第35話 はじめての(ほっぺに)チュウ

「よもぎ?」

「そう。ここからまっすぐ北に、あなたの足なら8千歩も行くとそれの多く茂る野原がある。そこで籠いっぱい摘んできて欲しいのだ。よもぎは分かるな?」


「ええ。草花のことはあまり詳しくないけど、よもぎならよく知ってるわ。任せて」


 医師は言う。山には危険が多い。時に死と隣り合わせだとも。


「そ、そうよね。けもの出るかな」

「そこは私がしばしば行く道だ。念のため小刀は持っていくが、大きなけものと出くわしたことはない。ただ道はなかなか険しい。用心に用心を重ねておらねば……」

「大丈夫、気を付けます」


「これを持っていけ」

 そういって医師は手のひらに乗る、鉱石でできた針が入っている小箱を渡した。


「これは?」

「方位針という。この針の指す方が北だ。必ずこれをまめに見ながら行け、道がまともにないからな。あと貴重品だから落とさぬように」


「へぇ、これは絶対北なんだ。すごい便利。……はい。指す方にまっすぐ、8千歩ね」

「この遣いをしかと果たしたら、あなたの要求を受け入れてもいい」


 ユウナギの表情は希望に満ちた。

「本当!?」

「まぁ、もうそろそろ約束の期限だ。前向きに考えよう」


 すぐさま方位針を手に、彼女は勇んで出かけたのだった。




 トバリが下のむらから帰ってきた。見回しても屋敷にユウナギの姿がない。彼はまず医師に尋ねた。


「彼女にも遣いを頼んだ」

「どこへ?」

「山の奥だ」


 トバリは不審に思った。この屋敷のまわりならともかく、更に上って行けば安全な場であるわけがない。今すぐ探しに出たいが行き先の見当がつかない、彼女に教えてもらわねば。


 そこで彼女を見つめると、不敵な笑みを浮かべていた。いや、彼にはそう見えたのだ。


「教えてください。どこへ何をしに行かせたのか」

「よもぎを取りに行かせただけだ」

「よもぎ?」

「しかし、伝えた処にそれは生えていない。生えているのは……」

 彼は嫌な予感がして、彼女を問い詰めた。



**


「あなたはわざと彼女にそんなところへ!? 医師でありながら人の命を、壮健を、無為に弄ぶのか!」

 そこに怒号が響く。


「あらかじめ彼女には未知なる山中の恐ろしさを忠告したし、彼女も分かっているようだった。あとはいかに注意深くいられるかだ。山の中では当然だろう」


「“あれ”を知らなければ、どうしようもないではないか!」


「なぁ? あなたはいい年の男のわりに、ずいぶん鬱屈としたものを抱えているようだ」

「は?」

「それだけできる男なのに、もったいないことだな」


 彼には何のことを言われているのか分からない。


「さすがに山の中で“あれ”を口に入れることはあるまい、命を落とすほどでもないだろう。しかし“あれ”の根の毒に当てられて、彼女の可愛らしいお顔がただれでもしたら?」


 そのように挑発され、膝から崩れ落ちるような思いだ。


 医師は続ける。

「誰にも咎められず、あなただけが彼女を囲むことができる」

「なんてことを……」


「私は医師だから、兄妹のつがいは勧められぬが」

「彼女と私に血の繋がりはない」


「そうなのか? それならば何も、あなたたちを隔てるものはないではないか」

「私はそういった感情でっ……」

「ないことはないだろう? 好意の返報性というやつだ。あの子はとても可愛いな。甘やかしてやりたい気持ちもわかる。“あれ”の毒で意識障害を起こし、どこか身体に不自由が残れば、やはり世から隠してあなたが永遠に世話をすればよい」


「私はあの方を不幸にしてまでそのようなこと、一瞬たりとも望んだことはない!! 一体彼女はどこへ……」


──バサッ…。よしずを除ける音がそこに。

 普段はごく冷静沈着な彼が、声を張り上げ感情をあらわにしたその時、戸が開いた。


「どうしたの? 兄様の大きな声が聞こえたのだけど……」

「ユウナギ様……」


 トバリは慌てて彼女に走り寄った。そしてどこも異常はないか確認する。彼の手が指が、少し震えていることにユウナギは気付いた。


「私は特に……何度か滑ったり転んだりして、衣服破れたとこに少し怪我したけど、全然平気」

 顔も衣服も泥まみれになっているユウナギは、まず医師に歩み寄り報告を始めた。


「あの、ごめんなさい……。よもぎは取って来られなかった。見つけられなくて」


 医師はまだ黙ったままでいる。


「ちゃんと言われた通り、北に8千歩行ったの。信じて? でもそこに生い茂っていたのは、よもぎみたいな……よもぎではない草」

「ほう?」

「そっくりだったけど、なんだか違って。あの独特な匂いもなかったし、近付くのも怖いような、異様な感じが……よく見たら毒々しい色の花も付いてた、それはきれいだったけど。よもぎの花はもっと、小さくて目立たないもんね」


「まったく触れてはいないのですね?」

 トバリがいまだ焦りを顔に浮かべたまま確認した。


「うん。だからそこから先は行けなかった……もしかしたらその先にはあったのかもしれない。今回の遣いは失敗……」


 ユウナギは遣いもできないのかと自分に落胆するが、また新たな課題を出してもらうより他ない。


「これ、道中で拾ったの。どうぞ」

 言いながら、本来よもぎが入るはずだった籠をそのまま渡した。


「……栗?」


「たくさん落ちてたから。栗の花のことばは“贅沢”なのよ! あ、知ってる? 花にはそれぞれことばがあって……」

 実は魔術師の言葉を覚えていたので、他の花ではなく栗なのだ。なぜなら人は“贅沢”が好きだから。というユウナギのちょっとしたひょうきんなのだが。


「この花のことばは、“合格”、だ」

「え?」

「今、私が考えた! 私も流行りの先端を行く乙女だからな」

 医師は大きな口を横に開いて白い歯を見せた。


「さぁ、中央へ出向く準備をしようか。翌朝早くに出発だ」


「……でも、私、遣いをしかと果たしてないけど……」


「よもぎを取ってくることがしかと果たすことだとは、私は一言も言ってないぞ」

「へ??」


「これは山道を1万6千歩散歩して土産を持って帰ってくる、という遣いだ」


 ユウナギはきょとんとする。


「行かないのか? 永遠にここで下働きをしていても構わないが」

「! 行きます!!」

 ユウナギは喜色満面で、トバリに抱きついた。


 すると彼は、医師が明後日の方を見ているうちに、瞬く間、ユウナギの頬に唇を当てた。


「は? はいいいい!??」


 ユウナギにはいったい何が起こったのか、地震雷火事台風ほどの衝撃だ。


 医師はユウナギの叫びに気付いて振り向いたが、ふたりの雰囲気が生温くなっていただけだった。


「ほんの“合格”祝いです。つまらないものですが。3週間よく頑張りましたね」

と優しく言ったなら、彼は口の周りに付いた砂を払い落す。


「私たちはせんせいの準備を手伝いましょう。その前にあなたは顔を洗ってこないと」

「は、はいっ……」


 その後、彼女の左頬だけ砂が落ちていなかったのは言うまでもない。






。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。


よもぎに似た草 = トリカブト ⇒ 猛毒 のつもりで書いていますが

顔がただれるとは? 身体まひとは??(猛毒なんだから即死やろ…)

ってなるので、これはあくまで“ファンタジー世界のトリカブト”ということでなにとぞ。

一応、お岩さんの盛られた毒が、トリカブトの根の毒という説で、そのイメージです。(まぁ四谷怪談もファンタジーですし)

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