第61話 逃げたい
ユウナギは矢継ぎ早に聞いた。ここはどこで、彼女はなぜ今ここにいるのか、医師はどうしているのかを。
彼女は答える、ここは国の北方の
「ユウナギ様には、本当に感謝の気持ちでいっぱいでございます。今も日々やりがいをもって努めております」
「良かった……」
しかし、もう中央は存在しないようだ。彼女の言う“1年前の戦”で国は破れ、戦地で
「この国は
彼女は想像している。ユウナギが国の末路を知らないのは、戦に出たとされたのは女王の影武者で、本物は国外に逃がされていたからだと。女王さえ存命なら、まだ希望はあるのだから。
「国の民が、虐殺や、奴隷にされたりなどは?」
「個々には様々な問題があると思いますが……そういったことは起きていません。私は、いえ、すべての民は、それがユウナギ様の計らいであると信じております。
ユウナギは彼女に悟られないようにしてみたが手も足も震え、これ以上何を聞けばいいのか分からない。というかそれ以上を知りたくない。
もう、ひとりになりたかった。あとは彼女の今の住処だけ尋ねて分かれ、ゆっくりとした足取りで自室へ戻った。
まだ昼間だが、雨が降ってきたようで辺りは暗い。茫然自失のユウナギは自室に入るなり床に伏せた。先が恐ろしくて、もう元の世に帰りたくないと思いつめ、そのまま眠りに入る。そんな彼女の覗く夢の世界は。
少し成長した、例の美しい娘が黒馬に話しかけていた。
「
娘の馬はそこで優勝した。しかし主催者はその馬が気に入ったと、娘から無理やりに取り上げたのだった。銅貨数枚と共に彼女はその宴の場から追い出されてしまう。12の娘の力ではどうにもならず、彼女は泣きながら家に帰り悲嘆に暮れた。
季節は移ろい、それは激しい雨に加え雷の鳴る日の、暗く寒々しい昼頃だった。家内で働いていた娘は妙な予感がし、外へ出る。するとそこには何本か矢の刺さった瀕死の、彼女の黒馬が横たわっていた。彼女は全力で駆け寄り、叫ぶ。
「死なないで!」
馬は逃げてきたのだった。しかしその時、警備兵に撃たれてしまった。
「ごめんなさい、私があんなところに連れて行ったせいで! なんとしてでも取り返してこればよかった……」
後悔の念に駆られ涙が止まらない。そのとき彼女は馬の話す声を聴いた。そのようなこと、今まで一度だって経験したことはなかったのに。
「あの子を……? もちろんよ、絶対、私が大事に育てるわ。ずっとずっと、あなたの代わりに……安心して!」
馬は我が子を彼女に託し、目を閉じた。
雨がよりひどくなる。
娘は怒髪天を衝く勢いで立ち上がり、その館へと向かった。
館は騒然とした。異様な雰囲気をまとう、まるで雨も、その場に流れる空気をも味方にしたような小娘が、のっそりと侵入してくるのだ。そこの主は家来にどうにかするよう言いつけるが、誰も彼女に近付けない。
そして彼女は主の面前に立ちはだかり宣告する。
「お前は雷に打たれて死ぬ。神はすべてを見通す。天罰だ。これは神のことばなのだ!!」
嵐の中それだけを叫び、踵を返した。
ちょうどその頃、中央では女王が突如、高らかに笑い声をあげた。隣で
その後、館の主は雷に打たれこの世を去った。
ユウナギはとび起きた。その時雨音は激しく、雷の鳴るのが聞こえる。
「……妙な予感がする。胸がざわめく」
慌てて自室をとび出し、ナズナのところへ駆けた。
「まぁ、どうしたの、びしょ濡れになって」
「ナズナお願い、私と一緒に来て! 胸騒ぎがする!」
「え? でも、嵐がきてて……」
「お願い!!」
ナズナは鬼気迫る彼女に逆らえなかった。
ユウナギは、今朝、出向こうとしていた屋敷へ向かって走り、ナズナと夫はその後を激しい雨に打たれながらもついていった。
「!!」
目的地と家の、中間あたりの小道で、3人は気付く。小さい妹が倒れているのに。
「カンナ!!」
ナズナは大慌てで彼女を抱き起こす。そして必死に名を呼ぶが返事はない、高熱にさらされ意識混濁している。
「ナズナ! 早く連れて帰って! 私は医師を連れてくるから!」
夫が妹を抱きかかえふたりは急いで駆け戻り、ユウナギは朝、娘に聞いたその居所へ向かった。
ユウナギは見習いの娘をナズナの元に届けてから、今度こそ、あの屋敷に足を踏み入れようと決意する。
御し難い怒りが、コツバメの時、心の奥底に封印せざるを得なかったものまで相まって、膨れ上がっていくのだった。
雨と強風のなか屋敷にたどり着いた頃には、その髪も衣服もひどく乱雑になっていた。
「所詮継母だもの……実母のようには愛せないでしょう。それでも人の優しさというものは……? 御母様のような、人としての優しさが……あの5つに1つでも、10に1つでもあったなら……」
その時、奥の室から呻き声が聞こえた。
ユウナギはその人物をどうしたいのかよく分からない。罪に問うのか? そんな権限はない。何もかも分からないが突き進み、扉を開けた。
そこにいたのは、異様に憔悴した顔の女だった。目線は合わず、身体をゆらゆら揺らし薄笑いを浮かべている。
「もっと……もっとちょうだい……」
「……っ」
物の怪に出くわしたような、見てはいけないものを見てしまった恐怖でユウナギは尻込みした。
そこで足元まで転がってくる瓶を目にした。こげ茶色のまさに見覚えのある瓶だ。
「まさか……これを全部……」
そのとき初めて女と目が合った。女はこう声掛けながら寄ってくる。
「母様……来てくれたの……」
そして手を伸ばしてくる。
「い、いやっ……」
思わずそれを力いっぱい振り払った。
「わ、私は、あなたの、母様じゃないわ……」
すると彼女は異様にこけたその顔を突き出し、ユウナギをまっすぐに見つめ懇願する。
「どうしてそんなこと言うの母様……私を、抱……」
ユウナギはこれ以上見ていられず、そこから脇目も振らず逃げ出したのだった。
「欲しいのはこんな、幻の幸せじゃないのに……!」
雨と泥でずぶ濡れのまま、ユウナギは帰宅した。そこらの布で身体を拭いているとナズナが、ひとまずは安心した、という様子で話しかけてくる。
「お医者様のおかげで、一命は取りとめたようで……本当にありがとう。あなたが教えてくれなければ、きっと……」
ユウナギも安心した。しかし、ナズナはまたこう続けて涙を流すのだ。
「もう、どこか遠くへ逃げてしまいたい……。誰も知った人がいない、どこか遠いところへ……。死んでしまいたいと思うこともあるけれど、私には家族がいる……。みんなでまたはじめから、生きていくことができるなら、どんなに……」
ユウナギは嗚咽する彼女を抱きしめて、しばらく背中を撫でていた。
逃がしたい。どこか遠くへ逃げて、幸せになって欲しい。
ぼんやりと、幼い娘を逃がした隣国の前王はこんな思いだったのかな、と思い出していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます