第47話 きれいかわいいアリジゴク

 その日の夕方、ナツヒは川辺を通って兵舎へ向かっていた。

 そこで川にざぶざぶと入り、流れの速いところへ向かおうとしている女人にょにんを目にする。


「お──い、そっちは危ないぞ」

 声を掛けたが彼女は気付かない。

 近くで教えようと走り寄った頃、彼女が滑って転びそうになった。更に全力で駆け、彼女の腕を掴み間一髪、間に合った。


「危ないって」

「あ……」

 転びかけたせいで彼女の、胸の鼓動が早鐘のよう。


 ナツヒは掴んだ腕をそのままに、流れが緩やかなところまで連れてきて言った。

「お前見ない顔だな。こんなところで何してる?」

「あの、川屋に……」

「川屋? それならあっちだ」

 向こう側を指さす。


「ああ……」

 彼女に川屋がこの辺にあると教えたのは、ここらで働く侍女だ。

 またこれか、と彼女は思った。拠点の南を離れると特に、彼女の職業に偏見を持つ者はそれなりにいて、こういうことは珍しくない。


「ありがとうございます。あなたのお名前は?」

「ナツヒ」

 その時遠くから「姐様~~」と、彼女付き童女の声がした。


「あちらに行きますわ。私はシュイと申します。どうぞお見知りおきを」

 ナツヒがなんともなしにうなずいたのを目に入れて、彼女は川から出て走って行った。




「ナツヒ様!」

 翌日、鍛錬場に向かう彼のところに飛び込んできたのは、歌姫シュイだった。


「あ――……えっと、なんだっけ?」

 指をさしながら問うナツヒ、彼女の名前は忘れたようだ。


「シュイです、シュイ」

「ああ、シュイ。じゃあな」

 早く身体を動かしたくて、すたすた行こうとするナツヒの隣を彼女はついていく。


「ねぇ、ナツヒ様」

「ん?」

「私を身受けしてくださいませんか?」

「身……? なんだそれ」


 目的地に着いた。そこにはユウナギがいて、既に何本も射た後の様子。


「私を妻にしてくださいませんか?」

「へ?」

「あ、おはよう!」

 ユウナギは彼に気付き手を上げ、また弓を引いた。そして中心を射抜く。その一連をナツヒは端から眺めていた。


「今日は調子良さそうだな。だが、やけに舞い上がってるような矢だな」

「ふふーん、分かる?」

 ナツヒは、ああまた兄上か、と予想した。


「兄様とふたりで出かけられることになったので~~。今の私は無敵よ」

「その日大雨で出かけられなくなるに、レンコン3本」

「ちゃんと出かけられて、その先でちょーっと進展があるに、ゴボウ5本!」

 以前、競走で賭け事をやってからというもの、ふたりの間ではちょうどいい遊びになった。


「あの……ナツヒ様」

 そこで彼女をほったらかしていたことには気付いたが、ナツヒは彼女の言葉までは呼び起こせなかった。

 ユウナギは、あ、あの時の綺麗な人だ、と思ったが、このふたりの間の雰囲気が若干なだらかでなく、下手に口を出せない。


「お忙しそうですし、続きはまたで構いませんので」

 彼女は耳元で彼にささやき、その場から退散した。


「友達になったの?」

「いや、そういうわけでは」

 その時ナツヒの裾口からぽろっと、小さい何かが転がり落ちた。

 ん? 何だろ、とユウナギがそれを拾い上げる。


くし。ナツヒの?」

 彼は首を振る。

「彼女のかな、返してくるね」

「ああ」

 ユウナギは彼女を追いかけた。



「ねぇ! あの! 名前なんだっけ」

「…………」

 そして追いついたのだが。


「どうしてあなたが持ってきてしまったの?」

「え?」

 彼女は櫛を受け取り、更にこう尋ねる。


「あなたはあの時、あの場にいらっしゃいましたわね。お偉い方々の中でお働きになっているの?」

「ええっと、まぁ……」

 王女の身分をみだりに明かすなと言われているので、濁した。


「でもお仕事されているようには見えませんし、ご身分の高い方のご家族ではないかしら」

 言い当てられた。


「まぁ、そうね……」

 すると鼻から息を漏らした彼女が言うのは。

「私、そういう女きらい」

「え?」

「いいお家に生まれて、ぬくぬくと暮らしている人はきらい」


 そして彼女は行ってしまった。

 櫛を届けただけなのに、きらいと言われてしまったユウナギは、「え~~~~?」と、しばらくその場で立ち尽くすこととなった。



 そんなこともあったが日は沈み、また朝が来て。

 ナツヒが、ユウナギを中央の隅にある、あまり人の出入りのない広場に誘い出した。


「えっ、なにこれ……」

「罠」


 言われるままついてきた彼女の目に飛び込んできたのは、地面にごろごろと置かれている「仕掛け罠」だった。


 ユウナギは以前、罠にはまって殺されかけたので、その多数の仕掛け罠を前に青ざめ後退あとずさり気味である。


「あれからこっちも、罠の使用を積極的に取り入れてみようってなってな」

 いろいろな種類のそれを考案し、職人に作らせたらしい。


「これを更に改良して、戦のとき足止めに使うとかな」

 見上げたら彼女は、だいぶ後退りして少し遠くに立っていた。


「罠を実験するためには、誰かを罠にはめなきゃいけないじゃない!?」

 ユウナギが遠吠えしている。


「そうなんだよなぁ」

とナツヒはじっと見てくるので、彼女は更に危機感を募らせる。


 それからふたりは、今日も一日忙しいとかなんとか話しながら、すぐ屋敷に戻ったのだが、これを木立の影からずっと見ていた人物がいた。




 その夕方のこと。いまにも雨が降りそうなので、ナツヒは仕掛け罠が出っぱなしだったことを思い出し、台車を持ってそこへと戻った。


 台にいくらかそれを乗せた時、彼は少し向こうの地面にある、三日月の形のような穴に気付く。


「ん? あんな穴、朝あったか?」

 不審に思い近付いてみた。それがだ、その手前の地を踏んだ時である。


「!?」

 身体がふわっと浮かんだかと思ったら、即そのまま直下した。



「いっっってええ……」

 思いがけず尻を強打し、とっさに腰を押さえる。


「わぁい。引っ掛かったぁ」

「…………??」

 見上げると、そこにいたのは手を口に当てくすくすと笑うシュイだった。


「なんだこれ……」

 ナツヒは唖然とする。


「やっとふたりっきりで、お話できますわね」

 暗い穴の中、とても20を超える娘とは思えない可愛い顔で迫り寄る歌姫。


「いや、ちょっと待て! どういうことだこれ……」

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