第26話 囚われの姫を助けに来たのに拒否されてます…

 外はもう暗い。


 ユウナギは両腕を室内にねじ込み、壁に引っ掛け自分の身体を固定した。


「お願いアヅミ。格子を外して。外れるんでしょ?」


 アヅミは片足で這って、窓際まで来た。


「なぜ……。何しにいらしたの? ご存じのとおり、私は片足が不自由なせいで、力がうまく入りませんの」


「そんなタマじゃないでしょう! 片足でなんとか支えて立って! 早く!」


 暗くなって体力も減り、ユウナギは苛立っていた。王女ならではの我がままが炸裂する。


 アヅミも大概失意の中にいて、今更歯向かうという気にもならないようだ。格子を捻り外したら膝をつき、また足を引きずりながら奥へと戻っていった。


 ユウナギはまず杭に引っ掛けた綱を外し、拳を握った右腕をナツヒに見えるよう曲げ、合図を送る。

 それでナツヒもとりあえずは安心した様子。


 そして室内に跳び入り、命綱を外したら窓の外へ落とした。


「……それで、どうしてここへ? わざわざ窓からお越しくださったけれど、茶も出せませんわよ」


「あなたが寂しそうだったから会いに来たのよ」


 アヅミは目を丸くするが、暗がりでユウナギにはよく見えない。


「どうしたらそんな見当違いを口にできるの? ……でもよく私がここにいると分かりましたね」


「あなたの涙に見えたの」


 不可解な物言いにアヅミは聞き返す。


「白い何かがここからはらはらと落ちて……。そう、あれは紙よね? あれ何だったの?」


 昼間破って捨てたあれを見られたか、と彼女は合点がいった。


「……あれは……あなたの国が所望した、“港譲渡書”よ」

「ん?」

「それを破り捨てたの。だってもう和議はなくなった……必要ないものでしょう?」


 ここでのアヅミの表情はもちろん高圧的な、勝ち誇ったものだが、やはりユウナギにはあまり見えない。


 顔がろくに見えず話すのも物足りないので、立っている窓際からユウナギは、彼女の方に歩み寄り座った。


 そしてあっけらかんと言う。


「なにそれ?」

「はぁ?」


 アヅミは度肝を抜かれた。


「まだ思い出していないの!? 何のために来たの……よく使者なんて任せられたわね」


 そんなふうになじられ、ユウナギはこの和議で、金印と何かを交換すると説明されたことを思い出した。


「ああ……何だったっけ。港?」


「ここから北へ山を越えると、大王おおきみの所有する港があるわ。港とその辺りの土地、一帯に住む民も今ある船も全部付けて、あなたの国へ譲渡するという、大王の手形付き証書よ」


「それは金印と引き換えにする価値のあるもの?」

「あなたの国がそう考えて提示した条件でしょう?」


「大王にとっては金印を手に入れるため、その港を手放すのは問題ないってことね」


 アヅミは、大王が北から下り勝利し続けたがゆえに、広い領地を持ち、他にも港を所有していることを話した。


 それを聞いたユウナギは、我が国には海がないので、未所持ゆえの切望というものもあるのかもと想像する。


 しかし、しっくりこないのも確かだ。


 そのユウナギの様子を見て、アヅミは漏らす。彼女は馬鹿らしくなったのだ。


「嘘よ」

「えっ?」


「お望みの品を破られたなんて聞いたら、もっとこう慌てふためいて、悲嘆に暮れてもいいものを……。その反応はこれっぽっちも面白くない」


 ユウナギはあんぐりした。

「そんな反応が見たくて破ったの!?」


「だから嘘だって言ってるでしょ?」

「ん?」

「破り捨てたのは譲渡書じゃないわ。別にそれを破る理由ないし」


 ユウナギは彼女と対話するのに、自信を失いかけた。


「じゃ、じゃあ、何を破ったの?」

「恋文……」


 その頃ユウナギは目が暗闇に慣れ、室内に並ぶ棚に置かれているものは、沢山の書だと気付いた。


 アヅミは話す。ここは書斎なのだと。かなりの蔵書がある。一部はアヅミが持ち込んだ物のようだ。


 そして、あるじの妻から送られてきたふみも、この書斎の棚に置かれていたと。


「あんなことされてもまだあの男が好きなの!? あんな男、全然尽くす価値ないよ!」


 腹立たしい思いを隠せないユウナギだった。


「何に価値を感じるかなんて、人それぞれでしょう? 私は彼の、怠惰で卑怯で利己的で強欲で、それをちっとも隠そうとしないところが大好きなの」


「……分からない、全く分からないわ。誠実で清潔で思いやりがあって、穏やかで博識で向上心に溢れた人がいいに決まってる」


「そんな男願い下げよ。まぁ、他の誰にダメだとか止めろとか言われても、止まらないの。どうしようもないわ」


「それは分かる」


 そこでふたりは初めて、揃って笑った。


「ねぇアヅミ、一緒に国に帰ろう? 処刑はさせないから。王女の権限で……そりゃ私の権力なんて、信用できないでしょうけど。ナツヒにだけ黙っててもらえば……」


「彼に国への裏切り行為を強要するの?」


 ユウナギは黙ってしまった。そこにつけこむようにアヅミは言葉をたたみかける。


「嫌よ。処刑が怖いからではなく、想い人がどうというのでもなく、あの国には帰りたくない」


 その声から静かな憎悪が伝わる。


「どうして……」


 アヅミは言う、この隣国での彼女の立ち位置は女官だ。


 この国では以前から、数はもちろん少ないが、女が官人として働くことが認められている。


 ところが我が国はどうだ。女王という最高権力者以外、牛耳る者はすべて男。


「有能だと認められた一族の女は、有能ゆえに間者という高度な役割を与えられ、国の外へ送られる。それはその女を利用しつつも国の中枢から追い出す、一石二鳥の慣例」


 アヅミはユウナギの顔に、己の顔を近付けた。より強く言葉を届けるために。


「女王は神の使いだと崇め、軟禁しておけばいい。女王の機嫌を損ねない様に、他の女たちには力を与えず、唯一の女だと満足させておく。そうして女王という偶像を利用し、男たちは権力を欲しいままにする。優秀な女を恐れながら。そんな狭量な男たちに支配されてきた国よ」


丞相じょうしょうは……兄様はそんなことない」


「あなたも兄にとっては十分、都合のいい女王になるでしょうねぇ」


 ユウナギは取り付く島もないと心が折れそうだ。

 こうも考えが凝り固まった相手を説得するだなんて経験は、まったくない。


 彼女の思考はその経験に裏打ちされた確固なもので、自分に優しいから、などというふんわりした理由以外に根拠のないユウナギに、彼女の心を揺さぶる力があるわけない。


 しかし、そこで諦めていたら世話がない。


 ユウナギはこの焦燥感を力にしようと、声を張り上げた。


「そんなに自分のこと有能だ優秀だ言うのなら、国に帰って国を変えようよ!」


 その両手でアヅミの頬を包んだ。より強く瞳で訴えるために。


「その狭量な男たちより仕事ができて、国をより良くできる自信はあるんでしょう!? ……変な男に入れ込まなければ」


 余計な一言も言ってしまったが。


「私が国を統べる王なら、有能な人をそばに置きたい。努力家で実直な人がいい。性別の差なくね」


 ユウナギはアヅミの目を見つめて、一瞬たりとも逸らさなかった。


「だから私を助けて。国を変えよう、一緒に」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る