第71話 運命の別れ

 その夜更け、ユウナギは女王の室に来ていた。


「私は絶対に生きて帰ってきます。安心してください」


 女王の面前に座する彼女は深々と頭を下げた。彼女にはこの機にかこつけて、改めて母に伝えたい言葉があった。


「ただ万が一にでも、人の運命とは分からないものだから、一言だけ言わせてください」


 女王はいつものように、穏やかな微笑みをたたえている。


「実母を失くし天涯孤独となった私に、御母様と呼ばせてくださって、ありがとうございました」

「母親らしいことは何もしていませんよ」

「そんな……舞いを教えてくださったし、それに、この女王の住処にいるだけで、私はいつも守られていると思います」


「私がそなたを生んだわけではないけれど、私たちには同じ血が流れています。神に愛された血が……」

 改めて言葉にされ、ユウナギは目頭が熱くなった。


「私を見つけてくださって、ありがとうございました」

「一言では終わりませんね」

「御母様とは、ほんとは話したい事が山ほどあるんです。でもそれはまたにします。私は必ず生きて帰るので!」


 翌朝に備え彼女は、まもなく自室に戻った。





 ここは戦場いくさば。国の東南を出てすぐの平野だ。ユウナギは本営のいちばん奥に座らされている。

 いや、座らされていた。今は立ち上がっている。軽く足を広げ背筋を伸ばし、そして両手をめいっぱい掲げた彼女が、その手に持つものは。


「ユウナギ様。何を広げて、見せつけておられるのですか?」

 見れば分かるのだが、隣の軍事官長はあえて尋ねた。


「あ、王女の証です。女王から発行された」

 先日あの館で使用した王女の証明書を、伸ばした両手で掲げている彼女であった。


「軍隊のみんな、私のこと知らない人も多いと思って。自己紹介ということで!」

「心配御無用です。あなた様が真の王女であると、ここにいる者全員に知らしめてあります」

「そう?」

 ユウナギは安心してその文書を細く畳み、髪の結び目に被せて結んだ。


 軍事官長に緊張感をもって尋ねる。

「戦は始まっているの?」

「始まってはいますが、まだ睨み合いの状況です。幕が上がればそう時もたたず、決着は付きます。しかしこの睨み合いが長い」

「そうなの……」

「訓練された兵ですら、戦場では恐怖に耐えかね逃げ出すのもありふれた事。両軍からそういった者が離脱しきって合戦は始まる。さて、そろそろでしょうかね」


 すると遠くの方から続々と雄たけびが聞こえてくる。幕が切って落とされたことはユウナギにも分かった。そんな中、奥でただ祈っているだけの己に肩を落とす。今までの鍛錬は何だったのだろうと。せめて声を張り上げようにも、とても表までは届かない。


 それから2刻もたたない頃、前線からの、兵士の通達が届いた。

 官長は誇らしげに言う。

「大体片が付いたようです。我々の勝利だ。こちらも負傷者は多いものの、現状死者は確認されていない。これもあなた様の、神の加護の賜物ですぞ」

「私は何もしてないわ……」

「あなた様はそこにおわすだけで。勝利の女神だ」


 気鬱になっているのだろうか、ユウナギは今そのようなことを言われても、次の戦では我が身が、ここにいるみなが滅びると、思い出してしまう。


 この戦が始まる前、決して場は見ない方がいいと言われ、また兵らより目に入らないよう徹底されている彼女は、そこで彼に申し出た。

「戦はほぼ終わっているのでしょ。私、合戦の有り様というものを、一瞬でもこの目で見ておきたい。少しだけ、前に出ることを許して」


 官長は考えた。兄、丞相じょうしょうであるならそのようなことは絶対に許さないだろう。争いが確実に終わり、すべての敵兵が去ったのを確信した後、万全な手立てで王女をこの場から退かせるだろう。

 しかし彼は、王女自ら見たいと言っているものを断る道理はないのではないか、と考える性分だ。この国はかつてこういった戦の末に成り立った。流れた血の重みを、王となる者が知らずにいるよりはと。

 彼はもう一度、戦の状況を念入りに確認した。どうやら終わったと言って差し支えないようだ。

「僅かの間だけです。必ず私の後ろにおいでください」



 ユウナギが立ち上がり歩み始めた時、本営内前衛の兵士たちがひどくざわめいた。官長も何事かと訝しむと、ちょうどそちらの方から兵が通達にやってきた。


 その内容は、巫女衣装をまとう女王が丞相を携え、壮麗な黒馬に跨り、ここへ駆けてきたということだ。


「御母様が……!?」

 それを耳にしたユウナギは脇目も振らず表に出ていった。陣営の前衛を出たら、ちょうど母が軽やかに馬から飛び降り、自分の元へと走り寄る。


「どうしてここへ……」

と彼女が聞くや否や、女王は彼女を真っ向から抱きしめた。母の抱擁は温かいものなのに、ユウナギの心は不安で急激に冷えゆくのだった。


 そこに、近くに倒れていた、死んだと思われていた敵兵の撃ち放った矢が飛んできた。兵士らの驚愕の叫び声が続々と上がる。ユウナギの視界には、矢の羽しか存在しない。


「なん、で……」


 母に正面から覆われた彼女は、その場で膝から崩れ落ちる。が、すぐに意識を取り戻し、力を失いつつある母を両手で強く抱きしめ、声を上げた。


「誰か、医師を……誰か!! 誰か……」


 血の臭いにむせ返る戦場で、その身を切り刻まれたかのような悲鳴が響き渡る。



「助けて──────!!!」




 母にはすべて視えていた。母を庇うつもりで戦場に向かうという娘を受容して。

 娘がどこにいても矢の飛んでくることも、それを自らが庇い死ぬことも、運命をすべて予知して。


────国と私、両方を生かす道を……。




 女王の遺体は中央でもっとも空気の冷たい地下の洞穴に安置され、ユウナギはその傍らで涙を流し続けた。どうして気付けなかったのだろう、どうすれば良かったのだろう、とそればかり。丞相を一度責めた、どうして母を戦場に出したのかと。すると彼も大粒の涙を流しながら、「神が女王に憑依していた。ただの人である私が、どうして神に抗えようか」と悔いるのだった。誰よりも母の近くにいたのは彼なのだ、これ以上何が言えよう。


 戦場から引き上げるにも日を要したので、早く埋葬せねばならない。その前にいち早く即位の礼を行うと、ユウナギはこの日トバリから伝えられる。


「両方の儀を明日執り行うことになりました。この度はこういう事情ですので、即位式は最低限のものとなります。今夜は必ず寝てくださいね」


 涙も枯れ果てた頃、彼に付き添われ自室に戻る。それからは久しぶりに、深い眠りへと沈んでいったのだった。





 朝早いうちから、ユウナギは侍女らの手により特別な巫女装束に着せ替えられ、化粧も念入りに施された。そこにトバリがやってくる。


「非常に美しい。まるで天女だ」

「兄様」

 彼は綺麗に着飾られても肩を落としたままの、ユウナギの手を取った。


「世辞はやめて」

「世辞ではないですよ」

「じゃあ、馬子にも衣装?」

「とんでもない。そうだ、あなたはもう16なのですね。強く美しい、大人の女性だ」

 彼に見つめられ、彼女の虚ろな瞳に光が差した。



 ユウナギは彼に連れられ、式堂手前の控えの間へ。そこで丞相に彼女を引き渡したトバリは、堂の中へ入って行った。

 丞相は彼女に言い聞かせる。即位礼が始まり、女王は神に祝詞のりとを奏上する。そして丞相の手より戴冠する。後はみなに顔を見せれば、参列者が各々女王の即位を寿ことほぐ。その喝采を浴びたら退場して良いと。


 ユウナギは無言で頷き、丞相と共に式堂へと向かうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る