第25話 囚われの姫を助けに
そのつぶやきを耳にし、あ―「あそこへ突撃する!」とか言い出すんだろうなぁ、とナツヒは思ったが、寝た子はむやみに起こさない方針により、自分からは口にしなかった。
「あそこに行く!」
あ―寝た子は一瞬で起きるよな。これはナツヒの心の声である。
「あの手がアヅミとは限らないだろ」
「負傷してるけど、一応人質の価値はあるから殿にいるはずだし、もしかしたら閉じ込められてて救援を求めているのかもしれない」
「あいつは助けを求めるような奴じゃないし、あんなところから一時的に物を投げても、誰にも気付かれないことくらい分かる。お前の推測は雑過ぎる」
「でも現に私たちは気付いた。神のお力添えがあるのよ」
ナツヒはこういう時だけ神を出してくる彼女を小憎らしく思うが、上には逆らえない中間管理職なので大人しく従うことに。
「しかし、扉から堂々と入るのか?」
「閉じ込められてるならさすがに、見張りがいるよね。正直、今はあの男に見つかりたくない……怖い。だから、あの窓から入るしかないかな!」
早々に無理だと知って諦めるがいい。これもナツヒの心の声である。
殿の左側は足場がほとんどない。壁に掴まる凹凸もない。到底無理だ。
「あそこに直角の杭が出てるだろ」
そうは思っていても、手掛かりを示してしまう彼だった。
「あそこ?」
ユウナギは彼の指さす窓を、目を凝らして見た。
「ん―? ……あ、窓際の上から何か出てる」
「で、そのまま山の方に視線を持っていくと、木々の中から塔が出てる」
「うん」
「その塔からも、同じような杭が出ている」
「それはさすがに見えないな」
山に生える木々の中から、明らかに人の手による物であろう塔が頭を出していた。
「有事の際、あの杭同士を綱で結んで、逃走経路にしていたんじゃないか?」
「川の上を綱渡り?」
ユウナギの顔は青冷めた。
「訓練された人間ならなんとか、ってとこだ」
「じゃあ山の方から綱を投げて杭に引っ掛けて、振り子のようにして飛んで行って……」
「そのまま川へざぶーん。それか崖にぶつかってどかーん」
「ですよね……」
ナツヒは言う。窓の杭と橋の欄干を綱で結べば、それを伝って行けるかもしれない。
しかしそこは4階程度の崖。
「落ちたら今度こそ助けは来ないぞ」
「怖いけど……下を見ないようにすればいけるから!」
下を見なくても落ちる時は落ちるんですけどね、とナツヒの心のツッコミは忙しい。
ユウナギは今朝の倉庫に彼を連れて行った。蓄えられている大量の縄やら綱やらを拝借するために。
ナツヒは長く丈夫な綱を手に取った。
「本当にやるのか? 心だけいくら強くあろうと、杭が劣化していて壊れたら落ちる。それに、あそこにいるのがアヅミであろうとなかろうと、侵入の際、突き落とされる可能性もある」
考えるほど不安要素だらけで、彼は踏ん切りがつかない。
「男がぐじぐじ言わないの」
「ぐじぐじじゃない!」
「命綱も用意して」
そこで二人分の綱を彼が手にしたのを見て、ユウナギは言った。
「あ、私ひとりで行くから。あなたは崖縁で待ってて」
「あぁ!?」
ユウナギは彼を連れて行っても、すぐ彼女に手を上げそうで、はなから共に行く気はなかった。それに女同士で腹を割って話したい時なのだ。
「万が一落ちたら、命綱で私を引き上げて」
そう手のひらを合わせるユウナギに、ナツヒはもはや溜め息しか出なかった。
擦り対策に指に巻く布など、いろいろと用意する間に、ユウナギは彼にこう切り出す。
「無事に国へ帰れたら……私に近接武術を教えて?」
しかし彼がそんなことを受け入れられるわけがない。
「護身用の
「女でもアヅミは男と対等に仕合ったって!」
「あいつは特別。3つの頃から、
「古武術?」
彼が説明するには、それは腕力ではなく気合いを力にして戦う術で、達人は白兵戦、遠戦問わず応用できる。
彼女は幼い頃よりそれを叩き込まれていたというのだ。
もちろん一朝一夕でどうにかなるものではないし、それの師はもう存在するかどうか分からないとのこと。
「でも、その頃は確かに師がいたんでしょ?」
ナツヒの語りは続く。それをどこからか連れてきたのは彼女の母親だと。そしてその師はいつの間にか姿を消した。
「アヅミの母君……ちょっとだけ話を聞いたわ。あなたにとっては叔母にあたる人よね」
「俺は子どもの頃、幾度か見かけたくらいだ。言ってしまえば永遠に会いたくない」
「あなたの亡き母君とそっくりだって聞いたけど」
「顔はよく似ていたが、人間がまったく違う。雰囲気が異様で恐ろしい」
ナツヒは言う、子どもながらに感じた、蛇のような女だと。
「蛇……」
ユウナギは今朝、相対した
「とにかく、このままじゃいざという時……」
「まぁ、もっと射手としての腕力を上げて、その上で接近された場合の短剣術というのなら、考えなくもない。さぁ崖へ行くぞ」
すでに夕方になっていた。
綱の先に輪を作り、ナツヒは左腕でそれを杭に向かって投げた。綱のもう片方の先を橋の欄干に固く結び付け、命綱も用意した。
「命綱、かなり長いからな。これが必要となる時は相当怖い思いするぞ」
「まぁでも、一度落ちてるからね。ほとんど意識飛んでたけど」
「俺はここで待ってるわけにもいかないな。お前が無事侵入したのを確認したら、また川屋の奥に戻る」
そして夜が明ける直前にここへ迎えに来ると言った。
「でもどうやって戻ってくるつもりなんだ?」
ユウナギの提案は、渡り綱も命綱もいったん欄干の元に置いておき、夜が明けたと同時に同じ手順で仕掛けるというものだ。
一抹の不安はあるが、それしかないと彼も同意する。
「本当にあいつに対話の意思がなく、人を呼ばれなどしたらどうするんだ?」
「彼女は手負いだから、力づくでどうにかする」
事実ユウナギをひとりで行かせることに了承したのは、アヅミがほぼ動けないことを見込んでのことだった。
ユウナギは綱に捕まり一歩目を踏み出した。下を見ない下を見ない、と念じながら。
一応申し訳程度の足場が存在するので、横にずれながら進んだ。綱を掴んだ指が擦れて痛む。
それでも何とか窓まで辿り着いた。
崖から顔を乗り出して見張っているナツヒに、今から侵入すると目線で合図を送り、ユウナギは格子に手を伸ばす。
窓の縁に足を乗せ自らの身体を持ち上げると、西日の差すそこで静けさの中、壁の棚に寄りかかるアヅミを見つけた。
「……!?」
物音より格子の向こうに人影を見つけ、アヅミは驚く。
「アヅミ、声上げないで」
「ユウナギ……様?」
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