第23話 ゲスの極みあるじ

 ユウナギはアヅミの居所予想にそこそこの自信があった。


 彼女はあのとき言った、あるじを愛していると。それは嘘ではないのだろう。


 もし自分が彼女なら、一仕事終え、それも上手くいったら必ず嬉々として上役である彼に報告に行く。


 そして(兄様は絶対そんなこと言わないけど)、彼は言うのだ、「よくやった。こちらへおいで」。


 それは、自分には想像の域を出ないあんなことやこんなことが繰り広げられる夜の幕開けで、明け方目覚めると隣には彼がいて、共に小鳥のさえずりを……。


 ここまで妄想を膨らませて、ユウナギは「ああ本当に羨ましい!」と声に出したが、幸い周りには誰もいない様子。


 というわけで主が滞在していると聞いた、殿にある寝室が、向かう先として正解だ。




 屋敷4階の扉を開いて橋へ出た。

 恐怖心に襲われるので、橋の上では薄目を開けるだけで渡り切った。


 殿の扉に鍵は掛かっていない模様。押すと手応えがある。


 考えてみれば崖の上に建つ殿へ、4階まである屋敷を経て盗みに来るような物好きはいないだろう。施錠など不要なのだ。



「えっ、ええ?」

 扉を開けると、事もあろうに早速あるじがいた。


 右側奥の扉の前で、彼は侍女と話をしている最中だった。ユウナギに気付き、侍女に何かを命じてから歩み寄る。


「貴様は昨日の侵入者か?」

「私は本物の王女よ。アヅミに会わせてください」


「それはおかしい。彼奴あやつは王女を始末したと申しておったが」

「しくじったみたいね」


「まったく詰めの甘い女だ。……彼奴ならこの扉の奥で失神しているが」

「失神? 彼女に何をしたの!?」


「さきほどまで絶えず悦ばせてやっていただけだぞ」


 せせら笑う彼に、言いようのない嫌悪感が走る。


「あなたはアヅミが私の国の間者だと、とっくに知っているのね?」


 彼はにやけたまま話す。

「ああ、床ではどんなことでも吐くからな。使える女だが、間者としては最低の部類だ」


 ユウナギはまるで自分が蔑まれているような気分に陥り、怒りを込めて言い返す。


「あなたにほだされたからでしょう!? そこをどいて。アヅミに会わせて!」


「そんなことより敵国の姫よ。金印はどこかね?」


 そう主が口にした時、下がっていたさきほどの侍女が武器を手にし戻ってきた。そしてそれを彼に渡したのだった。


「……大鎌?」


 その武器とは、柄が彼の背丈と同じほどある大層な鎌だ。


 ユウナギはそれにそこはかとない禍々しさを感じ、ひるんだ。


「あなたは金印が欲しいの?」


 ユウナギは和睦の証として宝を交換するのではなく、一方的に奪い取るつもりかと問う。


 すると、骨董品として欲しているだけで、まつりごとには興味がなく、大王おおきみに差し出す気もないと主は答えた。


「アヅミは大王に渡すつもりでしょう? あなたの更なる出世のために」


 あの時は自らが間者としての任務を遂行しやすいようにと言っていたが、結局はこの男のためなのだ、と悟った。


「そんなもの。彼奴は我の言いなりだ。大王には死んだ貴様が持ち出し、とうとう見つからなかったと言えばいい。和睦は不成立に終わるんだからな」


「ふざけないで!!」

 声を張り上げ、棒を、ほこを構えるように持ち、地を蹴ってこの男に突き出した。


 しかしやはりそれはただの棒、鉾とは使い勝手がまったく違う上に、相手もそれなりの使い手だった。

 何度突き出しても振りかぶって打ち込もうとしても、鎌の柄で軽くいなされてしまう。


 下手に踏み込むと刃の餌食になる。実戦経験がろくになく、こういう時どうすればいいのか分からない。

 ともすれば失意に流されそうになるところを奮い立たせ、ユウナギは何度振り飛ばされても向かっていった。


「あっ……」


 そしてついには唯一の武器、棒を手放してしまったのだった。慌ててそれを拾おうとしたが、更に遠くへと蹴り転がされてしまう。


 主はゆっくり近付いてくる。恐怖を煽るように。


「やめっ……嫌!!」


 彼が胸ぐらを掴もうとするのから、腕を振り回して必死に抵抗するユウナギ。しかし腕を捕まれ、どうにもならなくなった彼女の両頬すらも、彼は片手で掴んだ。


「娘は死ぬまでにできる仕事があるからな。真かどうかは知らぬが、王女だと思えば楽しめそうだ」


 それでも首を振って抵抗を示す。


 ちょうどその頃、隣の寝室ではアヅミが目を覚ましていた。




 ユウナギはなお一心に抵抗する。

 腕を捕まれても、なんとか逃げようと足蹴あしげにする彼女をうっとうしく思い、主は脅かすためその衣服を胸ぐらから破った。


 ユウナギはその瞬間、衣服を振り捨てて逃げようと身体を跳び起こす。


 その時だった。


 ふたりの間に緑色の何かが、わっと散らばる。


「……?」


 その出所はユウナギの、ニ重に着ていた衣服の隙間だった。


 よく服の隙間には物をしのばせて持ち運ぶので、何が入っていてもさほど気にはならないが、確かにもさもさしていた感覚はあった。


「これは……よもぎ?」


 それにしてもなかなかの量ではないか。葉というよりは小さな花だ、花がはらはらと舞い落ちた。


 すると、何がどうしてこうなったのか、主が嗚咽を漏らし始め──。



 それはだんだん激しさを増し、ユウナギを掴んでいた手は、なりふり構わず両眼をこする。

「ぶわぁっ……くしょん!! っうっ……うっ」

 更には涙が溢れ、くしゃみが止まらなくなったのだった。



 ユウナギは呆然とそれを見ている。


 わけが分からないが、敵はただ藻掻くだけで、もうその眼中にまったく自分は映らない。

 なのでその隙に転がった棒を拾いに行った。

 


 その時、おもむろに右の扉が開いた。


「トラモチ様!?」

 連続する大きなくしゃみの音を聞き、何事かと扉を開いたアヅミが、目にした主の姿に焦りすぐさま駆け寄る。


 うずくまっていた主は、アヅミが手元に来たとなったら、その首をわし掴み立ち上がった。

「ぅあっ……」

「アヅミ!?」

 彼女の悶える様を目にし、ユウナギは肝を潰す。


 そして今度は背後の扉が開く。


「ユウナギ!」

「ナツヒっ」

 荒い息遣いと共に飛び込んできたナツヒの目に映るのは、男に捕らえられているアヅミと、上半身の衣服が破れはだけているユウナギだった。


 ナツヒは当然のように逆上し、アヅミを抱えている男に向かって走り出した。


「だめ!! ナツヒ!!」


 ユウナギの叫びで彼はぴたりと止まる。いったん振り返り、ユウナギに駆け寄った。


「これは、どういうことだ?」

「アヅミが……なぜか、捕まって……嫌な予感が」

 ユウナギは小声でそうつぶやく。


 

 どうやら主はナツヒが入室した隙に、一度は手放した大鎌を拾っていた。

 いまだ目はまともに開かず、くしゃみも続けているが、無抵抗のアヅミは抱えたままだ。


 ナツヒはまずユウナギのはだけた衣服を上に寄せ戻す、その時。


「あああああ!」


 主が鎌の刃をアヅミの脚に当て引いた。悲痛な叫び声が天井に響きわたる。


「アヅミ!!」


 衣服の裾が赤く染まり、なお流れ出る血が、ユウナギの瞳に映る。


「これで此奴こやつは逃げられない……それ以上、私に近付いたらどうなるか、分かるな」

などと脅し、またくしゃみをする。

 しかし目はなんとか開けられるようになったようだ。


「頭イカれてるのか? 唯一の味方の戦力を不能にするとか」


 ナツヒはアヅミもお構いなしに殴り掛かる準備をする。


 もちろん憤怒がそこにあるのは、ユウナギにも分かる。


「ナツヒ……引こう」


 ナツヒからしたら、ここはふたりまとめて捕らえるいい機会なのだが、彼女がそう言うなら仕方ない。

 武器も縄も持ち合わせていないし、ここで引いたとしても、攻めに向かう点では敵だって無力も同然だとして、ユウナギの手を引き室外へ出た。


 ユウナギは出口を抜ける直前まで、アヅミを心配の思いで見つめていた。


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