第50話 百万本の野の花を
「どうしたんだね?」
王も周りの人もユウナギに注目した。
「い、いえ、なんでもないです。すみません……」
ユウナギは気付いた。あの真ん中の特別に可愛い娘は、先日紹介された歌姫だと。若干雰囲気が違い、もしかしたら彼女の数年前の姿かもしれない、と感じた。
その娘の歌う詞は、家族の愛を綴ったものであった。
そこで嗚咽が聞こえ、ふとユウナギが隣の王を見上げると、彼は大粒の涙をこぼしている。
「お、王様?」
「あ、ああ、すまない……」
涙を拭いながら彼は言う。
「なんて美しい歌声なのだろう。心が洗われるようだ」
そしてこう続けた。
「あの少女に花を贈りたい。できるだけ大きな花束を」
「えっと、近くに花売りはいるかしら」
「いや、私は手持ちがない。花を摘み、集めてくるとしよう。悪いがここで待っていただきたい」
「え?」
ユウナギは彼の言動にすぐ反応できなかった。その間に彼は情熱を機動力にして、不自由な足を引きずり行ってしまった。
ユウナギにしてみれば、彼のその行動力は驚くべき新事実だ。
まぁ足が不自由とはいえ、いい大人だし、と自分は少し辺りで聞き込みをするべく場を離れた。
王は花を摘んで束を作り、歌姫たちが控えている場に向かった。
したらちょうど目当ての歌姫を見つけ、話しかけようとしたが、彼女は他の娘たちの噂話を立ち聞きしている模様。
王は、無関係の自分が聞き耳を立てるなんて、と分かってはいたが、聴力は失った視力の代わりにかなりのものだったので。
聞こえてきたのはこんな話だ。
今夜はその歌姫がこの
そこで、その噂の本人である彼女が出ていった。
「なぁに? 負け惜しみ?」
話をしていた娘たちは一斉に彼女を睨む。
「力のある男に求められた女の勝ちよ。悔しかったら、あなたたちも努力なさいよ」
言い捨てて彼女は行ってしまった。
王は誰にも見つからない様に、足を引きずりながらも彼女を追う。
そしてその先で、彼女が声を殺して泣いているのを見つけたのだった。
王は元居たところに戻り、ユウナギを見つける。彼女は聞き込みで疲れ、道端に座っていた。
「あ、王様!」
ユウナギも彼を見つけると、花の束を手にしている。渡せなかったのかな、と思った。
「銅貨が欲しい」
「え?」
彼は深刻な様子だ。
「残念だが、彼女を喜ばせるものは、花でなく銅貨のようだ」
「え、えっと……銅貨なら少しはあるけど……」
そう言ってユウナギは、懐から銅貨の入った袋を取り出した。
いつもは持ち歩いてなどいないものだが、この度は夕方からトバリと出かける予定だったので、朝から小遣いを張り切って忍ばせていたのだ。
「! 頼む! 後日絶対に返すから、これを貸してくれないか!」
「え、ま、まぁ、いいですけど……」
一応、今晩必要な寝床と食料は確保済みだった。
この集落は歌劇団のおかげで外からやって来る者が増え、そのための空き家がいくらか建っている。彼女は着けていた髪飾りを差し出し、それを数日の間借りることにしていた。
なので袋をそのまま手渡し尋ねる。
「何に使うんですか?」
「少女を一晩買う」
「えっ、ええ──!?」
またもや王は、あんぐりと口を開けているユウナギをほっぽって、すごい勢いで行ってしまった。
王は歌劇団の団長と副長のいる応接間に来ている。
これであの歌姫を今夜買いたいと、銅貨の袋を差し出した。副長はその額を見て「今夜の彼女には先客がいる」と告げたが、団長は了解した。
そこで副長は団長を呼びコソコソと話す。それでは先方の出す額のが多い、と。
「まぁまぁ。多いといっても少しだけだし、新しくいらしたこのお方が固定客になってくださったら、これからにとっていいのではないかな」
と団長はなだめた。
副長は王の身なりをじろじろ見て「確かに」と、しぶしぶ了承し、先方の説得に行った。
その晩、王は歌姫の寝室に通された。
王は驚く。彼が座り込むなり早速、歌姫は衣装を脱ごうとしたからだ。
彼は慌てて止めた。
「?」
「いや、今夜はよく休むといい。眠くなるまで、夜語りに付き合ってくれたら嬉しいが」
この言葉に次いで優しい微笑みを見せた。
彼女は、何を言っているんだろうこの人は、と面倒くさく思う。その上、どうせやることになるんだから、さっさと終わらせたい、と。
「もしかして、あまりお身体の具合がよろしくないのでしょうか?」
なにせ相手は見るからに老体だ。歌姫は申し訳なさそうに尋ねた。
「それでしたら、私にすべてお任せくださいませ」
と、彼の胸元に手を差し伸べ脱がし始める。しかしそれも即座に止められ。
彼女は困惑した。自分を買って夜話だけなんて客はいなかった。どうせ後で豹変するのだろうと、余計に不信感を募らせる。
むしろ早いところ本性を暴いてやりたくなった。
「それでしたら、お遊びをいたしましょう」
歌姫はそこらから取り出した正方形の紙を1枚、彼に見せた。
「それは?」
「お客様にいただきましたの。紙作りするのがお偉い方の間で、流行っていらしたとかで。でもこんな紙を一枚だけいただいても、私は画も文字もあまりかけませんし」
さりげなく筆や墨も用意している。
「これを同じ形に、9つに分けてください。ちゃんと同じ大きさにですよ。はい」
可愛らしい微笑みを浮かべ紙を手渡す。彼は言われた通り、注意深くそれをちぎった。
そこから彼女は一切れ取り、
「ここに1から9のうち、お好きな数をひとつだけお書きください。私、数の文字なら分かりますから」
と指示をし後ろを向いた。
「書いたよ」
そして後ろを向いたまま。
「では残りの紙に、残りの数を一つずつお書きください。そうしたら全部ばらばらと広げて、置いてくださいませね」
彼は言われるままに全部の数字を書いた。振り向いた彼女はこう言う。
「私、人の心のうちが読めるのですよ」
「はは、まさか」
「本当よ。あなた様が最初に書いたお好きな数、もう一度心に思い浮かべて」
「うん」
「それはこれでしょう」
言いながら彼女は、そのうちの一切れを摘まみ上げた。
「おお!」
どうやら見事当たったようだ。
「これはこれは。どうして分かったんだい?」
「心が読めるんですってば。だからね」
歌姫は彼の真横に座り、こう
「あなた様が今、考えていることも分かるの」
「ふむ?」
「あなた様は、今すぐ私を抱きたいと思ってる」
彼女は程よく近くから彼を、射抜くような目で見つめた。
「……ははっ、残念ながらそれは外れだ。本当に心が読めるのかな?」
彼は彼女から逃げるように、しかしさりげなく身体を離した。
ここまでお膳立てして迫っても本性を見せない初老の男に、なんだか負けたような気分で彼女は少し不機嫌になる。
「分かりましたわ。何でも聞きますから、お話しになって」
「どちらかというと、君の話を聞きたいな」
「私の話? 不幸な身の上話が聞きたいと?」
「いや、君の幸せな話を。そうだ、初めての恋の思い出なんかどうだろう?」
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