第59話 御母様の裏の顔?

 あの夢の夜から幾日か過ぎ、ユウナギも気分が多少上向きになってきた。そろそろ茶色の瓶の薬は底をつくが、ツルナは大丈夫だろう。この家にいる限りは。


 そんな頃、ユウナギはまた過去の夢をみる。


 先日の夢の続きだろうか。幼い彼女はまだ泣いて過ごしていた。そのころ理由は分からないが、急に住居を変えることになる。それも「ひとりで」だ。不安に思ったが、母が帰らなくなってまだ二月かという頃、周りの大人たちにも懐いていなく、どこにいても寂しさは同じであっただろう。

 新しく連れてこられた屋敷は以前よりずっと大きく、子どもにも感じられるほど豪華な印象だった。そしてそこの大人に聞かされた。これから永久にここで暮らすのだと。


 数日後、すこぶる美しく、たおやかな女性の前に通された。彼女は見たこともない華美な衣裳をまとっている。

 ユウナギはその女性に見とれていた。そこでまた、自分が彼女の跡を継ぐのだと明かされた。しかしまだ7つになった頃だ。事情は分かっていないのだが、口から出たことばがあった。


「御母様、って呼んでいいですか?」


 その女性はゆっくりと、こう答えた。

「母らしいことは、あまりできないと思いますが、そなたがそう呼びたいのでしたら、良いですよ」


 このような場面をみて、ユウナギは懐かしい思いで胸がいっぱいになる。

「わぁ、お若い御母様、透きとおる水のように涼やかでいらして、7つの私が思わず懐くのも無理ないわ!」


 夢の中の幼いユウナギは、それからすぐに退室した。


「あ――! 母らしいことできないなんて言っちゃった!! 冷たくなかった!? 今の絶対冷たいって思われたよね!? どうしよう!」


「……御母様??」


 夢の中の若い女王は、丞相じょうしょうの袖を掴み早口でまくしたてる。

「今からでも訂正して来ようかしら? でも言ってるコトころころ変えたら、母の威厳ってものが! ここは我慢ね、慕われながらも尊敬されるには、長い目でみたら、やっぱり落ち着いた母親の方が!」


「……?? 御母様? あれ、何だかいつもと雰囲気が違う……」

 この情景がにわかに信じられないユウナギは目をこする。目で見ているわけではないので仕方ないが。


「そう意識せずとも良いのではないですか。あなた様はそこにおわすだけで、慕われ敬われるお方でしょう」

 丞相は彼女をなだめる。


「そうじゃないの! 私だって人の子よ。人として慕われたいの」

「あなた様は神の子でもあるのですから。そしてこの度おいでになった王女も、あなた様と同じ稀有なお立場。誰よりも繋がりの深い間柄ですよ、ご心配には及びますまい」

 二の句が継げない女王は、そこを出ようとした。


「どちらへ?」

「あなたも共に来て」


 そのまま女王は馬舎に来た。たてがみの美しい、立派な黒い馬に歩み寄る。そしてその馬に颯爽とまたがり、中央を出ていった。


「あれ? 御母様って……」


 彼女がやって来たのは大きな墳丘墓の前だ。

「先代にご報告でしょうか」

 丞相も追いついた。


「いいえ、もうそれは済ましているの」

「いつの間に」

「今日訪れたのはね。ここにユウナギの母君も眠っているんですって」


 丞相は驚いて尋ねる。

「それは神からの言ですか?」

「それが、ただ侍女の会話を聞いたってだけよ。不思議ね、母は女王に付き添ってあの世にいってしまったのに、娘は現世で女王になるだなんて。もう少し早く見つけてあげていたら、何か変わっていたかしら。それとも王位に就くまで、見つけられない運命なの?」

「調べてみることはできますが」

「今更言っても詮無いことよ。だから今日は挨拶に来たの、あの子の母君に。ご縁をいただいたので」

 女王は墓をじっと見つめた後、手を合わせた。

「きっと代わりに守りますから、安心してください」


 幼いユウナギはこのようなこと露にも知らない。しかしこれをみた15のユウナギは、矢庭に胸が熱くなるのだった。



 夢は暗転した。幼いユウナギが女王に舞いの手ほどきを受けている。せっかくの天女の実技指導だが、ユウナギはどうやら泣いているようだ。なぜなら女王がすこぶる厳しい。上手くいかないとその部分である手や足を打たれる。

 客観的に見ても思うのだが、女王の指導は抽象的、感覚的過ぎて理解できない。少なくとも7つ8つの子には無理な話だ。


「ここは! こう! こうして! こうなさい!!」

 もう顔も怖い。


「私の授ける手掛かりはすべて聞き入れなさい。役立てなさい。すべてがそなたのためを思ってのものです。無駄にしない様に。さすればきっと、うまくなりますよ」

 ユウナギは心の中で叫んだ。「無理ですっ」と。


「舞いにそなたの怠惰な姿勢が見えるようです。ごまかさない! 楽をしようと思わない!」

「いっいた……いたい……」

 しごかれ続け、小さなユウナギはもう立てない。


 厳しい顔で女王は問う。

「そなたは何かを掴むために、楽で容易い道を行くか、厳しく困難な道を行くか、自ら選べる時、どちらを行きますか?」

「? かんたんな道……」

「安易に前者を選んではいけません」

 天女に威圧され、彼女は声に出した。「無理ですぅ……」と。


「厳しくても危うくても遠回りでも、そちらを選ぶことで、神が力をお貸しくださるのです。信じなさい」


 やはりユウナギにはよく分からなかった。15になっても実は分からない。

 そして小さいユウナギが自室に戻った時、代わりに丞相がそこに入室してきた。彼を前にすると、女王の表情はくるりと変わる。


「ねぇ、私、指導なんて無理よ。みなにはこれだけ舞えるのだから、幼い頃からさぞ厳しい訓練を受けてきたのだろうって言われるけど、実際は力に目覚めた時、神から舞いの才まで授かってしまっただけだもの! それまではただの一度も舞ったことなんてなかったわ!!」

「ユウナギ様にお断りしなかった、あなた様の自業自得でしょう」

「だって、あんなうるうるとした瞳で、御母様に習いたい!御母様でなくては嫌!なんて言われたら! それに他には何も、私に得意なことなんて……」


 これをみている15のユウナギは、あんぐりと口を開けた。

 正直この頃の母は苦手だった。舞いの指導は厳しいし、他で母と触れ合う機会はあまりなく。生活のことや学びを見てくれていたのは、全面的にトバリだったのだ。

 自分はまだ幼かったのだから仕方ないが、見えていないことが多くあると知った。



 そのあたりでユウナギは目を覚まし、朝から妹ツルナと家のことをやっていた。

「カンナはどうしてるだろう……」

 こんなことをツルナはつぶやいた。

「ん? カンナって?」

 彼女の表情は曇る。

「私の妹よ。まだあの家にいるの……」

「えっ?」



 ユウナギは走ってナズナの元へ行き問い詰めた。

「聞いたんだけど、あなたにはもう一人妹がいて、まだ継母の元にいるって…!」


 その時、ナズナの元には見慣れぬ男がひとり来ていた。どうやら彼は以前話していた、元の家の下男のようだ。


「ええ、そのとおりよ……」

「どうして? その子も連れてこないと、もしかしたら同じように」

「今、そういうことを彼から聞いたのだけど」


 この下男は姉妹に良くしてくれている唯一の味方らしい。時々報告にきてくれるのだが、その残された妹の体調も、最近あまり良くないようだ。


「呼び寄せたいけれど……ここで隠れて暮らすのにも限界があるわ。私が手を出すことで、戻った時にあたりが余計きつくなるかもしれない。それにあの家にいれば、そのうち悪くないお家に嫁すこともできる。ここにいたらそんな機会も……」


 彼女は彼女なりに妹のことを考えている。これ以上ユウナギには口出しできない。


 下男の帰り際、ユウナギはこそっと彼に寄って行き、残った方の瓶を渡した。


「これ、もしその子が具合悪くてどうにも困った時に、飲ませて欲しいの。常用はしないで」


 使い方を更に説明し、下男は了承した。ユウナギはやはり不安に思うが、もう片方の瓶はすべて使ってしまっていた。

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