第72話 即位

 新女王の即位式が始まろうとしている。


 そこは実に厳かな場だ。式堂の中には百人近く、外にも多くの者が。こんなにも人の集う処で、物音ひとつない静けさが漂う。


 大勢が見守る中、今、冠が彼女の頭に乗せられた。


 丞相から告げられたようにユウナギは立ち上がり、みなに顔を見せると、堂内外の男たちは一斉に跪く。

 トバリも、ナツヒも、軍事官長も、一族の男たちすべてが一様にひれ伏すその様を、ユウナギは前方の壇上から眺めた。

 この胸のすくような景色を目にしたことで、彼女は己の立場を初めて自覚したかもしれない。自身が大きく見えるようとっさに手を高く前へ伸ばすと、跪く彼らは立ち上がり、各々「女王!!」「おぼえよきよう!!」など声を上げ、その場は歓声に包まれた。


 そこでユウナギは挙げた手を降ろし、深呼吸した。その様子にいくらかの者が気付き、叫びを止める。


「みなさん! 本日はお忙しいところをお集まりいただき、ありがとうございます!!」


 ここで下がって良いと説き伏せておいた新女王が、何やら改めて述べ出し、丞相は固まった。


「またこれから葬儀に参列されると思います、みなさんほんとうにご苦労様です!」


 このように定型文で労ったユウナギは、また一呼吸置く。男たちの声もすべて止み、水を打ったようにその場は静まり返る。


「私には神の声が聴こえます。ここでみなに初めて私からの、神の言葉を伝えたいと思います」


 自分でも声が少し震えていると分かる。しかし声をもっと張り上げれば、きっとばれないだろう、ばれないで欲しい、そう願いつつ。ユウナギは思いを決した。


「先代女王の死出の旅に、侍従侍女を連れていくことを禁じます」


 いったんそこはざわめいた。しかしみな、女王の次のことばを待つ。


「ただのひとりでも道連れにすれば、この国に災いが起こると、神が仰せなのですから。もちろん、私の時にも同じです。以後の女王はすべて、ひとりで旅立ち、そして」


 新女王ユウナギは微笑んだ。


「あの世で友達をみつけます。自力で!!」


 男たちはみな、豆鉄砲を食らったような顔で彼女を見つめる。


 彼女は知っている、いや誰もが分かっている。女王を見送る者らは、道連れなど実際いてもいなくても構わないのだ。ただ初代女王の時代から続く「ならわしだから」そうしているだけ。神の使いである女王の、死出の先すら慮ることで、国の更なる発展をと願う心も間違いではない。しかしこのような犠牲を生むならわしは、人を不幸にするだけだ。


「ここにいる者はみな、神のことばの証人です。よろしいですか!!」


 そこはいまだ静かなる場だが、最前列のトバリがまず、膝をつき敬礼した。それを見た一族の者は続々と同じように、恭順の意を表すのだった。


 それを確認しユウナギは、踵を返し退場した。


 衣装の下でずっと足は震えていて、そこを出てからすぐ女王が、戸にもたれかかり腰を抜かしたなどと、そこにいた者は誰ひとりとて知らぬことだろう。




 その後ユウナギは即位礼の衣装のまま、中央をひた走っていた。葬儀に向かうだろう彼を探すために。


「兄様!!」

 そして見つけて飛びついた。彼は一族の男たちと共にいたのだが、女王のまとう衣の大袖がまるで羽のようで、目の当たりにした者らは精霊の訪れかと度肝を抜かれた。トバリは彼女を抱え、大慌てで執務室へと走ることになったのだった。



 ふたりきりになり、息を切らすユウナギは再度、彼の胸に飛び込んだ。


「ごめんなさい。私、嘘をついた。兄様に、嘘をついてはいけないと教わったのに。確かそれは、兄様から初めて教わったことだったのに」


 彼女はここのところずっと泣きはらして、今も目が赤い。一度自身から彼女を離し、その赤い目をトバリはじっと見つめ聞いた。


「後悔しているのですか?」


 それには横に大きく首を振るユウナギ。


「なら、今回だけは大目にみます」

 そう言いながら彼は彼女を両腕で包み込み、後ろ頭を撫でた。


「ごめんなさい。でも、反省の気持ちどころか、珍しく……自分が誇らしい気分よ」


 彼の胸にある彼女の表情は、ずいぶんと清々しいものだった。






「ええっ!? 亡霊が!? 御母様の!??」


 墳丘墓周辺でもの恐ろしい噂があるとユウナギが聞いたのは、即位式から5日後のことだった。それはトバリより、女王の墓は即位したその時より建設が始まる、という話をされている時分である。


「私は特別に作ってもらわなくても結構よ。兄様と同じ墓に入りたいです」

と言い切ったユウナギを無視するためにナツヒが、この時期により増員している墓守り兵からの報告を提示したのだ。


「おおお御母様はぼぼぼ亡霊などどどにななってせせせ生者にとと憑りつつついたりなななななど……」

 ナツヒはにやりとする。


「先代女王の墓だからって、今、兵らに憑りついてるのがご本人とは限らないだろ。もっと質の悪い悪霊がいるのかもしれないな」


 ユウナギは顔を青くし、声を失った。ナツヒは大方満足したので、閑話休題。


「とにかく、羨道えんどうの方からざっくざっく音がするとかなんとかで、羨門せんもんに立つ兵らが逃げ出したり、気絶したりで仕事にならねえ。まぁまだ4日だから、続くようなら俺が出向く」

 それからついでのように彼は、父親の体調を兄に聞いた。


「丞相、どうかしたの?」

 トバリの言うには、ここずっと丞相の体調が思わしくないらしい。あの時、戦場まで馬に乗ってきたのが信じられないほどだと。そのうえ先代女王をうしない、精神的にも大打撃を受けた。


「もう歳ですからね。以前から仕事もあまり満足に進められず、そういった事情で、まだ11のセキレイに業務を割り当てていたのです」

「そうだったの……」

「ところで。あなたの髪の結び目の、片方にだけ結んであるその紙は何ですか?」

 ナツヒもそれは多少気になっていた。


「王女の証明書」

「「?」」

 兄弟は動きが止まった。


「御母様の形見だから……。御母様の直筆なんてこれしかない、というか、他に何もないし」

「いや、それを髪に結ぶか? そのうちぼろぼろになるぞ」

「大事にしまっておくより、今は肌身離さず持っていたい。これがぼろぼろになる頃には、気持ちの整理もつくかもしれないと思って」

 まぁそういうことなら、と兄弟も納得した。



 ユウナギはトバリから、最近の丞相はもっぱら執務室の一角を自室にして過ごしていると聞き、その夕刻、彼を気遣いに出向いた。

「女王と丞相は、いつでも二人三脚だもんね」


 しかし聞いたところには彼はおらず。今日は自宅に帰ったのかと、そこを後にした。

 だが翌日、兄弟に聞いても、父は帰ってこなかったと言うのだ。ふしぎに思いながら彼女は、この日の暮れ方も執務室を回ったが見当たらず。

「明日……昼間また聞いてみよう……」



 その翌日、ユウナギがトバリに尋ねたのは昼前。またもや彼は父を見ていない。ナツヒに聞いてもだ。これはおかしい。


「さ、探しましょう……まさか誘拐とか」

「それはないと思いますが、一応探してみましょう。ただし現時点では事を荒立てたくないので、少人数で」


 トバリはナツヒに、上方の兵のみに捜索の命を下すよう言った。彼らも中央とその周辺を手分けして探し始め。


 ユウナギも中央の内だけだが、「女王だ、女王が走り回っている」とそこらにいる者らの目を丸くさせながら、必死に探し回る。

 そうしているうちに夕方になった。いまだ丞相は見つからず、ユウナギがいちばん気を揉んでいる。


「そういえば、丞相が最後に私のそばにいたの、いつだったっけ……」

 記憶を掘り起こす。それは即位の礼までさかのぼった。彼は体調不良を抱えていても、その後も忙しく過ごしていたようで。

 彼女が最後に彼の顔を見たのは、即位礼であの宣言をして、そこから下がる時の一瞬のみ。あまりの緊張で、自分以外のことに思いを巡らす余裕がなかった。


「思い出して。あの時の、彼の表情は……」

 強張った表情、思いつめた表情、今思い起こせるのはそういったものだ。


 ユウナギは中央の隅に建つ、兵の馬舎に走った。そこでは二の隊長が馬に跨ろうとするところだった。

「女王、どうなさったのですか?」

「あ、ハヤブサ。あなたは? もし時間が空いてるなら、頼みがあるのだけど」


「私は今から墳丘墓に出向くところです。情けないことに、例の噂のおかげで昼間から逃げ出す守りの者が、複数出てしまって。今から引き締めに……」

「お願い! 私も連れて行って!」

「は?」

「兄様に叱られないように、後でちゃんと対処するから!」

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