第21話 崖の上の裏切り

 一方、ナツヒは牢内で寝転がり思考を巡らせていた。

「ああ、腹減ったなぁ……」

 腹の虫が鳴っている。


 神隠しでここまで飛ばされたことは思い出した。


「アヅミの言ったことに嘘がねえなら、ここはだいたい1年先の世か」


 森に隠れていれば、いつか戻れるかもしれない。

 しかしそれでいいのか。


 後から現れたという、書状を持った者とは? その者や書状とやらは本当に存在するのか。


 牢内にいるだけでは判断材料に乏しく、歯がゆい思いを抱く。


「ん。ここが1年後だというなら、この時間の自分はどうしてるんだ?」


 この時点のナツヒは和議の内容について、ユウナギのようにアヅミから説明を受けておらず、和議そのものに懐疑的だ。


「あれ、いや、ちょっと待て」


 独り言にしては大きな声が出た。


 怪我をして、待ったなしの事態が降り注ぎ、頭の中が混乱していたせいか単純なことを忘れていた。


 この時の自分はどうしてる、なんて愚問だ。


 自分だったらユウナギを助けに来るに決まっている。こうなることを知っているのだから。


 それか、逆なのか。


 ここは未来なのだから、この経験を経た自分たちが、この神隠しに合わせて用意した舞台……だとしたら?


 その時、上からタッタと足音が聞こえてきた。


「ナツヒ!」

「!? ユウナギ?」


 ナツヒの前に走ってきたのは、侍女服をまとったユウナギであった。


「どうしたんだユウナギ? ひとりか?」

「う、うん。ねぇ、ここを出て」


 ユウナギが扉を開く。そして格子に捕まり、もう片方の手を差し出した。


「なんで急に?? アヅミは?」


 戸惑いながらもナツヒはその手を取った。するとすぐにも、ユウナギは彼の手を引っ張り走り出す。

 

「見つかったらどうするんだよ!」

「殴り倒せばいい! 侍女でも。気絶させるのは得意でしょ!」


 1階へ上がり廊下を走り、そして川屋へ向かう戸から外へ出た。


 ナツヒは彼女の身に、何か切羽詰まるような事態が起こったのだと案ずる。


 川屋のそばの角を曲がったところで、彼を引っ張ってきたユウナギはやっと止まった。


「何があった? まさか、アヅミがお前に何かしたのか?」


 心配で冷静さを欠いたナツヒは、ユウナギを問い詰める。特段よく見なくても、彼女の様子は平常と変わらないのに。

 

 おそらく彼の中に川屋どうこう言われたからと、自分の元から少しの間でも離した負い目があるのだろう。


「んー。……ナツヒ」

 ユウナギは崖の上を指さし、こう言った。


「私、すぐ行くから、話を聞いて」




***



 ユウナギは殿の前の庭、むき出しの崖に戻っていた。


 侍女らが殿の前を通る心配もあったが、今のところは大丈夫だ。しかしアヅミはなかなか戻ってこない。霧も出てきて、ユウナギは心細くなる。

 

 それからしばらくたった頃、やっとアヅミが戻ってきたが、その表情は困惑を表していた。


 彼女は遅れてしまったことを謝り、そして息せき切って伝える。ナツヒの様子を見に地下に行ったら、牢がもぬけの殻だったと。


「ええ!? ナツヒが勝手な行動を取るとは思えない。誰かに連れ去られたんじゃ……」

「そんな柔な男じゃないでしょう……」


 そう疑りながら、アヅミは崖の縁近くで彼の名を叫んだ。


「何を? 人が来ちゃう!」

「もう日が暮れるので兵は舎に戻りました。殿は石造りです、中にいる者には聞こえません。川屋か川辺にいるならこの声が聞こえます。一度だけ、あなた様の声でお試しを。返事がなければ探しに行きましょう」


「う、うん……」

 ユウナギは促され、一度、彼の名を川に向かって呼んでみた。


 しかし少々待っても返事はなく。


 一息つき、崖から顔をひっこめた。



“ユウナギ!”


「!」


 その時、かすかに呼び声が聞こえた。よって反射のように、見通そうと膝をついた。


 下の方から確かに、自分を呼ぶ声が聞こえてきたのである。


 しかし霧がかかっている。どこかの室内にいるかもしれないし、ここから眺めても仕方ない。屋敷にはきっといるのだから探しに行けばいい。


 そう気を取り直して、振り向きながら立ち上がろうとした。




 すると、目に映るアヅミが異様な笑みを浮かべ、両手でこの身体を押し出そうとするのだった。


「っ!?」


 ユウナギは即座に彼女の両腕を掴んだ。


「何を!?」

 アヅミはユウナギを振り払おうとし、ユウナギはそれに反発し力を振り絞る。


 結果押し合いになり、不利なユウナギのかかとは崖縁に寄り体勢を崩した。


 そこで横に倒れ、腕を地に付け耐えようとした瞬間、左肩を蹴られたので、とっさに彼女の左足首を右手で掴む。


 下半身が崖から滑り落ちようとも、彼女の足首を力いっぱい握る。


 そして肩から腕にかけて全力を集中して振り絞り、崖にしがみついた。


「なん……で……」

 この状態、上にいる人物が協力的であれば助かるのだろう。


 しかしわざと自分を突き出したのだ、この女は。


「あなた、は……国の……」


「ええ、誓って国の人間ですわ。……でも私……あるじを、愛してしまったの」


「そん……な……」


「あなたは不注意で川に滑り落ち、溺れて死ぬのよ……それをナツヒも見る。そのためにさっき牢から出してきたから。そして私は国にふみを出すわ。金印を持ったまま、あなたはどこかの川底にいると」


 後は金印を探し出し、それを大王おおきみに差し出しあるじの手柄とする、そうアヅミは言い放ったが、死物狂いなユウナギにはもう聞こえない。


「……っ……あっ……」


 崖の砂がほろほろと落ちる。

 

 脳内でナツヒの「一瞬でも長く」がどよめく。


 残された力はもうわずかだが、這い上がろうと必死だった。


 しかしアヅミの、ユウナギの体重を支える、踏ん張る力にも限りがある。


「それだけ着こんでいれば、早々浮かばないでしょうね。愉快だわ。……教えてあげる。私、本当はあなたが嫌いなの。国も、両親も、大嫌い」


 アヅミは持てる力を腰に集め、ユウナギの掴んだ手を振り払った。


「な……」


 そしてそのままきびすを返し、崖縁を後にした。


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