第44話 月夜のセクハラ

 その頃ユウナギは、にじり寄ってきた男を追い払うように、ほこを振り回していた。それを酔っぱらいはひょひょいとかわしてしまう。


 当たり前だ。ユウナギは脚を狙いたいのに、そこを視界に入れることができないのだから。ただ闇雲に武器を振っているだけだ。


 彼女は心の中、全力で叫んでいた。

「酔っぱらいなんて最低だ!! 気持ち悪い!! 本っ当──に気持ち悪い!!!」


 その酔っぱらいは彼女をおちょくり、腰を振って小躍りしている。


 そのうちユウナギは、「ちょっとくらい見たって。大人のそれは見たことないけど、5歳児のより大きいってだけでしょ。とにかく攻撃が当たらないと」と考えた。

 相手は丸腰なんだからこちらが有利に違いないし、一度向こう脛にでも当てれば動けなくなるだろう、と思った。


 恐る恐る前を向く。そしてぼんやりその全身を目にしたら、彼女は……


「ぷっ……あはははははは!!!」


 盛大に噴き出したのだった。


 これが止まらず、

「きゃははははは!!!」

涙を流して大笑いしてしまう。


 それを一度ぴたっと止め、「なんで笑ってるの私――!!?」と、今度は自問自答の波に飲まれていった。


 「だってこんなにも気持ち悪い、心の底から気持ち悪い」と思っているのに、少し視界に入れただけで、笑いが止まらない。こんなことは初めてだ。


 当たり前すぎて気付きもしないが、中央にいる男たちは品が良いということだ。


 とにかくもう視界に入れなくても、脳裏の写像だけで笑えてしまう。何が面白いのかも分からない。もしやそれは強力な笑い茸ワライタケではなかろうか。


 そこにもうひとり男がやってきた。

 どうやら兄弟のひとりのようだ。二人は何かをこそこそと話し、なぜかもうひとりも脱ぎ始める。


「……もうそれ間抜けすぎるでしょう」


 珍しく怒りが頂点に達した彼女は、まずその脱衣中で隙だらけの男の肩をめがけて、ほこを振り落とした。


「ぎゃああああっ」

 男は倒れもがく。


 そして逃げようとした半裸の男を追い、すぐそこの大木に追い詰め、鉾を突き立てた。

 すると男はそのまま吐いて気を失った。


「はぁ。一応、計画通り」


 そのとき油断したユウナギに、先に倒したはずの男が背後から、がむしゃらに襲い掛かる。

「!!」


 しかし間一髪という時に男は悲鳴を上げ、また倒れた。見るとそのももに短刀が刺さっている。


「大丈夫かユウナギ!!」

「ナツヒ!」


 ナツヒが向こうから走ってきた。彼は篝火かがりびを消しに戻るため、この男を途中で殴って一度は気絶させたが、思いのほか男は覚醒が早かった。

 着慣れない衣装で、ナツヒも動きづらいのだ。


 そして動けなくなった男をもう一発殴って昇天させ、縄を掛けた。


「遅くなって悪かったな」

「まったく平気」

「手こずらなかったか?」

 彼に他意はないが、事実ユウナギは手こずったので大口を叩けない。

 ぷいっと横向き、

「ほんとはちょっと不安になった」

と独り言を言ってみた。


「こっちの奴も縛るぞ。……って、なんでこいつ履いてないんだ?」

「だから安心できなかったのよ。私の腕の問題じゃないわ」

 ナツヒは怪訝な顔をする。


「だって、見せつけてくるから……」

「ほ――ぉ? ……切り落としておくか」

「えっ、それはやめてあげよう?」


 しょせん酔っぱらいのしたことだし、とユウナギは意外にも寛大な気分になった。役目が果たせて気持ちに余裕ができたからだ。


 ふたりは捕らえた男たちを引きずり、宴の場へと戻り始める。




 その頃、門前にはシズハの姿があった。夜空に浮かぶまん丸い月を見上げ、彼女は話しかける。

「もうすぐだね」




 引きずってきた三男四男はそこらに放置し、ふたりは扉を開いた。ユウナギはほんの少し前までワカマルを心配していたのだ。


 そんな彼女の目に飛び込んできたのは、まるで電光石火のごとく閃く太刀筋に、胴体から離れて浮かぶ男の頭だった。


「!!」


 窓からの月明かりでワカマルの姿もあらわになる。その時ユウナギは、宣言どおりかたきを討ち取りたたずむ彼を、これは戦の神なのではと見た。


 ナツヒは荷台に置いた松明たいまつに、急いで火を付ける。


「ひっ……ひいぃぃぃ!!」

 兄の無残な遺体を目にし、喚き声を上げて飛び出し逃げていく次男。ナツヒがそれを追おうとしたが、ワカマルは止めた。

「あれもお前の敵じゃないのか?」

「まだいい。後で必ずやる」

「後で?」


 ユウナギはワカマルの元へ走り寄る。が、その前にずべっと転んだ。足元に血が流れてきていたのだ。

 血しぶきにまみれたワカマルが彼女を引っ張り起こした。

 ユウナギは血を見てぞわっとしたが、彼にとにかく伝えたかった。


「あなたは本当に、やる男なのね」

「なんだ、惚れるなよ」

 声にはならないがユウナギは笑った。


 そこでナツヒが聞く。

「ここにいたのは3人だったよな。あとひとりはどうした?」

「そういえばいないな。奴も逃げたか?」

「さっきの飛び出していった男は、どうするの?」


 ワカマルは言う。入ってきた門近くに雇い兵の舎がある。逃げた男は絶対にそこの奴らを全員連れて出てくる、と。


「だから、下に降りて迎えられよう」

「下で戦うのか? 何人かは知らないが、多勢を相手に?」

「問題ない。でもお前たちはとばっちりをくらわないように、俺の後ろにいろよ」


 ユウナギとナツヒに彼の真意は分からないが、これは最後まで彼の復讐劇なので、言われるまま従うことに。



 上の建物から少し急な坂を下り、その途中、3人は小高い処で気付くことになった。

 ふもとにはいくらかの松明たいまつを掲げる者が集まり、灯っている。


「ほらな、大勢呼べばどうにかなると思ってんだ」

「ここからどうやって切り抜けるの? しかも奴だけを殺るのよね?」

 後ろからユウナギは尋ねる。


「いいから、このまま降りるぞ」

 まだ下に降りきってはいないが、ワカマルに気付いた次男は威勢を張り、何かを喚いている。

「おうおうおう、やっちまえええ!!!」

というところだけ、ユウナギには聞こえた。

 

 次男を囲む兵たちは呼応して、おおおう! と声を荒げる。それでもワカマルは突き進むので、ユウナギもナツヒもただ付いていく。



 その時である。

 後ろから、ガルルルル……と地を這うような唸り声が、そこにいるすべての者の合間に響いたのだ。


 彼らはみな驚きそちらを振り向いた。そしてざわざわと騒ぎ出す。


 そこにいたのは大きな大きな、黄金色の毛並みに黒い縦じま模様の入った、それは恐ろしい生きものであった。

「も、猛獣だあああ!!」

 各々が叫び逃げようした結果、そこには道が出来上がり、それはワカマルへと歩み寄る。


「虎……!!? 本物の……」

 恐れで声が震えるユウナギをナツヒは即、自身の後ろに回す。


 そんな彼らの緊張にはお構いもせず、ワカマルは手を振り、猛獣の元へと走って行った。


「よく来たな、コマル」

 ワカマルはコマルと呼んだそれの身体を優しく撫でる。


 この情景を目にした者らに戦慄が走り、誰一人微動だにできずにいる。自分だけ逃げ出したらむしろ目立って狙われるのではと、その場の全員が頭の片隅で考える。


 そして彼は猛獣に言うのだ。

「お前の獲物はどれだか分かるな? 任せたぞ」


 言葉を受け、それは首をゆっくりと回し、者共を見渡す。


「さぁ、行け!!」


 その号令により、一歩、二歩、と準備のように、猛獣は歩み始めたのだった。

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