第32話 私が医師を連れてくるから、待ってて
ふたりは期待を胸に抱き、医師の次の言葉を待った。
「かれこれ十数年も前のことです。私は一度だけ、奇跡の医術を目にしました」
彼の話すには、とても信じられない術を持つ医師が、この国に現れたのだと。
きっと遠くの国からやってきたのだろう。彼女はこの国の者とは容姿も言葉も違った。
しかし驚くべきはその手腕だ。誰もが諦めた若い命を救った。
「彼女は患者の身体を開き、中に触れ、正常に戻し、そして開いた部位を縫い合わせた」
ふたりはそれを聞いて、言葉が出なかった。
「そして患者は無事、命を取りとめたのです」
「そんな、身体を開くって、切るってことでしょ? 死んでしまうわ」
「だから信じられない。奇跡です。しかし彼女はたどたどしい、覚えたばかりのこの国の言葉で話してくれました。彼女の生まれた国では、これを“手術”と呼び、少なくない医師が日々研究し実践しているのだと」
信じられないことに変わりはないが、ユウナギには
「しかし、十年以上前のことなのだな?」
トバリが尋ねる。
「その医師に会ったのはそうです。ただ、その医師が南の
「すぐに噂の出所を調べよう」
ユウナギは不安だった。噂の真偽ではなく、一刻も早くその医師と接触したいと思う。
その時、医師が弟子に任せているナツヒの様子を見にいくと話したので、ユウナギも同行しようとした。
しかし医師はそれを止める。
「ナツヒ様は先ほど、今は誰にも会いたくないと仰せでしたので……」
彼女はそう聞いて、少なからず動揺した。
医師はもちろん王女がより高位だと分かっているが、患者の気持ちを何よりも優先したいと言う。
「今は気持ちが高ぶっている時でしょう。また落ち着いたら、彼のところにいきましょうね」
「……はい……」
その後トバリは部下に、
それをまだ隣にいるユウナギがどのくらいかかるのか尋ねたら、彼は成果の
「そんなに……。ねぇ兄様、これは呪いなの」
そんなことを急に言われても、返答に困るトバリだった。
そういえば先ほどもそのようなことを、と彼は思い出した。
「不幸に陥る呪い……聞いた時は不幸、すなわち死だと思ってた。でもこれってきっと心に作用する呪い。使用者の未来を断ち、絶望の淵に
「気を楽にしてください。話がよく見えませんが、何もあなたのせいではない。ナツヒの行動による結果のすべては、彼自身に責任がある。彼はもう大人なのですから」
「でも……調査隊の帰りが早くて3週間。それはあくまで調査。本当に見つかるかも分からないのでしょ。運良く見つかったとしても、それからまたどれだけかかるの? 医師をここまで連れてきて、治療してもらうには」
「そして治るまでには? どれだけ時間がかかったとしても結果治るのであれば、それは最上級の恵みといったところでしょうね」
「それまでずっとナツヒは苦しいままなの? もしかしたら、永久に……」
明らかにユウナギは焦燥感に駆られている。
それを見てトバリは、また彼女が向こう見ずな行動に出るのではないかと危惧した。
「あなたも旅から帰ってきたばかりでお疲れでしょう。ゆっくりお休みください。……また以前のように、こっそりどこかへ行ってしまうようなことは、よもやありませんよね」
「え、えぇ……」
彼は表情も優しい口調も優しい、しかしそれがこういう時は余計に怖い。ユウナギの負けだ。大人しく自室に戻ることにした。
その夜、ユウナギはまた医師に打診したが、やはり面会謝絶とのことだった。
半日しかたっていないのに、寝床でどう気分が変わるというのだ、と分かってはいるものの、この事態で彼女が気長になれるわけもなかった。
いてもたってもいられず、夜明けの少し前、彼女の持つすべての銅貨を胸に忍ばせ自室を出る。
中央外れの車庫に向かうつもりだ。夜が明け出てくる、仕事を始める誰かに馬車で南へ連れていってもらおうと。
敷地内を出、早道を抜けるために林へと飛び込んだ。
その頃だ。後ろから足音がする? と振り返った瞬間、強い力で手首を捕まれる。
声を上げそうになったユウナギは、今度は大きな手で口を塞がれ、恐怖で固まった。
「大声を上げると、物の怪が出てきますよ」
「……兄様」
彼女の行動などお見通しなのだ。もちろんひそかに見張りが付けられていた。
「さぁ帰りましょう」
「いや! 私が南に行くの!」
珍しく表立って反抗するユウナギ。
まるで
「残念ですが、あなたにできることはありません。中央で大人しく待つ以外に」
「それでも! 私も探す! 私が医師を連れてくる!!」
手を振り払いたいが、大人の男の力にはかなわない。
なんとか引っ張ろうとして、彼が手加減してるせいで多少は前進するが、負けると分かっている
トバリがそろそろ持ち上げて帰るかと思った頃、ユウナギは一時静止した。
「どうか、しましたか?」
「兄様……まずい……離れて」
「え?」
「あれが……くる!」
ユウナギは迫りくる強風を感じ、彼を自身から突き離そうとした。が、遅かった。
そのままふたりは強風に煽られ、その林の中から姿を消したのだった。
恐る恐るユウナギが目を開けてみると、そこには呆けた顔のトバリがいた。彼女の手首を掴んだままで。
彼のその珍しく呆けた表情に、ユウナギは胸がぎゅっとした。この瞬間を、
対してトバリはすぐ、周りの景色が変わっていることに気付いていた。何だか自分の身体が浮かんだような気がして、その直後視界に何もない瞬間を経ての、この景色だと。
「ここは? 今は夜??」
彼が林に入った頃、空は白み始めていたというのに、見上げるとそこには美しい夜空が広がっている。
そこは木々に囲まれているが道になっているようだ。彼に見とれていたユウナギも辺りを見回してみた。
「あそこに見えるのは、屋敷?」
暗いが、少し遠くに灯りが見える。ふたりは足早にそこへ向かった。
トバリは驚きで何も言葉が出ない。ふたりで元いた林と違う場にいる、という不思議なことが起こった。
ここはどう見ても山の中で、目の前には大きな屋敷が建っているのだ。
そして彼は気付く。隣のユウナギは意外にも、慌てる様子がないことに。
「ここはさっきまでの林じゃない」
「どういうことですか?」
「私たちは神の恩情で、その運命に必要な処へ導かれた。……はず!」
「神? ……もしかしてユウナギ様、あなたは」
「そこにいるのは誰だ?」
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