第27話 古代に論ずる女の権利

「……あなたに何ができるの。可愛がられてるだけのお姫様のくせに」


「だからあなたの力が必要だって言ってるんじゃない。説得力のある女性が」


 アヅミは気持ちの上で負けているのだろう、とっくに目を逸らしていた。


「そんなの無理に決まってる。男のが腕力のある事実は変わらない……身体の造りが違うもの。女は子を生み育てるだけで、一生のほとんどの時間を費やしてしまう。何十年たっても何百年たっても、たとえ国が変わっても、男は女を支配し続けるわ」


「たとえ何十年後や何百年後は無理でも、何千年後は変わっているかもしれない、私たちが今から始めれば!」


「…………」

 アヅミは思い出したことがある。国の外に出る前、王女を尾行してた頃の思いだ。


 齢10の自分にも、努力してきたなりの自尊心はあった。

 その自尊心が芽生えた頃だ、間者の道に葛藤を抱えるようになったのは。


 この生まれ育った地から引き離されることを、理不尽に思わないわけはない。

 しかし両親に反発するのも無理だ。そのように育てられている。


 誰なら聞いてくれる? 誰なら理解してくれる?


 父を動かすことができるのは女王しかいない。でも女王と対面できる機会などありはしない。


 ここは修行に利用している王女の屋敷。その屈託のない少女は、いつか女王になるお方。

 今は己と同じ、幼すぎる、何の権限もない少女。


 もしこの方が分かってくれたなら……そんな夢想を抱いた瞬間が、確かにあった。


「……何それ、途方もなさすぎるわ」


 アヅミはそう言って苦笑いをした。


 彼女は悪意なく笑うととても可愛らしいのだ。ユウナギは少しばかりの手ごたえを感じる。


 もしかしてもうちょっと頼み込めば付いてきてくれるんじゃないか、などと期待が持てた。


 しかしそこで、侍女たちのとある会話を思い出す。


 どういう流れでか覚えはないが、侍女の一人が言ったには、人との関係は「押してダメなら引いてみろ」。


 ユウナギが割り込んで解説を求めたら、まず積極的に頼みごとをして、次に「やっぱりもういいです」と引き下がると案外聞いてもらえる、ということを、もっともらしく話されたのだ。


 ユウナギの心の木簡もっかんに記されている文言の一つである。


「あなたに川へ落とされた時……」

「急になによ、恨み言?」


「それを言いたいのもやまやまだけど。うっすらと聴こえたの、両親のことが嫌いだと」


 ユウナギは「押して引く」を実践するため、いったん話題を変え、アヅミの話を聞くことにした。


 もう少し彼女の真意を引き出したいとも思ってのことだ。


「それは丞相じょうしょうが、実の娘なのに過酷な任務を課して国外に出したから? 母君が幼いあなたに、修行を強要したから?」


「母には、生まれた時から愛してもらえてなかったの。人が生まれて最初に受け取るはずの愛情をもらえなくて、それが何なのか知らないのよ」


 アヅミは話し始めた。

 彼女の母は、トバリナツヒの母も、血は丞相一族とそれほど近くはないが親族の娘で、現丞相とは幼馴染だった。

 年頃になり、姉妹ともが彼に嫁したが、姉の方は元より彼と恋仲だったようだ。


「母は愛されたくて仕方なかった。だから男児を生みたくて、でも叶わなくて、生まれた私を使える間者にしようと躍起になったの。そんな母親、慕えると思って?」

「それは……」


「父は一の方だけを愛していた……。あのね、私とナツヒは生まれが1年も違わないの」

「うん?」


「一の方は、兄とナツヒの間に子をひとり死産した、私の母も私の前に男児をふたり生んですぐ亡くしている」


 これはよくある話だ。近場で婚姻関係となる高位の家内では特に。


「ナツヒと私の生まれた後も、ふたりの妻は2度、子を身ごもり……まぁそういうのすべて、侍女たちのおしゃべりで知ったのだけど。私の母はいつも、姉のそれから1年と開けずに、まるで後を追うように子を生んでる……。つまりね」


 ユウナギはただ静かに聞いていた。


「父は母を、最愛の方の代わりに使っていたのよ」


「あの人が……そんなこと……」

 思いもしない告発に悲しくなる。ユウナギにとって兄弟の父親である現丞相は、“気のいい親戚のおじさん”といった人だ。


「そんなこと、一族の長にとっては当然の権利であり自由であり……些細なことだわ。でも私は女だし、あんな母親でも……娘だから、そういう父を心が拒むのは、どうしようもない」


 思った以上に根が深かった。


「じゃあ私が嫌いなのはやっぱり、妹みたいなつもりになって、あなたの兄たちと過ごしているから?」


「まぁ甘やかされて、何も知らずにぬくぬく過ごしてるってことは、あの頃から想像ついたから、それはね」


「わ、私だって、鍛錬で毎日吐いてた時期もあったけど!」


 なんて言ってるあたりが甘いのだ、というアヅミの顔。こちらはわりと単純な話だった。


「どちらかというと、あなたよりナツヒに対して、複雑な思いがあるわ」

「ナツヒ?」


「歳の近い、父を同じくする、鏡の中の自分のような男子……彼は予言により、隊を率いる兵士としての未来を保証された。知ってる? 一族の男子は赤子のうちに、女王から託宣をたまわるの」


「そうなんだ? トバリ兄様も託宣で?」

 アヅミはうなずく。


「あの頃、ナツヒと私はいつも仕合ってた……あの頃は互角の勝負で、きついけれど楽しくもあった。でもそのうち気付くの。彼は表に出て、人をまとめ認められる仕事をする人。なのに私は……。実力差があるとも思わない、男と女っていう違いだけ。でもそれは太陽と月ほどに違う……」


「月も美しいわ。それに月は星々の統率を任されているのよ、太陽より子分がいっぱい!」


「それ、あなたの個人的な考え方? ……とにかくナツヒは妬ましいの。だから王女を助けられず、すごすごと国へ帰り処刑されるがいいって思ってた」


 そこまで聞き、「あっ……これは、両親にナツヒに国の機構にと、宜しくない因縁だらけのところに帰ろうだなんて、ずいぶんな無茶を言っている……」とユウナギは実感し、しょぼくれた。


 そこは閉ざされた空間で、ほこり臭さに少しむせる。ユウナギは空気を吸おうと窓際に寄ろうとした。


 アヅミは尋ねる。

「どうして窓からなんて馬鹿げたことを? 落下の記憶も鮮やかでしょうに」


 率直に馬鹿と言われ、ユウナギは苦笑いだ。落下はあなたが実行犯でしょと言ってやりたかった。


「だって扉は見張りがいるか、鍵がかかってるかと思って」

「見張りなんかいないわ」


 アヅミは這って扉の前に移動し、少し重い扉を押し出した。


「ほら、誰もいないし鍵もかかっていない」


 それにはまったく拍子抜けなユウナギ。


「私は自力で脱出できないし、外から侵入者が来てもついていかない。あるじはそれを分かってる。人員を見張りに割く必要もないの」


「じゃあ鍵は?」


「殿への扉にはふたつ、ここはひとつの錠前が付いているけど、みな鍵なんて使い慣れてないのよ。面倒で活用なんてできていないわ」


 持ち腐れではあるが、使用したことがないものを暮らしに取り入れることは、やはり難儀である。


「でも人によるというか、兵や侍女の中には鍵の存在を知って以来、施錠しないと気が済まない、という者もいるの。たまにそれで一悶着よ」


 アヅミがユウナギに、扉から向こうを覗き込むよう促した。


「あちらの欄間らんまから、薄明かりが見えるでしょう? 主が侍女を集めて楽しんでいるのよ。だから見張りなんて付けられない。男の兵なんてもっと遠ざけられているし」

「らんま?」


 壁上部にある格子窓のことだとアヅミは教えた。ここも扉の上はそれのようだ。


「だからいつでも堂々と戻れるわ」

 言いながらアヅミは書の棚にもたれた。


 ユウナギは、暗に早く出ていけと言われているのかなと気弱になる部分もありつつ、まだまだ粘る心意気も新たにした。


「よく見えないけど、ここにはかなりの書があるよね」

 手触りで確認してみる。


「あっ痛っ」

 棚を覗きながら横にずれていたので、ここで何かにぶつかった。


「これは、梯子はしご?」

 手触りで確認してみると、ふたつの木の梯子が支え合うように重なっている。


「それは脚立きゃたつ。一本だけの梯子と違って、そこに乗ったままで高いところの書を読むことができるの。でも梯子と同様に移動可能よ」


 いろいろな発明品があるのだな、と感心しながらそれをどかした。


 その時、先ほど侵入した窓の横の壁に、うっすら目に飛び込んでくるものがあった。


 ユウナギは妙に気にかかり、それに近寄る。


「これは……弓……?」


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