第45話 エンカウンター
「うわあああ――!! 逃げろおおお――!!」
そこから先は大混乱だ。二十数人が思い思いに逃げ惑う。門はいつの間にか鉄棒で塞がれ、周囲も柵が巡らされている。丘へ逃げ込みたいがその入口には猛獣使いの少年が仁王立ち。
ただ建物の中や陰に隠れたりなどして、猛獣に目を付けられないよう息を潜めるだけだ。
しかし誰にも分からない、これはいつ終わるのか。
「あはははは!! 面白ぇ――!!」
必死に逃げまわる面々を眺め、ワカマルは大笑いしている。というか笑い転げている。
ユウナギは遠目にとは言え、初めて見る虎に震えていたのだが、ワカマルがやっと年相応のイタズラ少年に見えて、少し安心したのだった。そのイタズラが規格外だが。
ただ安心してもいられない。
「ねぇ、虎って、人を食べてしまわないの!?」
焦ってナツヒに問いかけた時、彼が見つけた。混乱の中、ゆっくりこちらに歩いてくる人影を。
それはシズハだった。
ユウナギは彼女に、危ない、逃げてと言いたかった。
しかし彼女はワカマルのところまで事も無げに歩いてきて、言葉を交わす。
「シズハ、ご苦労だったな」
「私は連れてきただけだから」
「一応俺の後ろにいとけよ」
「うん」
そしてふたりのところまで上がってきた。
「シズハ……どういうこと? あの虎は一体……」
「コマルはあの子の大切なおともだちよ。最後の仕上げに、協力してくれてるの」
前話していた、夜に会いに行く友人かとふたりは思い至った。
「ワカマルはまさか、動物と話ができるの? シズハも?」
「う―ん、コマルとだけみたい。私は全然よ。全部ワカマルから話してあるから、言うこと聞いてくれるだけ」
「あの虎とだけ……」
「あの子が赤子の頃、海の向こうから来たという商人から父が買った生きもの……。入手した夜、父は夢でみたって……精霊様がおっしゃるには、あの子にそれを与えれば、その命が続く限り強くいられるのだと」
そこでずっと下の騒ぎを
「あの虎、特定のひとりしか狙ってないな。逃げてる奴ら誰も気付いてなさそうだが。あれは次男だろう? ……ああ、あれを酒に混ぜてたのか」
彼はワカマルがユウナギから取った薬を思い出した。
「しかも、あいつの指令なのか? 追い詰めては逃がしを繰り返している」
「それは、あの虎の手も汚させないってこと?」
「きっとね。気力体力を奪って、絶望をしっかり与えてから、最後に自分でやるの」
「あんな大きな虎が付いている限り、戦いで負けることはないよ……」
「まぁ奥の手は隠しておくものだよな。こういう、ここぞという時のために」
少し時がたった。ワカマルはとどめを刺すため、そろそろ自ら動き出そうとした。
そこに現れ、立ちはだかるひとりの男が。
その男は片手に掴み持っていた、大きな丸いものを、ワカマルの前に投げ捨てた。
上から3人も気付いた。ユウナギなんかは青ざめている。
「あれは、頭……!?」
ワカマルはその男の目を見て、口角を上げた。ちょうどその頃、虎もワカマルの元に戻る。
「お前、あの場であれをまったく飲んでなかったんだな」
ワカマルの物言いには何も応えず、その綺麗な髪の男は彼の前に跪いた。そして請うのだった。
「それはほんの土産です。私をあなたの臣下にしていただきたい」
ワカマルは男の垂れ下がる頭を前にしても、ちょくちょく虎を撫で機嫌を取っている。
しかし、ついにはこう言い放った。
「酒を飲まず、俺の目を搔い潜り避難し、あの騒ぎでも獣に臆することなく状況を見定め、迷いもなく首を取る、か。お前本当にあの兄弟の弟か? ……まぁ、いいよ。できる仲間は多い方がいいからな」
前を見た男の顔は、ずいぶんと晴れ晴れしいものだった。
そしてワカマルは後ろを振り向き、シズハに駆け寄った。彼女は彼を優しく包むように抱き、
「終わったねワカマル。ここはみんなの眠る処だから、墓前に
「うん。うん……!」
ワカマルもシズハを抱きしめ返したのを見てユウナギは、きょうだいの絆はこんなにも美しいのだと感嘆する。
そして自分には血縁の家族がひとりもいないことを、思い出したのだった。
自分の役目はそれなりに果たせた上、そろって無事に終わったことをユウナギは喜ぶかと思いきや、なんだか寂しそうな顔をしているのでナツヒは、一応ここは誉めてやらないとと彼女の目を見る。
だが、ちょうどいい言葉が浮かんでこない。
そんな彼を見たユウナギは、噴き出した。
「?」
「ナツヒ、衣装は脱いだのに顔が女のままで変だよ」
ユウナギはやっと笑った。
そして化粧を落とそうと衣服の裾で彼の顔をごしごし拭いたら、紅が顔のあちこちに伸びて、それを見てまた噴き出した。
「……もう勘弁してくれ」
「あははは。あなたもお疲れ様!」
そして彼らは家路についた。
翌朝、ユウナギとナツヒは寝坊した。
朝から精力的に働くシズハのところに顔を出したら、ワカマルは昨夜知り合った男に誘われ、散歩に行ったと話す。
ユウナギは、本当にその男は信頼できるのか少々心配で、探しに行くことに。
しばらくそこらを周り、林を抜けたところで話をしている彼らを見つけた。ふたりは林の奥から様子を見ることにする。
見る限りでは、彼とは意気投合しているようで、ワカマルはずいぶん楽しそうだ。
彼を連れてワカマルは旅立つのだろうかと、思いを馳せる。
そしてしばらくすると彼らは腰をあげ、山への道を行き始めた。
なのでユウナギがそれを追うため林を出ようとしたら、何を踏んだのか、つるっと滑ってそこに転んだ。
「おい、お前本当によく転ぶな」
ナツヒは彼女に歩み寄る。そして起き上がろうと仰向けになった彼女の、
「あ、そこ、滑……」
この言葉を聞くと同時にやはりつるっと滑り、彼女に覆いかぶさるように転げるのだった。
「「いっっった!!」」
同じところに着地するのだから、思いっきり頭と頭をぶつけるわけだ。互いに火花が散った。
しばらくふたりは重なり倒れたまま、声にならない声を上げる。
「わ、悪い、大丈夫か?」
まずナツヒがなんとか正気に戻り、肩だけ起こし彼女を気遣う言葉をかけた。
「だい、じょう……ぶ……おもい……」
ユウナギは目を開けつつ返事をする。痛みが少し和らいだら、今度は自分に乗っかっている彼の重さがツラい。
そこでふたりは目をぱっと開けた。
なんてことだ。相手の顔は目と鼻の先だし、組み敷いているし、組み敷かれているのだ。
「…………」
「…………」
それはどのくらいの間だっただろうか。
「あっ」
ふやけた声を上げたのはユウナギだった。
「えっ?」
このナツヒの上擦った「えっ?」の後に続く言葉は、「俺なにもしてない……」だが、声にならず。
なぜなら、同時にユウナギが彼の両肩を両手でがしっと掴んだから。
「あれが……きた!」
「あれ?」
ユウナギは固く目を閉じて彼の背中に手を回し、しがみついた。
「!!」
こうしてふたりは、誰に挨拶することもなく、そこから飛び去ることになったのだった。
ユウナギはゆっくりと目を開けた。するとそこには天井がある。
「……あっ」
自分の状況に気付き、しがみついていた手を勢いよく離した。
「ナツヒ、重い」
そこで彼も我に返り、二の腕を立てる。
「あ、ごめ……」
再び至近距離で目が合って、またもや彼は固まってしまう。先ほどもそうだが、一瞬で汗が大量噴出する衝撃だ。
その時、戸を開き入ってくる人の気配がしたので、そのまま両人揃ってバッと振り向いた。
「私の寝床で何をしているのですか、あなたたちは?」
ふたりは目を見張る。
「兄様……。まさかここは」
「兄上の寝室?」
ほどなくこの事態に気付いてしまったユウナギは、とっさにナツヒを突きとばしトバリの元へ駆け寄った。
「な、なにもしてないっ。なんっにもやましいことはっ」
手を振り首を振り弁解に力を注ぐ。
なぜだろう、本当のことを言っているのに、ユウナギのそれはものすごく嘘っぽい。
トバリはその様子を、冷たい目でじっと見つめる。
「向こう半年、遠出は禁止です」
「そんなぁ!」
突きとばされたナツヒは、それを横目に見ながら起き上がった。
「兄様、土産はないけど、土産話はいっぱいあるの。あっちで話しましょう!」
とにかく気まずくて早くこの場から立ち去りたいユウナギは、トバリの背中を押して出ていった。
それをぼーっと眺め、ナツヒはまた大きな溜め息をつくのであった。
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