第69話 また自分を誇らしく思える日がきっと
ナツヒは思わず片手で、ユウナギの肩を押し出した。
「あぅっ」
よって彼女はだるまのように転がった。
「……突きとばしたぁ!?」
「悪い」
しれっと言った彼は鏡に向き直し、化粧の仕上げを始める。
今のは茶化しで言ったユウナギのせいだが、とことんまで否定して欲しくて若干不満な彼女は口先をすぼめた。
「……でもナツヒ、もうさすがに女装はぎりぎりだね。これが最後よ」
「当たり前だ。二度とやるもんか」
室内もだいぶ明るくなってきた。
「いややっぱり、アヅミやシズハがやってた化粧はもっと自然だったわ」
「できない奴が言うな」
そこで、支度をだいたい終えたナツヒは手荷物から小箱と薬の瓶を取り、手渡して言う。
「これに薬を塗っておいてくれ」
ユウナギが開けた小箱に入っているのは、金印……のように見せかけた銅印だ。
「……血の臭いがする」
「また魔術師があれを失敗して廃棄する分あって良かったな」
「金印の輝きとは色が全然違うけど」
それを金印に見せるために、なぜか青白い光を放つ薬を使うことにしたふたりだった。
「金なんかないから仕方ないだろ。だいたいあそこ昼間で明るいんだから、光なんて見えるわけないんだ。頭おかしくなってる奴が騙されればそれでいい」
「まぁしばらくこの箱の中に閉じ込めておけば、少しは輝きが貯まるんじゃないかな? ……って、あれ……閉じ込め……?」
彼女の脳裏にとある思い出が蘇る。
「薬塗ったらそろそろ兵舎行って、医師と兵を呼んでこいよ」
「うん、行くよ。でもその前に、行くところがある」
「ん?」
「見てないとこがあった!!」
ユウナギはそこを出て、地下に続く階段へと走った。
見る必要がないと思っていた。あんなところ、考える隙もない。だって自分たちは入れられていたのだから、そこにないことは知っている。
あの狭い地下階に、実は。
階段を降り、そこに着いた。
「燈台下暗し……? 本当に見えてなかった」
自分たちが入れられていた手前の牢の奥には、もう一室あったのだ。
ユウナギは緊張感と共に奥へと踏み出した。左手に振り向くと、格子の向こうの、奥の壁に掲げられていたのは。
「美しい……。残る伝説の武器は、長弓だったのね」
艶めかしく弧を描く、赤い弓柄の和弓であった。
ユウナギはその足で森の兵舎に向かい、そこで二の隊長に入手した弓を預けた。次に細かな説明もなしに、医師と護送兵数人を屋敷に連れてきた。
そして4階の階段を扉の内側から覗ける部屋に隠れ、連れてきた彼らも奥に押し入れ待機させている。医師は、急患がいるというお話でしたが……? と、もちろん訝しむのだが、ここは待っててとしか言いようがない。
「あ、来た!」
過去の自分とナツヒが階段を降りていったのを確認し、彼女は急いで医師を引っ張り出す。
殿に入室した医師は負傷したアヅミに応急手当を施した。それから兵らがすぐにも彼女を板に乗せ運び出す。一部の兵はナツヒを目にして、あれ?美女?いや?隊長??という顔をしたが、美女風の隊長に「一刻も早く連れていけ」と美女らしかぬ顔面で威圧され、大急ぎで役目を務めるのだった。
ユウナギは「きっとこれでアヅミは助かる」と期待を胸に、仮の寝室へと走った。
ここで二の隊までも連れてきたことに効力があらわれる。これは主を失ったあちらの護送兵を見張るためであった。ひとりたりとも外出を許さず、
その後、彼女の容体が持ち直したことを確信した医師は、治療の場を兵舎にある寝室に移した。
ユウナギも兵舎で寝泊まりし、しきりとアヅミに話しかけるのだが、彼女はこう呟くばかり。
「消えたい。消えてなくなりたい。情けなくて、恥ずかしい」
その様子にはユウナギもただ思いあぐねる。それでも彼女の手を取り、懸命に説き伏せた。
「日々の中で……何かに必死になっていると、情けないことだらけで恥ずかしいことだらけよ。私なんて本当にそればっかり。でも生きていれば、自分を誇らしく思える日だって、きっとまたあるから。消えたいなんて言わないで」
彼女が今後健常人のように歩くことはないが、矢による負傷は時が立てば癒える。あとは医師の許可を待つだけだ。連れて帰るのは無理ではないが、やはり本人の意思を前向きなものに変えたかった。
「ねぇアヅミ。国に帰ろう? きっと歩けるようにもなる。国に奇跡のような術を持つ優秀な医師がいるの。遠い国から来た、女性の医師よ」
どう言っても彼女は虚ろな目をしたままで、仕草の一つも返さない。
「私、その医師にお願いしたんだ。国の者を育成して欲しいって。女性の人材も育つわ。少しずつだけど国は変わっていけるから、そこに暮らす人々のために。きっと……」
アヅミはただ床から
翌朝、ユウナギが目覚めた時のこと。兵士が慌てて連絡にやってきた。
「え? アヅミがいない!?」
ユウナギは寝室に走ったが、寝床はもぬけの殻。
「ろくに歩けないのにそんな遠く行けるわけない! 早く探して! 急いで!!」
それからまる2日間探したが、結局彼女は見つからなかった。向こうの護送兵の人数も変わっていない。
ユウナギはひどく落ち込んだ。言葉も思いも彼女には届かなかったのだと。もう諦めるしかない。向こう側の兵士も開放し、翌朝、国へ戻ることにした。
その夜中、兵舎の裏庭でユウナギは星を眺めていた。
「眠れないのか? まぁお前は明日、籠の中で寝てればいいけど」
丸太に座るユウナギの隣にナツヒも腰を据えた。ちょうど見張りを交代したところのようだ。
「見張りくらい、下の者に任せて寝てればいいのに」
「俺昼間寝てたんだ。……もういい加減、アヅミのことは諦めろ」
「諦めてるよ。ただ、生きていてくれればいいなって……」
今にも泣き出しそうなその言葉尻に、彼は「しまった墓穴を掘った」と慌てて他の話題を探す。
「あ―、えっとさ。結局、残りの伝説の武器は何だったんだ? 見つけたんだよな?」
「……ん―、秘密。言ったら取られそうだし」
「はぁ?
ナツヒは彼女の頬をつまんで引っ張った。
「嫌だよ―。帰ったら私専用の倉庫で大事に保管しておくんだ」
ユウナギは遅まきながら頬を両手で押さえて守る。
「言えって。余計気になってきたわ。言わないと――……」
ここからはナツヒの意趣返しである。
「夜が明けるまで、俺の好きにするぞ」
「ん?」
「お前のこと」
「……え?」
真顔の彼がじっと目を見つめてくる。
「……?」
ユウナギは少しの間考えた末に、ああ、あの時の軽口か、と思い出した。冗談を冗談で返すのは子どもの頃からの流儀なので、この場は冷やしてはならない。
「ええ、わたくし、あなたになら何をされても――……」
台詞は侍女の談義由来、表情はここでもシュイを参考にしてみた。
すると、彼のわきわきした魔の手が忍び寄る。
「きゃはははは!!」
「言え! そして寄越せ!!」
「やめてやめてくすぐったああい」
「何されてもいいんだろ!」
真夜中に近所迷惑な二人組である。
この後ユウナギが「どさくさに紛れて胸触った!」と騒いだら、ナツヒはあっさり手を引っ込め、好きにするのは即時終了したのだが。
翌朝そこを出立する時、二の隊長の手荷物に、他の武器がしまってあるのとは明らかに寸法の違う包みがあったので、結局、武器種は露呈したようだ。
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