柔らかくて、清らかで、きらきらしてて、なんて尊い生きものなのだろうと……」
しばらく抱かせてもらっていた。頬ずりすると、とろけてしまいそうなほど柔らかい。もう離せない。その間、ユキは茶を出そうと支度を始める。
ここでユウナギに、とある感情がむくむくと芽生えだす。
――――このままこの可愛い子を連れ去りたい……。誰も追ってこられないところで、この子とふたりきりで……。
しかしすぐ正気に戻る。
――――あれ、いま私、咎人になりかけてなかった!? 重罪よそんなの!!
このような狂気じみた自分に初めて対面し、戸惑うばかりである。妄想だとてありえない、と自己嫌悪の波にゆらゆら流されている。
――――でもね、連れ去って逃げ回り、その間この子の母となりかけがえのない時を過ごし、5年ほどでとうとう捕えられ打ち首の刑に処されても、それで我が人生に悔いはないのでは……。
もしやユウナギは何かに憑りつかれてしまったのだろうか。だが、まぁ。
「はっ! いけないいけない完全に咎人の心理に陥っていたわ!」
と辛うじて我に返ることができた。そのうちにユキが茶を持って戻ってきた。
――――だめなの。私が連れ去って育てても、あの素敵な兄様にはならない。こちらの聖母様に育てていただかねば、私の尊敬する、立派なあの人にはならないのよ。
そう、ユウナギは意識もしないが、彼女の他者に寄り添おうとする心根を育てたのはトバリなのだ。彼はここで育つべき人である。
もはやユキから後光が見える。彼女を一晩中拝み倒したい気持ちになる。その時、彼を抱く腕が温かくなった。
「ん?? びっしょり……」
「あらっ、ごめんなさい! たくさん布を詰めておいたのだけど、なかなか間に合いませんのよね……」
「……ははは……」
ユウナギは苦笑いだ。
「自分より小さい子を世話してた頃は、これも日常茶飯事だったので大丈夫です……」
とりあえず着替えをもらい、その場でさくっと替える。
着替えを渡したユキは隣で、赤子の肌着を脱がしだした。
「……!」
ユウナギが急に後ろを向くのでユキは不思議そう。
――――い、いやね、私だって昔は赤子の面倒も見てたから、見慣れてますよ? ええ、ええ、見慣れてるもんです。でも「兄様の」となったら話は別……。
「すみません。そちらの布を取っていただけますか?」
「あ、はい!」
しかし振り向かねば渡せない。
――――赤子を視界に入れなければ……彼女の顔だけ見ていれば……。
「これくらい布を用意すれば、今度こそ大丈夫かしら」
「こ、これくらい? どれくらい?」
「え? これくらい……」
「みみみ見ていいんですか!?」
「?? ええ」
見た。
口を手で覆い、身を捻って悶え、その尊さに酔いしれた。
しばらくして、戸からホタルが顔を出した。ユウナギは慌てて手で顔を隠す。
「やはり仕事場に出なくてはならなくなった。今晩は帰れないから、ふたりでゆっくり過ごしてくれ」
「……分かりました」
彼は急いで行ってしまった。ユウナギは、これ以上ここにいたら悶えすぎて生命維持の危機であるし、いつまた咎人心理に陥るかも分からないので、彼に付いていくことにする。再び髪飾りで顔隠しの布を留め、礼を言ってそこを出た。
「ホタルさ~~ん!」
「ああっと、申し訳ない。慌て過ぎてあなたのことをほったらかしてしまいました」
正直者だ。
「何か大変な仕事でも?」
「いや実は、仕事はキリがついたのだけど」
「?」
「今から向かうのは妻のところです」
どうやら先ほどの用件とは別に、妻のところの侍女が何やら困っていると彼に連絡を寄越してきたので、顔を出すのだと。
「妻というのは……」
「ああ、今から向かうのは二の妻で、ユキの妹のところなのです」
連れ立って丞相の館から出た。
「敷地内ではなくて?」
「今彼女は身体の具合が思わしくなく、療養の面で少し離れたところに住居を構えていて」
館近くの林を抜けたところに妻の、高床式の家があった。そこで働く侍女が出てきて彼に言う。主人の機嫌がすこぶる悪く、もう彼女らでは手に負えないと。ホタルは、みなしばらく休むようにと労った。
「私だ、入れてくれないか?」
彼が戸を叩き、大きな声で妻に申し入れる。
「会いとうございません。お帰りください」
「……しばらくここに座っているから、気が向いたら開けてくれ」
そう戸越しに言って、彼はいちばん下の階段に腰を下ろした。
「妻は今、ここに子がいて」
彼は自身の腹を軽やかに手で叩く。
「えっ」
「それで心も身体も調子が乗らないのです。とは言え、このように門前払いされるのは、この時期に限ったことでもないのですが」
寂しそうに苦笑いした。
「3回帰って1回入れてもらえるかどうか。昔は本当によく懐いてくれて、この上なく可愛い子だったのに」
「それは……やきもちではなくて? あちらの奥方の方をより大事にしてるのが、目に見えるとかで」
ユウナギはアヅミの言葉を思い出していた。
「妻の気持ちが分かるのですか?」
彼は意外そうな顔をしている。
「い、いえ、私がやきもち焼きだから、かな……」
「それは、私も人の子だから、すべてうまく平等にとはできないけれど、こちらの妻もめいっぱい大事にしたいと思っているのですよ。だってあんなに可愛いのだもの」
「可愛いんですか? ……ああ、顔は可愛いだろうけど」
「子どもの頃からよく知る子なので。あちらの妻と同時にもらってくれと義父に言われた時は、それほど求められているのかと嬉しくなったのに」
少しふてくされたような彼の隣にて、ユウナギの頭は疑問符で埋まった。
「ああ、平民の夫はいいなぁ。みなひとつの屋敷で、妻同士が共に過ごすなんて」
「ええ? そんなの夫の立場が弱くなっちゃいそう。女は徒党を組むと強いから」
「私なんてすぐないがしろにされるだろうな。でも、それで妻も子も楽しく過ごせるならいいな」
その時またもや部下が彼を探してやってきた。やはり彼にはまだ仕事があるようだ。丞相代理にまとまった休みはない。
「私は執務室に行かねばならない。あなたはどうしますか?」
ユウナギは暦を見る必要もなくなったので。
「えっと、私は、じゃあ奥方に挨拶しようかしら」
「ぜひ彼女とも友達になってあげてください」
柔らかな微笑みを見せた彼は、部下と急いで走っていってしまった。
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