第61話 逃げたい

 ユウナギは矢継ぎ早に聞いた。ここはどこで、彼女はなぜ今ここにいるのか、医師はどうしているのかを。

 彼女は答える、ここは国の北方のむら。2年ほど前から7人の見習いは交代で、各邑に実技の修行に出るようになった。大体が中央より南の邑で行っているのだが、彼女は出身がここなので、ということだ。


「ユウナギ様には、本当に感謝の気持ちでいっぱいでございます。今も日々やりがいをもって努めております」

「良かった……」


 しかし、もう中央は存在しないようだ。彼女の言う“1年前の戦”で国は破れ、戦地で丞相じょうしょうの一族と女王は滅したと平民の間では伝わっているのだと。


「この国は大王おおきみの支配下に下りました。人々の移動でまだ混乱の最中ですが」

 彼女は想像している。ユウナギが国の末路を知らないのは、戦に出たとされたのは女王の影武者で、本物は国外に逃がされていたからだと。女王さえ存命なら、まだ希望はあるのだから。


「国の民が、虐殺や、奴隷にされたりなどは?」

「個々には様々な問題があると思いますが……そういったことは起きていません。私は、いえ、すべての民は、それがユウナギ様の計らいであると信じております。大王おおきみとの間にどのような申し合わせがあったのか、我々にはあずかり知らぬことですが」


 ユウナギは彼女に悟られないようにしてみたが手も足も震え、これ以上何を聞けばいいのか分からない。というかそれ以上を知りたくない。

 もう、ひとりになりたかった。あとは彼女の今の住処だけ尋ねて分かれ、ゆっくりとした足取りで自室へ戻った。




 まだ昼間だが、雨が降ってきたようで辺りは暗い。茫然自失のユウナギは自室に入るなり床に伏せた。先が恐ろしくて、もう元の世に帰りたくないと思いつめ、そのまま眠りに入る。そんな彼女の覗く夢の世界は。



 少し成長した、例の美しい娘が黒馬に話しかけていた。

むらの偉い人が、競馬の宴を開くんですって。褒美が出るみたい。私ね、婆様にお米を食べさせてあげたい。いつもより少し厚いものを着させてあげたい。協力してくれる? 私と共にその宴へ……」


 娘の馬はそこで優勝した。しかし主催者はその馬が気に入ったと、娘から無理やりに取り上げたのだった。銅貨数枚と共に彼女はその宴の場から追い出されてしまう。12の娘の力ではどうにもならず、彼女は泣きながら家に帰り悲嘆に暮れた。


 季節は移ろい、それは激しい雨に加え雷の鳴る日の、暗く寒々しい昼頃だった。家内で働いていた娘は妙な予感がし、外へ出る。するとそこには何本か矢の刺さった瀕死の、彼女の黒馬が横たわっていた。彼女は全力で駆け寄り、叫ぶ。


「死なないで!」

 馬は逃げてきたのだった。しかしその時、警備兵に撃たれてしまった。


「ごめんなさい、私があんなところに連れて行ったせいで! なんとしてでも取り返してこればよかった……」

 後悔の念に駆られ涙が止まらない。そのとき彼女は馬の話す声を聴いた。そのようなこと、今まで一度だって経験したことはなかったのに。

「あの子を……? もちろんよ、絶対、私が大事に育てるわ。ずっとずっと、あなたの代わりに……安心して!」

 馬は我が子を彼女に託し、目を閉じた。


 雨がよりひどくなる。

 娘は怒髪天を衝く勢いで立ち上がり、その館へと向かった。


 館は騒然とした。異様な雰囲気をまとう、まるで雨も、その場に流れる空気をも味方にしたような小娘が、のっそりと侵入してくるのだ。そこの主は家来にどうにかするよう言いつけるが、誰も彼女に近付けない。


 そして彼女は主の面前に立ちはだかり宣告する。

「お前は雷に打たれて死ぬ。神はすべてを見通す。天罰だ。これは神のことばなのだ!!」

 嵐の中それだけを叫び、踵を返した。


 ちょうどその頃、中央では女王が突如、高らかに笑い声をあげた。隣で丞相じょうしょうが尋ねると、「やっと見つかった」とのたまう。それも非常に強大な神の力を借る娘だと。

 その後、館の主は雷に打たれこの世を去った。



 ユウナギはとび起きた。その時雨音は激しく、雷の鳴るのが聞こえる。

「……妙な予感がする。胸がざわめく」

 慌てて自室をとび出し、ナズナのところへ駆けた。


「まぁ、どうしたの、びしょ濡れになって」

「ナズナお願い、私と一緒に来て! 胸騒ぎがする!」

「え? でも、嵐がきてて……」

「お願い!!」

 ナズナは鬼気迫る彼女に逆らえなかった。


 ユウナギは、今朝、出向こうとしていた屋敷へ向かって走り、ナズナと夫はその後を激しい雨に打たれながらもついていった。

「!!」

 目的地と家の、中間あたりの小道で、3人は気付く。小さい妹が倒れているのに。


「カンナ!!」

 ナズナは大慌てで彼女を抱き起こす。そして必死に名を呼ぶが返事はない、高熱にさらされ意識混濁している。


「ナズナ! 早く連れて帰って! 私は医師を連れてくるから!」

 夫が妹を抱きかかえふたりは急いで駆け戻り、ユウナギは朝、娘に聞いたその居所へ向かった。



 ユウナギは見習いの娘をナズナの元に届けてから、今度こそ、あの屋敷に足を踏み入れようと決意する。

 御し難い怒りが、コツバメの時、心の奥底に封印せざるを得なかったものまで相まって、膨れ上がっていくのだった。


 雨と強風のなか屋敷にたどり着いた頃には、その髪も衣服もひどく乱雑になっていた。

「所詮継母だもの……実母のようには愛せないでしょう。それでも人の優しさというものは……? 御母様のような、人としての優しさが……あの5つに1つでも、10に1つでもあったなら……」


 その時、奥の室から呻き声が聞こえた。

 ユウナギはその人物をどうしたいのかよく分からない。罪に問うのか? そんな権限はない。何もかも分からないが突き進み、扉を開けた。


 そこにいたのは、異様に憔悴した顔の女だった。目線は合わず、身体をゆらゆら揺らし薄笑いを浮かべている。

「もっと……もっとちょうだい……」

「……っ」

 物の怪に出くわしたような、見てはいけないものを見てしまった恐怖でユウナギは尻込みした。


 そこで足元まで転がってくる瓶を目にした。こげ茶色のまさに見覚えのある瓶だ。

「まさか……これを全部……」


 そのとき初めて女と目が合った。女はこう声掛けながら寄ってくる。

「母様……来てくれたの……」

 そして手を伸ばしてくる。

「い、いやっ……」

 思わずそれを力いっぱい振り払った。

「わ、私は、あなたの、母様じゃないわ……」


 すると彼女は異様にこけたその顔を突き出し、ユウナギをまっすぐに見つめ懇願する。

「どうしてそんなこと言うの母様……私を、抱……」


 ユウナギはこれ以上見ていられず、そこから脇目も振らず逃げ出したのだった。


「欲しいのはこんな、幻の幸せじゃないのに……!」




 雨と泥でずぶ濡れのまま、ユウナギは帰宅した。そこらの布で身体を拭いているとナズナが、ひとまずは安心した、という様子で話しかけてくる。

「お医者様のおかげで、一命は取りとめたようで……本当にありがとう。あなたが教えてくれなければ、きっと……」


 ユウナギも安心した。しかし、ナズナはまたこう続けて涙を流すのだ。

「もう、どこか遠くへ逃げてしまいたい……。誰も知った人がいない、どこか遠いところへ……。死んでしまいたいと思うこともあるけれど、私には家族がいる……。みんなでまたはじめから、生きていくことができるなら、どんなに……」


 ユウナギは嗚咽する彼女を抱きしめて、しばらく背中を撫でていた。


 逃がしたい。どこか遠くへ逃げて、幸せになって欲しい。


 ぼんやりと、幼い娘を逃がした隣国の前王はこんな思いだったのかな、と思い出していた。



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