第22話 水のせいにして温め合おう

 夕暮れ時、川屋のそば、ナツヒは「ほぼ全裸で」立ちすくんでいた。


 こんなところを誰かに見られでもしたら、と考えると非常に寒い。


 しばらく裸でユウナギとの掛け合いを回顧していた。


――――自分を引っ張って外に連れてきたユウナギは言った、話を聞いて、と。


「すぐ行くって、どこへ……どうして……。アヅミが何かしたんだな?」

「彼女はまだ何もしてない」

「まだ?」

「でも、彼女は嘘をついてる。……と思う。だから今から彼女を試す」


 嘘とは? 試すとは? 途中経過を聞かなければさっぱり意味が掴めない。


 しかし確実に危ないことをしようとしている、それは止めなくてはならない。


「待ち合わせの崖上に戻ったら、アヅミは私を川に突き落とす。……かもしれない」


「はぁ? 嘘をついてて試すと突き落とすってなんだよ! そんなの聞いて行かせるわけには」


 言い終わる前にユウナギは声を張り上げた。


「彼女が私を消すためにあそこで集合を言いつけたなら、その思惑に乗っからないと尻尾は出さない! だからナツヒ、全部脱いで」


「……はい?」


 脈絡のないことを言いだし即、ユウナギはナツヒの衣服を剥がそうとした。


「え? あ、待て。脱がっ……」


 手も足も出ず尻もちをついた彼の上にまたがり、彼女は彼を脱がし始める。


「私、泳げないから! 私が落ちてきたら助けて!」


 彼女の顔は真剣そのものだ。


「お願い……」


 服を掴む手も震えている。ナツヒは返事ができなかった。


「出入口の隣室が衣類置き場になってる。私を助けたらそこで介抱して」

と言いながら立ち上がり、更に

「全面的に信じてるから」

と。


 そして彼に燻製肉を1本渡して、また走って行った。


 ナツヒにとっては「不覚にも」止めることができず、話を聞くことすらできず、彼女を行かせてしまったのである。




 そういったわけでナツヒは自分の失態を恥じながら、軽い罰を受けるような気持ちで下を脱いだ。


 実際アヅミのことは、物心ついてから何年も共に励んだ、血を分けた妹なので、それこそ「全面的に」信頼している。


 が、彼の知るは10歳までの彼女だ。そこから先の彼女の人生は想像だにしない。ふみを交わしているのもトバリなのだ。


 現に、牢でのユウナギに対するあの度の超えた悪戯いたずらは、あんなことを思いつくような奴だったかと、疑念が湧く部分もある。


 

 ……など、また考えを巡らせていた時だった。


「ユウナギ」と彼女を呼ぶ声がどこからか、かすかに聞こえたのは。


 驚き辺りを見回した。少し霧がかかっていて遠くは見えない。室内からかもしれない。


 微かだが、低めの声を間違いなく聞いたのだ。


 ナツヒは思いきり殴られたような感覚に襲われる。


「思った通りだ。近くに、1年後の自分がいる」


 それはどう動いてる? 何を目的としている? 未来の自分と言っても所詮1年後だ、考え方は今と何ら変わらないだろう。


 そこまで思考の糸を繋いだ時、さきほどの違和感を思い出した。

 ユウナギと話した時。


 訳も分からず連れていかれ動転していたので、牢の中で考えていたことを失念してしまった。あれは紛れもなくユウナギだったから。


 そのうえ危地にあえて飛び込むような話を聞かされ、そこから平静に戻るのも無理だった。

 ついでに突然脱がされたのだし。


 でも確かに感じた。説明できない違和感を。


「もしかしたら、あれは1年後の……」


 その時だ。背後でドォンと水しぶきの上がる音が響いた。


「!!!?」


 バッと振り向いたら小さなしぶきがはらはら舞っている。ビリっと身体中を、ユウナギの言葉が駆け巡る。


“助けて” 


“お願い”


“信じてる”


 ナツヒの心は彼女のそれが共鳴するように、その名を夢中で叫び、川へ飛び込んだ。





 彼女の声が聞こえる、それも何度か名を呼ばれた。


 だからすぐに見つけられたのだ。


 水底に落ち行く彼女を全速力で捕まえて、片腕でひたすら水を掻く。

 顔が水の外に出たら、即その頭を自分の肩に乗せた。すると彼女は水を吐き出した。


 無我夢中で岸に乗り上げる。

 そして意識を失ったままの彼女を抱え、言われたとおりに衣類庫へ走るのだった。




 衣類庫に入室後、入口から死角となる奥に彼女を置き、脈が正常か確かめた。


 ひとまず命は取りとめたが、名を幾度呼んでも返事はなく、いつ意識が戻るか分からない。


 このびしょ濡れの衣服を着せ替えないと、体温が下がってしまう。




 ナツヒは息を吞んだ。


 少しのあいだ停止していた。しかし迷っている場合ではない。


 まず棚に積まれている布を何枚も用意し、なぜかやたら着こんでいる彼女を全て脱がしたら、布を当てることで水気を払う。

 そしてもっと大きな布で全身をぐるぐる巻きにして、何とか役目を果たした。


 気付けば自分も裸のままだ。

 急いで衣服を見繕って着、それから寝かせておいた彼女を軽く持ち上げ、腰を落とす。


 そのあと彼女を思い切り抱きしめたのは、その体温を下げないようにと思ってのことだが、実際は自分も寒気を感じそれを必要としていた。


 温もりに安心したのか、そのまま彼も寝入るのだった。




***


 窓から差す朝の光にあてられて、ユウナギは目を覚ました。


 身体の重さをひどく感じながら起き上がると、そこは木の壁の部屋で、道具倉庫だろうか、縄やら棒やらうつわやらが煩雑に置かれている。


「……? ここは?」


 そこにはただ一人、自分しかいない。立ち上がろうとすると、頭がずきずきと痛んだ。


 何が起こって今、自分はここにいるのか。記憶の糸を手繰ると、最後の感覚は痛みだった。


 何の痛みかは分からない。その前はあの、彼女の恐ろしい表情、必死にしがみついていた苦しみ、更には通して感じていた死への恐怖。


「そうだ、私、裏切られて……」


 思い出せば出すほど、絶望の思いで身震いが止まらない。


 確かに自分は川に落ちたのだ。


 しかし今、こうして生きている。


「まさか神のご加護が……? それなら」


 手を合わせ神に謝意を表し、さらに、こう願う。


「ナツヒを必ず無事に、私の元へ……」



 ユウナギはこれからどうするか考えた。

 ナツヒを探しに行くのが最優先である、と分かってはいる。


 ただ、心は違うところへ向かう。


 昨晩、意識が遠のく中で。


 意識が遠のいたからこそ余計はっきりと聴こえたのかもしれない。彼女は、「大嫌い」と言った。


 それは怒りというよりは、物悲しさを思わせる声だった。


 幼い頃自分たちの間で何かあったのだろうか。しかしこちらは彼女のことを本当に知らなかったのだ。


 本音を言えば、彼女に会うのは怖くて、できることなら逃げ出したい。


 こちらも騙され殺されかけた怒りを、どこへ持っていけばいいのか分からない。


 それでももう1度、話がしたい。


 このまま死んだふりをして逃げたら後悔する、気がする。



 ユウナギは、着ている侍女服のゆとりある裾をそこらの小さな鎌で裂き、動きやすいように結び合わせた。


 そして長めの棒を護身用に持ち出し、そこの扉を開けた。



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