第49話 光の国へご案内
翌日は雨も止んで、気持ちの良い天気となった。この日の夕方、ユウナギはトバリと出かける予定だ。
「今日は絶対、雨降りませんように!」
今はまだ昼前、その約束を楽しみに、敷地内の林をぐるっと散歩している。
そんな中、後ろでがさっと音がしたので振り向いたら、先日会った隣国の先代王がふらふらと小幅で歩いていた。
腕を前に出し、一歩ずつ確認しながら踏み出す彼を見てユウナギは、
「王様、私と腕を組んで歩いていただけませんか?」
と声をかけてみた。
「おお、そのお声は、先日お会いした姫……いや、王女ですかな?」
少し話しただけなのによく分かったなと驚いた。なぜならは彼女は気付いたから。
「ええ、ユウナギです」
「ぜひ」
やはり彼は盲目だった。
供の者は? と尋ねてみた。彼は答えた、林の入口で待たせていると。ひとりで散歩がしてみたいと我がままを言ったらしい。
「王様、それはなかなか無茶ですよ」
「まったく見えないわけではないのだけれどね。明るさで外か家内か、昼か夜かくらいは分かる。ただ、あなたのお顔は分からない、残念だ」
ユウナギはそれは昔からなのかと聞く。
彼は、数年前に患った病で視力を失い、それを期に退位したと語った。
「実は目だけでなく、足も不自由なのだ。やはり視力を失ってからというもの、行動が制限されたせいでね」
「それはおいたわしいことです」
「それでもこのような可愛らしい姫君に随伴していただけるのなら、役得というものだ」
「可愛らしいだなんて」
そう言われてまんざらでもない。
「見えなくても分かるよ、私は長く生きているからね」
そしてふたりは小川の近くで腰を落とした。ゆっくり会話を楽しむために。
「私は現役の頃ね、弟を影武者にして、まれにこちらの国に忍んで遊びに来ていたのだよ」
ユウナギは、やはりどこの国の王も、自由に出かけようと工夫しているではないか、と仲間意識で嬉しくなった。
「商人と仲良くなっていろいろな品を買わせてもらった。その頃からあなたの国はよく発展していて、我が国などとても敵わないと分かっていたよ」
「それではそんな私の国と、有事の際には共闘していただけるのでしょうか?」
「そうだね、できれば前向きに考えたいが……」
ユウナギにも分かっている面はある。彼らの国にも東の脅威は伝わっているだろう。ここで安易に我が国と、なんて即答できるはずもない。
「何か、我が国に思い入れあってのお忍びだったのですか? だって王が代役を立てて、なんて簡単なことではないし」
ユウナギはいったん話題を戻してみた。彼のことをもっと知れば、何か良い手掛かりが掴めるかもしれないと。
「そう。実はね、人を探していたのだが……」
「探し人?」
彼は
少し沈黙が続き、話題を大きく逸らしたのは彼の方だった。
「あなたの国には歌劇団なるものが存在するのだね。舞台を後日見せていただけると聞き、家来も楽しみにしているよ」
「ここ10年くらいの歴史の、新しい団体ですが。これから良い方に向かってくれればと思います」
「?」
ユウナギの複雑な気分を、彼は読み取った。
「だって、元々は純粋に演芸のための一団だったと思う。でも今は高官への、娘たちの
徐々に過熱していく彼女に、彼は下手なことは言えない状況となる。もう聞き役に徹するしかない。
「それでも一晩だけの売買よりは、半永久の受け入れ先を見つけられる方がまだマシだから。どちらにしても舞台が娘の品評の場みたいで、納得しかねるけど」
もはやユウナギのそれは愚痴の独り言だ。
「世の常識かもしれないけど、そもそも、男性はよく平気で何人もの妻を囲えるわねって思います。……あ、あなたも王だから、そういう女性はたくさんいるのですよね、失礼」
「私はふたりだ」
「あれ、意外に少ない」
「ふたりでもとても手に負えなかったよ。ひとりで十分だな、妻は」
王はそう言って苦笑いを浮かべた。
その時、地面が大きくぐらっと揺れた。
「! 地震!?」
ユウナギは慌てて立ち上がる。
「大丈夫だから! 落ち着いて! 落ち着いて!」
いつの時代もいちばん慌てているのは、他人に落ち着けと言う人間だ。
「ちゃんと座っていれば、すぐ収まるはず……!?」
慌て過ぎたユウナギはふらっと体勢を崩し、王の方に向かって倒れかけた。
そして王の頭に、ぐっと胸から抱きついた瞬間に、例の、あの感じはきたのだった。
「あ……!!」
────とんで……いっ……ちゃ……
意識がはっきりした時、ユウナギは同じく、先代王の頭を胸に抱きしめていた。
視界には爽やかな木々の景色が広がるが、胸元の苦しそうな彼の頭に気付き、慌てて腕を広げる。
「いやぁ──! ごめんなさいっ!」
とりあえず呼吸に不自由しなくなった彼は、目を見開いた。
「…………」
「大丈夫ですか? 深呼吸してください」
心配そうに顔を覗くユウナギの目を、彼は言葉なく見つめる。
あれ? とユウナギは違和感を覚えた。
「…………」
彼は無言のまま、次に自分の両手を胸元に眺める。そして今度は首をゆっくり回して辺りを見渡すのだった。
「王様、まさか……」
彼の瞳には光が灯る。
「見える……これはどうしたことだ……」
「見えるんですか!?」
「ああ、見える! 見えるぞ……! ここは光の国だろうか!」
彼は溢れる感動で、ユウナギの肩を抱きしめた。
「良かった……本当に、良かったです。……でも」
ユウナギは不安になった。ここは元の林ではない。
またどこか未知の世に飛ばされ、こういったふしぎなことまで起こったのだ。
つまり、この奇跡はここにいる間だけなのではと。
それは勘でしかないが、ユウナギはそう感じるのであった。
「王様、私の話を聞いてください」
彼はユウナギの真剣な目を見た。
「ここは今まで私たちがいた処ではないです」
林の中ではあるが、雰囲気も違い、そばを流れていた小川もない。
「神にかどわかされ訪れた、夢の世かもしれない」
「ああ……きっと夢だろう……。それでもこんな彩り豊かな美しい夢は、幾年ぶりだろう」
王の目には涙が滲んでいた。
「この夢から覚めるまで、あらゆる景色を愛おしむことは、許されるだろうか」
「……ええ。ええ! きっと許されるわ。ここから出て、世の風景を眺めましょ!」
王は立ち上がったが、足まではやはり元のまま。ふたりはゆっくり歩いてそこを離れた。
ふたりが林を抜け、最初に目の当たりにしたのは、ありふれた通常の
人々が行きかい、農作業を進めている。
ユウナギの感覚では、ここはただの田舎の邑だ。しかし王は見るものすべてが懐かしいといったふうで、目を細め眺めている。
しばらく歩いていったら、人だかりができているのにふたりは気付いた。
どうやら舞台が開かれているようだ。集まる人々をかき分け前に行くと、小さな舞台で華やかな衣装に身を包んだ娘たちが舞い、歌っている。
その中心にいて、ひときわ目立つ綺麗な娘をユウナギはじっと見つめた。あの子、見たことがあるような、と。
「あっ!」
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