第34話 ここに、欲しい

 翌朝から、怒涛どとうの下働き業務を課せられたユウナギとトバリ。


 医師はまんざらでもないようだ。

 普段日課の3分の2を占めている家事雑事を奴隷ふたりにやらせて、自分は一日のすべてをやりたいように過ごせる。


 ふたりは家事や食料確保奔走ほんそうに加え、医師の研究手伝いで休みなく働き、1日が終わるとその慣れない役目でくたくたになっていて、屋根裏に戻った途端倒れるように寝入った。


 それを3日も繰り返すと、医師は理解した。


 トバリがものすごく助手として使えることに。

 機転が利き、簡潔に指示を出せばこちらの要求以上にこなす。元からの知識量も感心できる。何より手際が良い。


 ユウナギも手先の器用さは悪くないが、比べたらその能力は平凡だ。


 したがって仕事内容に差が出てくる。はっきり言って下働きはユウナギだけの仕事になっていった。


 トバリにそれが納得できるわけもない。しかしユウナギは、医師に何も言うことのないよう彼を牽制けんせいした。


 この屋敷はどうやらふもとから歩いて2刻程度の山の中に建つ。まれに患者が運べる状態であれば、やって来るのだとか。

 それ以外にも医師が自ら山を下り、3つのむらで定期診療をすることでかてを得る。


 7日たったら、邑を周るのに3日間という周期でやっているのだという。



 ふたりはやがて医師に付いて、3つの邑を周った。


 医師はどのむらでも、それはそれは熱心に歓迎されていた。医療なんてものは依然として眉唾まゆつば物なのだが、この医師は十分な信頼を得ている。


 邑の民がその評判をあまり広めないようにしているのは、他から人が押し寄せてくるのを好まないためだろう。


 途中の休憩時にトバリは邑の役場を訪ねた。お忍びというのを装って。


 そこで役人に暦を確認したところ、ユウナギの見立てで間違いはなかった。ふたりともことに安心する。




 こうして10日が過ぎた。


 ユウナギにはまた下働きの1週間だが、先週より身体が慣れてきた様子。


 ある夜、先にあがったトバリが屋根裏の窓から月を眺めていたので、ユウナギはその隣に座った。

「お疲れ様です!」

「お疲れ様です」

 ふたりは笑顔を見合わせた。


「ああもう、本当に疲れたなぁ! 指の皮がぼろぼろしてるわ。でも民はこれが普通なのよね」

「私があなたの分まで働けたら良かったのですが、なにぶん身体がひとつしかなく。不甲斐ないです」

 彼は大真面目に言う。


「私も働くことに意味があるの。残りも頑張りましょう! それに私この生活、案外気に入った」

「?」

せんせいの前では兄妹を装うために、私に様付けしないことにしたでしょ。めったに呼んでくれないけどたまにね、ナギって呼ばれると、やってるのも家の事だし、なんだか兄様の妻になったような……ってやだもう!」


 赤くなった頬を手で隠し足をばたつかせるユウナギに、トバリは苦笑いをする。


「あ、ちゃんと仕事はやってるから。まぁ思い出したりしてても、手は動かしてるから!」

「ユウナギ様」

「ナギって呼んで」

「ナギ様」

「もう!」

 トバリは真剣な顔で切り出した。


「どうやってここに来たのか、何がどうなっているのか、説明願えますか」

「……そうね、そろそろ話さなきゃと思ってたの」


 ユウナギは、神の導きで時を超え、然るべき処へ飛ばされるようになったと話した。

 ナツヒと2度、その移動をしたことも。その内容や、ナツヒの現状を引き起こした出来事は帰った後で、彼も含めて話し合いたいと伝えた。


「つまり、あなたはとうとう未来を知る力を得たのですね」

「そうはいっても今までの経験からだと、私はそれを森や林の中でしか。私をいざなう気まぐれな神は木々に宿っているのね。それに、どうにも思い通りにはならない」


 ユウナギが自嘲気味に言ったその時、トバリはぐっと彼女を抱き寄せた。

 その大きな手は髪に触れ、後ろ頭を包む。


「本当に、良かった……。あなたは今まで苦しんでいたでしょう?」

「兄様……。兄様は嬉しい? こんなまともに扱えなくても、私が力に目覚めて」

「ええ、もちろん」

「あなたが嬉しいなら、私も嬉しい」


 でも心は複雑だ。この力を失わないために、永遠に人と結ばれることはないのだから。


 嬉しいと言う彼に対しても、悔しく思えてくる。


「じゃあ、お祝い欲しい」

「お祝い?」

「こ、こ、に」

 そう自分の頬を指で突っつきながら目配めくばせした。


「あなた初日に、何もしないと言ったでしょう」

「私じゃないの! 兄様がするんだから。これもだめなの? 5歳の子どもでもやってるのに」

「5歳でやってましたか? あなたは」

「やってたかもしれなーい。近所の男の子と~~」

と言ったらユウナギは、頬を突き出して目を閉じた。トバリはもちろん溜め息をつく。


 たったこれだけでもユウナギの心臓は激しく打ち付けているのだ。だってこれすら拒否されたら立ち直れない。


 その場は沈黙が続く。


 ユウナギが、やけに待たされるなぁと思ったその時、頬に触れた。何か、べたりと。


「ひゃっ」

 べたっとくっついてきたから、何だ何だと目を開けたら。


「土偶?」

 目の前に土偶。


「これ、どこから?」

 さすがのユウナギも呆れ顔になった。片手に土偶を掴んだまま彼は答える。


「ここは物置なので。すぐそこに積んでありました」

「そう……」

 ユウナギは泣きそうになった。


 これは仕方がない。彼女は知らないのだ。男は歯止めが利かなくなる生きものだ、ということを。


「代わりに今夜は、私を敷物にして寝ても構いませんから」


 そう言いながらトバリは壁にもたれ両腕を広げるので、ユウナギはそこに飛び込んでうずくまった。


「むしろ寝にくいですか?」

「そんなことないよ」


 ユウナギとしては、なんでこれは良くてあれはだめなの、と納得いかず。でもきっと唇は特別なの、と落ち込んだりもする。


「早く寝てくださいね」

「寝たらその辺に転がすつもりでしょ。敷物の職務怠慢よ?」

「そんなことしませんよ」


「温かい……」

 この腕の中は、初めてのぞいた空間みたいだ。


 男女は全身で触れ合うと、溢れる自分の鼓動が相手の心をその拍子で押し出し、波に乗せる、加速させる。だから人は抱き合うのだ。想像でしかないけれど。


 でも自分は永遠にここが限界。そう実感すると、鼓動は急激にしぼんでいく。


 それからすぐにユウナギは寝ついた。やはり疲れているには違いなかった。




 2度目のむら訪問も終えて帰った翌日のこと。


 医師がトバリに、昨日むらで診た患者の薬を、山を下り届けてほしいと頼んだ。


 ユウナギは一緒に行きたがったが、彼が馬に乗って移動した方が早いので、ということだ。


 ユウナギは子どものころ練習中に落馬したので、以降それは敬遠していた。

 帰ったらやっぱり馬乗れるようにしようと思いながら、その日も懸命に家事にいそしむ。


「そろそろ3週間……。せんせいが納得いくほどの役目は果たせたかなぁ?」


 そこに医師がやってきた。


「ナギ、あなたにもつかいに出てもらいたいのだが」

「あ、はい!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る